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東直子の「炭素のような」短歌

【この記事の要約】
有名な歌人の絶版になっていた第一歌集が文庫で復刻したのでこれは読むしかない!という話。

こんにちは。第三滑走路の森です。
前回の石川美南さんの記事では、絶版により入手困難になった歌集について取り上げたんですが、今回はそんな入手困難な状況を一気に脱出した歌集を紹介しようと思います。

今回紹介するのは、東直子(ひがし・なおこ)さんの第一歌集『春原さんのリコーダー』です。

東直子さんは1963年生まれの歌人で、小説家としても活躍しています。短歌を普段から読んだり作ったりする人たちのあいだではかなりの有名人で、角川短歌賞という新人賞の選考委員を務めていたりもします。

『春原さんのリコーダー』はもともと1996年に本阿弥書店から出版されたものなんですが、今月(2019年10月)の10日にちくま文庫から復刻版(という言い方があってるかわかりませんが……)が刊行されました。

入手困難だった歌集が、文庫本の価格で買えるようになった!しかも大学の書籍部とかでも売っている!ということで、個人的に好きな歌を引いていこうと思います。

駅長の頬そめたあと遠ざかるハロゲン・ランプは海を知らない
/「草かんむりの訪問者」

内陸部を走る電車が夜、もしくは早朝の駅を通過し、駅長がそれを見送る。たったこれだけの景が、「ハロゲン・ランプ」を主役に据えることで短歌としての輝きをもちはじめます。

七七の部分を「(6音程度の名詞句)は(5音の動詞句)ない」としてポエジーを狙ってくる歌って今もけっこうあると思っていて、たぶん僕の歌にも探せばあるんですけど、20年前の段階でこのレベルのものが世に出てると思うと、自分たちが20年後の短歌を作れているのかどうかという考えになったりします。

クリーニング済みの上着を受けたあと滅多に降らない雪を見ている
/「ほほほほ」

たぶん歌壇の中で積極的に評が書かれるタイプの歌ではないと思うんですけど、個人的にはすごく好きな歌です。「濡れちゃうなあ……」なのか、「帰りにくいなあ……」なのか。でもやっぱり「きれいだなあ……」と思って、「見ている」。

ひつじのあゆみさん(@ewe_your_you)という有名なツイッターのアカウントがあって、その人が今年4月に、

というツイートをしていました。

僕はこのツイートを見たときに、こういう短歌をつくりたいなあと思ったのをよく覚えているんですけど、東さんのこの歌の「見ている」と、ひつじのあゆみさんのこのツイートの「見ている」って、同じものだなあって読んだときに思いました。

いまつくりたい!と思ったものが20年も前に先取りされているのは結構ショックなんですけど、こういうのをきちんと知れるきっかけになるので歌集の復刻はありがたいですね。

ばくぜんとおまえが好きだ僕がまだ針葉樹林だったころから
/「箱」

まず、漠然を「ばくぜん」と開いた表記や、「おまえ」という言い方は、極寒に耐える「針葉樹林」と親和性が高くて納得感があります。

加えて、針葉樹ではなく「針葉樹林」であることや、ここではなく「ころ」であることに、単純な輪廻や時間の経過といった観念を超越する広い視点での世界の把握があり、その視点から発される「ばくぜんとおまえが好きだ」が非常な真剣みをもって迫ってくるという構造が秀逸です。

ええそうよそうそうそうよそうなのよ炭素のような祈りの美学
/「ひんやり風の吹く朝に」

これはかなり解釈の余地のある歌だと思います。文庫版に寄せられた「解説にかえて 混沌から浮き上がるリアル」の中で、花山周子さんは以下のように読んでいます。

「ええそうよそうそうそうよそうなのよ」と、ほとんど呪文と化した肯い。有機物が炭素に還元されるように、「祈り」は結局のところ肯われたいという願望に還元される。それを「美学」だという。

「肯い-炭素」「祈り-有機物」と対応させて、「祈り」を掘り下げていく。「祈り」が「肯い」に還元されることに「美学」を見出す。という読みで、これはトップダウン方向の解釈と言えるかと思います。

これとは逆の、つまりボトムアップ方向の解釈がありうるのではないか。鍵となるのは「炭素のような」という比喩のもつ方向性です。花山さんは「有機物が炭素に還元される」という点に着目して読んでいますが、「炭素がさまざまな有機物に派生する」という点に目を向けたい。

「ええそうよそうそうそうよそうなのよ」は肯いであると同時に、もっとも単純な形の「祈り」なのではないか。なんらかの主張や存在を、ゆっくり17音も使って肯定する。それも、自分に言い聞かせるように。この「祈り」は、あらゆる観念や通念の基礎となるものであり、そのことが「炭素のよう」なのではないか。そして、この肯いという「祈り」のそぎ落とされた形に「美学」を見出す。

急に歌集全体の話に敷衍しますが、この歌集に収録されている歌のほとんどは、どこかやさしくやわらかな印象を受けます。しかし、ただやさしくやわらかなだけではなくて。どこか、油断すると置いていかれたり引きずり込まれたりしてしまうようなこわさも感じられます。収録されているそれぞれの連作や、歌集全体の一筋縄ではいかない雰囲気、読み味が、素朴な(あるいは、素朴に見えるように書かれた)言葉からなる一首一首の集合によってつくりだされているように感じます。それはちょうど、この歌の「炭素-有機物」の関係とパラレルであるのではないか。そういった考えで、この記事のタイトルは「東直子の『炭素のような』短歌」になりました。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
来月7日には同じくちくま文庫から東さんの第二歌集『青卵』が刊行予定とのことでそちらも楽しみですね。

普段は短歌のネットプリントをやっていますので、ぜひツイッターのほうもチェックお願いします。

それでは。

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