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季節の博物誌 11 花冷えとシューベルト

 桜の時期は、毎年天気の変動が大きい。初夏を思わせる陽気に汗ばんだかと思うと、冬に逆戻りしたような冷え込みになったりする。花冷えと呼ばれるこの季節の寒さは、油断しているといつのまにか忍び寄ってきて、指先をかじかませる。それでも今は春。季節の歩みは立ち止まったり後ずさりを繰り返しながらも、着実に進んでいく。
 この頃になると聴きたくなる音楽がいくつかある。そのひとつがシューベルトの歌曲「春の信仰」である。フォークソング的な美しいメロディと、さざ波のように鳴り続けるピアノのアルペジオが印象的な曲で、春ののびやかさを感じさせる。
 昔からシューベルトの音楽にひかれる一方、どこか怖いところがあると感じていた。その原因のひとつは、学校の音楽の時間に聴かされた「魔王」であろう。他にも歌曲集「冬の旅」は死を連想させる陰鬱な曲が並び、「美しき水車小屋の娘」の最後の歌は、主人公の若者が小川に身投げして永遠の眠りを得るという詞だ。詞の内容だけではない。「アヴェ・マリア」「夜と夢」といったシューベルトの書いた旋律は、天国で響いているような美しさゆえに、汚れに満ちた地上では生きていけない妖精のようなデリケートさを秘め、純粋さゆえにその裏に死を感じてしまう時がある。またシューベルトの曲にはしばしば転調が印象的に使われる。長調の曲が突然短調に変わる時、瑞々しい生の中にふと死の影が差すような、ひやりとする瞬間がある。その光と影の間を揺れ動く感覚と、花冷えの不安定な天候が共振して、この時期にシューベルトの音楽が心の琴線にふれてくるのかもしれない。
 ここ数年で親族や親しかった先輩方が何人も世を去った。その事実がずしりと身にこたえる日々を送っている。それとともに、シューベルトの音楽に感じていたかすかな死の匂いへの怖れも薄れ、より親しいものに変わってきた気がする。桜からハナミズキへと花の盛りが移り変わり、もうしばらく続くであろう不安定な天候の中で、「美しき水車小屋の娘」や「冬の旅」に耳を傾けたいと思う。

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