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去年のクリスマスにジョンレノンとポールマッカートニーが爆発した夢を見たから俺はもうどうにもなんねえんだよ

先月、NHK『ドキュメント72時間』を両親が熱心に観ていたものだから私も一緒になって観るなどした。今回は「大空に飛行機を見上げて」というタイトルで成田空港を発着する飛行機が間近に見える“さくらの山公園”が舞台なのだった。
なんだかんだでこの番組を観る事は多いけれども、ヒコーキは私の管轄外なのでその回はなんとなく流し観ていた。しかしながら番組の後半、警備員の息子とその父がインタビューを受けているのを見て、私は「!」と声を上げた。

(この変な人)

“さよなら、また今度ね”というバンドのドラマー、漬け菜噛み噛み渋谷という人物にその息子さんがとてもよく似ていたのだった 。ほんの数年間で解散してしまったバンドで正直マイナーすぎるために、この「!」な感情を伝えるにも伝える相手が思い浮かばない。しかしながら、この筆舌に尽くしがたい心境を共有できずとも、彼が彼であったという確証を得たかった。
私はひとまずTwitterで「ドキュメント さよなら、また今度ね」みたいな検索をかけてみた。他にも色々試してみたけれども、結果は案の定ヒット0件なのであった。千葉県出身のバンドのため、そのメンバーが成田空港の飛行機を見に来ていた可能性は大いにあると思うのであるが── 

あたしさぁ そういえばさぁ 缶けりした夢を見たの
あたしが鬼で数えてたら みんな隠れないで泣いてたの
「どうしたの?」って聞いたら
「あなただけおいて心が辛い」っていうの
「そんなあ~それ逆にあたしの方が辛い」っていうと
砂かけられちゃった 砂かけられちゃった
人の気持ちも自分の気持ちも分かんなくなっちゃった

そんな渋谷さんらしき人物を通じて、久々に彼ら“さよ今”の事を思い出したのを機に、何事においても、意味不明で解釈不能、訳がわからなくて唯一無二、つまりは「ちょっと何言ってるかわかんない」みたいな世界観が、現代人の疲れきった心にポジティブに作用する時が来ているのではないかという持論を展開してみようと思った次第である。

まず、さよ今の初期曲の歌詞とPVはとにかく「草」で、常人からすれば間違いなく「?」である事は容易に想像できる。さよ今の楽曲は”私は今、なんか変な夢でも見させられている”、本当にそんな感じなのだ。歌詞は支離滅裂、PVは何をしたいのか解らない。歌詞は上記の通りであるが『砂かけられちゃった~関くんへ編~』のPVのイラストと歌詞はまるで関係がなさそうだし、何よりも“味”がありすぎる。カオスだとかシュールだとか使い分けが難しい横文字は置いといて、とにかくもうやりたい放題なのだった。

“無駄こそ人生を豊かにする?”

遥か昔、少年ジャンプで連載されていた『ボボボーボ・ボーボボ』という漫画があった。変な話、私は6歳あたりからボーボボを読んで育ってしまったせいか、おかげさまで“笑い”の概念がボーボボになってしまった。PTAが「こんなの読んでたら(観てたら)子供の頭がおかしくなる」とやんや言っていたようであるが、ボーボボの世界観がわからない大人はマトモすぎてなんだか哀れなものだ。子供を育てる前に一度ベランダでちくわでも育てて己の心のユーモアを育むところから始めた方が良い。

音楽を聴くにあたり、“共感”を求めてその時の気分に合わせた曲をセレクトする事は多いのではないかと思う。私の場合、元気な時はジェニーハイだとかラパンテットなどが最近のトレンドで、逆に死にたい時は決まってTHURSDAY'S YOUTHというバンドを聴く。ちなみに本気で死にたい時は音楽を聴こうとは微塵も思わない。

ただ、そういう時を除いて“今日はもうなんだか疲れた”だとか“なんだか落ち込んでしまう”というような、日常におけるふとしたネガティブに苛まれたような時、こうしたさよ今やボーボボのような「?」の世界にほんの少しでも触れてみると気分の降下をコントロールする事ができるのではと考えたのである。
この際言わせていただくと、この“はてなワールド”から学べるものは何ひとつない。他の少年漫画を例に取れば、ワンピースからは仲間との絆を学び、幽遊白書からは試練に立ち向かう心の強さなんかを自ずと学べるものであるが、ボーボボに至っては敵味方関係なく勢いで殴っちゃうし、一応毛狩り隊を倒すという大義名分が存在するものの、話が寄り道しすぎていつの間にか敵にフルボッコにされて泣いていたりもする。つまり、読んだところでなんの学びもないのである。

良い意味でバカバカしいバンドなら、忘れらんねえよやヤバイTシャツ屋さん、キュウソネコカミあたりが挙げられるのかもしれないが、残念ながらどれも結局のところサウンドとしては格好良いので却下とする。むしろメンタルが弱っている時に聴くと逆に堕ちる気がするし、まず聴く気にもなれなそうだ。
そんな時こそ、“さよなら、また今度ね”の出番だったりするのかもしれない、と思う今日この頃の私なのであった。

月がきれいだなあ 星がかわいいなあ
財布なくしても 世界は素晴らしい!!
いー いやっは!
langue d'oïl. or langues d'oui
(なんかよくわかんないチャイ語なので割愛)
土足でシャワー浴びてえ
こちょ、ゴーウェイ、ゼファー、メタルギア 
RAY、RAY、RAY、RAY
孫! ドン! こそって家出  ──「僕あたしあなた君」

一見、余計に疲れそうではあるけれどもPVと合わせて聴けばその3分間余りはこの嫌な現実社会をすっかり忘れている自分に気づいたりする。
もう、真面目に生きるなんて割りに合わなくなっているのがこの世の中だ。毎日嫌々生きている人の方が断然多いのではなかろうか。都内の心療内科はいつだって患者さんでごった返していて、立ったまま診察を待つなんて当たり前の事だ。

親や先生が褒めてくれる高校生までは真面目な生徒ほど報われてそれで良かったけれども、大学生ともなれば授業やゼミが皆勤賞のクソ真面目な堅物なんかより、2回生あたりまでは留年しない程度に授業をサボり、その後は教授にゴマを摺ってなんとか卒業可能なGPAと微妙なクオリティーの卒論執筆の傍ら、ダブルスクールや長期インターンなどで行動力を発揮した学生こそがそれは器用にこの社会を生き抜いていく。
かなしきかな、私は専ら前者の人間であり、大学生までしか通用しないライフハックしか持ち合わせていなかったのであった。いつの間にか、意味のない事を避けて無駄を嫌うようになっていたし、後者のような人間を軽蔑しておきながら内心はそんな彼らを羨ましく思っていた性悪バカ真面目の不器用者であったせいで当然のごとくメンタルは崩壊し、悪い意味でトチ狂ったこの世の中からドロップアウトするに至るのであった。

とはいえ、半年前と比べればかなり精神が安定してきた現在の私は、そこまで堕ちきらないためにも自分でできる対処法が何かしらあったのではないかと思うようになった。本当ならば、セクハラ(1社目)や不当解雇(2社目)や求人詐欺(3社目)やパワハラ(4社目)のような弱きが苦しめられるような事案がなくなるのが一番なのだけれど。

とにもかくにも、私は“息抜き”が苦手なのだった。いつからか気分が堕ちるところまで堕ちてしまうと何も受けつけないようになってしまい、楽しい事をしていても友人と会っていても、嫌な現状が常に脳裏にこびりついていた。
だからこそ、この非情な現代社会を大人として生き抜いていく上で、さよ今やボーボボたちが生み出す“無駄な世界”に再度触れていたならば、あの辛かった時期の心の在り方がほんの少しでも変わっていたのかもしれないと思うのであった。せめて漫画喫茶でボーボボを全巻読破してみても良かった。思わず笑ってしまって隣の席の人に咳払いをされたって“ちっちゃい事は気にすんな”と心の中のゆってぃがわかちこしてその場を収めてくれていたはずだ。

──とかくこの世は生きづらい。皆してイライラしている。潰し合っている。山積みの社会問題に衰退していく元先進国で生きていくのは、しんどい。

そんな中で、こうもどんよりとした世の中をポジティブな言葉で励ましてくれるアツい男こと松岡修造本人よりも、気候の極端な寒暖差に反応して「松岡修造、そろそろ落ち着けよ」とぶつくさ言っているネット民の方のがよっぽど私を励ましてくれる。私はまだ“ユーモア”というものを理解できるだけあって本当に良かった。

さよ今の作詞作曲を担当する国家権力菅原という人物にPVでキチガイじみた謎の行動を魅せる漬け菜噛み噛み渋谷という人物、プルコギだとかガダボンだとか亀ラップだとか、一体どこから来るんだその世界観は…、と言わざるを得ないほどにはアタオカなボーボボの作者── こうした天才的な逸材たちが生み出した作品こそが、人生に疲れきった現代人をほんの束の間でもライトサイドへと救い上げてくれるに違いないと私は思う。きっと、無駄こそ人生を豊かにしてくれる事であろうから。

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