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都下の田舎で感じる「東京人」の意識(大石始「奥東京人に会いに行く」)

2020 年の東京オリンピックを控えたこの時期に、東京の周縁を取材した著者が触れた人・モノとその土地の伝承を記した一冊だ。思うところがあったので、内容を紹介しつつ書きたいと思う。

タイトルにもある奥東京とは東京都の境界周辺であり、他県との境界線付近の土地を指す。著者の目的は、「これまで馴染みがなかった土地の事実かホラ話かわからない『地域の話』を採集する」こと。そして、その土地ならではの風土を嗅ぎ取ることだという。

奥東京を巡るきっかけ

そもそもなぜ著者は東京の「奥」に興味を持ったのか。

吉祥寺在住の著者は、井の頭公園付近の使い慣れた焼き鳥屋の改修工事の際、旧石器時代の「焼き場」が見つかったことを知り、一万五千年の時を隔てた人間たちが、同じ場所で同じようなことをしていることに衝撃を受ける。

そして、土地に根付いた事実を知ることで風景を見る目が変わってしまう体験を機に、住み慣れた東京の奥地に深く分け入り、土地の神話や伝説を採集することを決意したという。

だが、ただ漠然と「東京」をテーマに扱えば、それぞれの土地に根付いた伝承を扱った著作などは豊富にある。そこで筆者は「東京の端っこ」を軸に、これまで縁のなかったエリアを探索することに決める。ぶっちゃけ本文では東京の「奥」という表現から連想して「端っこ」に決めた感があり、やや必然性が弱い気がするのだが、このユニークな着眼点が個々の章にまとまりを与え、無理なく読めるようになっている。すなわち、特定のテーマを設定することで対象の範囲が区切られ、内容の新規性が得られている。

奥東京の一覧

著者が訪れたのは、以下の土地だ。

1. 東京の山(奥多摩町)
2. 東京の川(葛飾区高砂、江戸川区東小松川、同じく東葛西)
3. 東京の海(大田区羽田、中央区佃)
4. 東京の島(伊豆諸島・新島村、青ヶ島村)

都心からほど近い田舎の散策が大好きな筆者としては、ここで扱われているような土地はかなりグッと来る。実際、奥多摩などは両手で数え切れないほどは足を運んでいると思うし、伊豆諸島などいつか訪れてみたいと思っていた。特に気になるのは青ヶ島だ。学部時代にたまに読んでいた「東京別視点ガイド」で見かけて以来、気になっている。

より近場を考えるなら、葛飾区、江戸川区、大田区など都心にほど近いエリアも扱われている。この週末にも早速著者の足跡を辿ることができるだろう。

「東京」でくくる意味は?

と、楽しみつつ読書を進めることができたのだが、次第に以下のような疑問が沸き起こってきた。

本書で扱われている土地を「東京」という共通項でくくることに、どこまで意味があるのか?

上記の土地のうち、江戸=東京と捉えるならば、江戸の境界付近の土地という伝統がある川、海に該当する地域については「東京の周縁」として扱うことも理解できる。だが、山と島についてはどうだろうか?

県境のそもそもの由来を辿れば、旧国名など歴史的背景によって定められた箇所もあるだろうが、一世紀以上前の線引きが現代に至るまで何らかの意味があるのだろうか。島についていえば、そもそもどのような歴史的背景で東京都に属するようになったのか筆者は知らなかった。さらに加えて以下のような疑問も生じた。

県境とはいわば恣意的な境界であって、その境界付近に位置するということと、その土地の魅力は別物ではないのか?

例えば奥多摩であれば、たまたま中央本線で都心と繋がっていること、すなわち都心からのアクセスが良いという利便性と、その土地本来の人・共同体が育んできた伝承などの魅力はまったく別物のはずだ。

その点は著者も感じているようで、13ページには以下のような記述がある。

県境とは行政的な理由によって機械的に線を引かれている場合もあれば、川や山といった地形的な境界線をそのままボーダーラインにしている場合もある。そこにあまり意味を持たないケースも多いわけだが、東京の端っこだけを巡ることで見えてくる東京の形とはどんなものなのだろう?

ここで取り上げられた「東京の端っこ」、すなわち上に書いたような土地は、ややキツい書き方をすると都会人目線で「行きたい」と感じるような田舎ばかりだ。

自分も含めて、都市部から離れた田舎を散策するときは「東京都とは思えないような風景」云々というコメントをしがちである。そこには無意識のうちに東京都というくくりの中での「都心・郊外」と「田舎」という線引きが行われている。例えるなら、 23 区内を指す「都内」と、それ以外の地域を指す「都下」の違いのようなものだろう。

こうした"東京" を冠することにギャップを感じるような田舎を巡るのは、県境という恣意的な境界線で区切られた辺境を散策して都会人目線で、都会との落差をあたかもその土地の趣であるかのように楽しむ、いわば田舎オリエンタリズムであって、都会人の傲慢さのあらわれなのではないか、と感じる瞬間が読書中に何度かあった。それは本書への意見というよりも、むしろこれまでの自分の行動への反省である。

「辺境」と「中央」のつながり

実際のところ、県境の境界線の土地を辿ることにどこまで意味があるのか。言い換えるならば、辺境とされるそれらの土地は、中央とされる都内とどの程度つながりがあるのだろうか。

本文中では、山(奥多摩)については単なる境界線上ではなく、人とモノの交流を伴った東京の一部であることが理解できる。奥多摩の木材供給地としての歴史は古代に遡り、他にも薬草や漆、熊の胆、砂金などが国府に運ばれていたという。近世では奥多摩湖という東京都下を支える貯水池として、小河内村などがダム底に沈んだ歴史を持つ。やや一方通行の利害関係には見えるが、古来より中央と辺境としての関係があると言えるだろう。

話は脱線するが、こうやって歴史を振り返ると奥多摩エリアは歴史的に都心・郊外エリアから収奪されてばかりに見える。もちろん、実際のところこの地域にどれだけの見返りがあったのかは本書だけではわからないのだが。

また、本書で扱われている集落・峰は「東京都最高峰」と呼ばれ、「マチュピチュ」と形容されている。うがった見方をすれば、奥多摩の地に観光客として訪れる都心・郊外の人間たちが、この地を安直な考えで観光地として消費している態度のあらわれと言えなくもないだろう。そして本来尊重すべきであるこの土地固有の芸能の存在は、外部の地域にはほとんど知られていないという。その点については「東京の山」の章の終盤でも強調されている。

話を元に戻し、辺境としての島と中央との関わりについて述べると、伝統的に伊豆諸島は流刑地として用いられていたという背景があるようだ。さらに江戸時代には流刑者が江戸の流行を持ち込んだという背景があると書かれている。また、八十年代中盤や九十年代前半の新島には、「ナンパのメッカ」として数多くの若者が集まっていたという。個人的には、この手の若者の心理にも、単なるツーリズムを超えた田舎オリエンタリズムらしきものが感じられるような気がしてならないのだが、無論詳細はわからない。

読後の感想

東京の辺境、というテーマ設定に疑問を感じることもあったが、この読書を通じて、都心からほど近い田舎を散策する際に無意識のうちに感じていた違和感が文章化されたようにも思える。今後は、「手っ取り早く田舎気分を扱える土地」としてではなく、その土地固有の伝承に少しでも関心を払うよう注意したい。

また、辺境に着目した本書を通読することで、東京という一地方自治体が形成された歴史的経緯への関心が高まった。23区や周辺の自治体について取り上げた書籍は多いだろうが、境界について取り上げているものはそう多くないだろう。特に伊豆諸島については(たとえばなぜ静岡県なのではなく)、東京都に属しているのかなど今後調べてみたい。


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