10年前のあの日の記憶10
我が家はマンションで、直接繋がる変圧器が壊れた為、しばらく電気が使えなかった。
さらに水を汲み上げるのにも電気が必要だった為、自宅の水道から水が流れるようになったのもかなり先だった。
ただ、マンションの敷地内にある水道からは水がでるようになり、近所の公園まで行かなくても水汲みが出来るようになったことは有り難かった。
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地震発生3日目。
窓から差し込む朝日で目が覚めた。
春の陽気が感じられる、あたたかい日だった。
この日は母と姉と共に、普段乗らない錆びついた自転車を叩き起こし、近所のスーパーやホームセンターをひたすら回った。
母はガソリンの残りが少ないことを気にして、朝早くから車に乗り込み近所のガソリンスタンドを回っていたが、列が長すぎて諦めて帰ってきた。
父は相変わらず仕事だったが、職場は電気が回復しており、社員みんなで会社の寮を借りて、炊飯器でお米を炊いて帰ってきてくれると言っていた。
前日にちらっと見て回ったときより、多くのお店が開いていた。
店頭にワゴンを並べて《1人何点まで》と制限を設けながらではあるが、どのお店も長蛇の列だった。
缶詰や電池、IHクッキングヒーターやガスコンロ、ガスボンベ…
そんな、『今』必要なものがずらっと並び、次々と棚から消えていった。
我が家の電気はまだ回復していなかったが、ガスより電気のほうが早く復旧するだろうと考え、当時自宅には無かったIHクッキングヒーターとラジオ用とランタン用の電池、ガスコンロ用のガスボンベを購入した。
このときIHを買ったのは正解だった。
その後店頭で見ることはしばらく無かったし、ガスが本格的に復旧したのは4月に入ってからだった。
昼時になり帰宅する。
あまり多くはなかったが、菓子パンなども手に入れられたので、昼食はそれを食べた。
その後は昨日は手がつけられなかった部屋の掃除や片付けを行い、明るいうちに夕食の調理を始める。
と言っても使えるのは灯油ストーブだけだ。
多くの品数は作れない為、冷蔵庫で保存していた生物を優先しながら、カレーを作った。
この日から電気が復旧するまでは缶詰などの保存食より調理をしながら冷蔵庫の中身を消費していく感覚だった。
やっと普段の生活に近づいてくると、気になるのはお風呂である。
地震当日はそれどころではなく、前日は除菌シートで身体中を拭くのが精一杯だった。
3日目ともなると、動き回って汗ばんだこともあり、限界を感じていた。
そこで、明るいうちに協力してお風呂にすることにした。
もちろん、水は貴重なので、最低限で済ませられるよう日々試行錯誤していた。
灯油ストーブでお湯をわかし、水で薄めてぬるま湯を作る。
それにタオルを浸し、あたたかいタオルで身体を拭いた。
それだけで、少しお風呂に入れたようなホッとした気持ちになった。
そこから頭を最低限の水で湿らせて、少量のシャンプーで頭皮を洗う。
先程作ったぬるま湯をかけて泡と汚れを落とした。
普段のお風呂と比べるとほんの少量のお湯だったが、すごくさっぱりした気持ちになった。
残りのぬるま湯で洗顔し、ホッと一息ついたころ、父が炊飯器片手に帰宅した。
帰宅直前まで保温されていたであろう炊飯器の蓋を開けると、ふわぁっと白い湯気がたちのぼる。
炊きたてのご飯の香りに心が踊った。
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