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いま・むかしのメンタル不調

https://president.jp/articles/-/50319
この記事読んだ。

『心の悩み』は現代病で、仏教では心のケアというものがそもそも無い、ということらしい。

昔は自然や病気は、神様や怨霊などによる「どうしようもないもの」だった。「悩む」とかそういうレベルじゃなかった。「祈るしかない」とただひたすらに祈り、それ以外にジタバタしせず、ある意味さっさと諦められる。

メンタル不調というと仕事のことが思い浮かぶ。

職業の自由がない時代なら、
仕事に不満はあっても「親の代からコレだから」と、現代みたいに「辞める・辞めない」とか「理想の仕事が見つからない」といった悩みはなかっただろう。

思い通りにいかないことは
今も昔も当然あるが、
「自分の努力不足かも」とか
「選択を間違えた」という前に

「領主がああだから、仕方ない」
「こういうものだ」と
怒りもするだろうけど、
あっさり諦めて、受け入れてそう。

その結果、飢えて死ぬとしても、
それがその時代の当たり前で、
他にやれることなどなかったのだから。

不満やストレスに対して領主や神様に恨み事を言う…くらいのことしかやれない。

コレはコレで迷いや悩みからくるメンタル不調にはならなさそう。

今だったら、
理論上「やればできる」
どうにかして稼ぐことは誰にでもできるし、

それをしないのは
「本人のやる気がない」とか、
「能力がない」と見なされる。

これはストレスだ。

本人としては
努力してても、足を引っ張ってくるどうにもできない人間

…但し、神様に比べればどうにでもできるし、不当に邪魔をしてくるムカつく存在…

が居たり、
正当に評価されないことが
メンタルに不調をきたす。

病気だって、
昔は
「罹ったらゲームオーバー」
だったのが、
「予防できる」
→「罹ったらあなたの不備」と
責任が自分にくる。

その割に、
予防法はどれが正しいのか、
効果があるのかわからない。

それなのに絶対的な正解があるかのように、
世間には情報が展開され、
それが正義とされる。

昔なら
「どうしようもない」
「呪いだね」と
言ってくれていたものが、

今は
「あなたが悪い」と
責められるようになってしまった。


自然災害に対しても
様々な対策が取られてコントロールできるかのようになってしまったから、
被害にあったら
ネガティブな気持ちも大きく湧いてくる。

本来は
「夜になると太陽は沈む」
というくらい
「人間にはどうしようもない」ことで、

この事に対して文句や不満を言って
「仕方がない」ことだと、
今の私たちもそう思うだろう。

この「仕方がない」の範囲が
狭まってきたからこそ、
「やれるのに、やらなかった」
「防げたのに防いでくれなかった」と
ストレスが増えていく。


何か悪いことが起きても
「神の御心」
「信心が足りない」で
済んでいた方が
アレコレ考えなくていい。
メンタル的にはラクなのかもしれない。


ホントに昔は
メンタル不調がなかったのか、どうか、
少なくとも悩みのバリエーションは少なかっただろう。

そもそもメンタルで病む前に
飢えたり、
病気に罹って死ぬことが
ほとんどだっただけかもしれないが。

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