【君たちはどう生きるか】 芸術家目線での解説
はじめに
先日、宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」を見てきた。公開数日にして、SNS上では評価が二分されているようだ。「難しい。解説が欲しい」か「良かった」の二分。今まで万人にウケる作品を生み出す宮崎駿監督にしては珍しい評価だなあと、ワクワクしながら映画館へ向かう。
ちなみに私はパンダコパンダ(トトロの原案)ととなりのトトロで育った、宮崎駿監督オタク(過激派)だ。7年ぶりの監督の長編アニメーションに興奮が収まらない。
ここから解説をしていくのだが、あくまで1人の芸術家としての解釈である。アーティストはこんなことを考えながら映画を見るんだなぁ…とでも思って読んで欲しい。
以下はネタバレ内容を含みますのでご注意ください。
地獄を駆け抜ける
太平洋戦争の中、火事の中を必死に走る主人公の眞人。まず最初に思ったのは、
「おい、監督。一体何枚描いたんだ。」
アニメーションがぬるぬる動く。ぬるぬる動くということは、絵の枚数が多く、1つ1つの動作の省略をせずに描いている、ということだ。
つまり「走る」という動作に意味を持たせようとしている。そして私は、「走る」を「駆け抜ける」という表現にとった。また、火の中にいるというのは「地獄」を連想させる。地獄を駆け抜ける、主人公。
この表現が冒頭にあったということを踏まえて、解説しようと思う。
冒頭から重い内容の物語。太平洋戦争を経験し母親を亡くした眞人だが、父親の再婚で、義母ができる。紹介の中で、「母によく似た人」というセリフがしっかり話されている。なんだか引っかかる表現だな、と思いつつ、親父の偏った好みを表現しているのかな、と流す。
金持ちの家庭であるが故に学校では虐められ、喧嘩の帰り道で眞人はわざと自分の頭を石で殴り、大量出血。監督にしては珍しく、ずる賢いこどもを描くのか…と思いつつ、見続けていると、アオサギが話し出す。おいおい…クチバシから汚ねぇ鼻が見えとるぞ…。
映画のメインビジュアルではスタイリッシュに描かれていたからこそ驚いた。今回はイケメン枠居なさそうだな…。心の中で呑気に思っていたら、正確には覚えていないが、アオサギが「ずる賢いやつだ」みたいなニュアンスのセリフを言ったのだ。おおお!!回収してる!!宮崎駿の最初のメッセージだ!!!
「ずる賢く生きなさい」
命の流れ
話は続き、塔の中に進んでいく。
アオサギによって下の世界に行く眞人と使用人のキリコ。ペリカンによって「我ヲ學ブ者ハ死ス」と刻まれている墓の門を開けてしまうが、通りすがりの船乗りキリコに助けられ、成り行きでキリコの仕事を手伝う眞人。
「下の世界」の住人は殺生ができず、キリコが魚を捕まえて捌く。殺生はできないのに食事は必要…これは現代人の比喩なのか。宮崎駿監督は他の生き物の命を奪って生きていく世界の流れの中の、人間に対する疑問や不満を皮肉を込めて表現してるのではないだろうか。己の手を汚さず、他者が奪った命に乞うように群がり、命を食べるだけの人間(作中では死者と表現)を皮肉んでいるように思えた。
命を自らの手で奪い、己の糧として生きていく。
ただ、乞うだけでいるな。…と。
”命を奪うこと”に対して良いも悪いも表現していないのが、私の宮崎駿監督へのリスペクトポイントだ。良い、と、悪い、は人間の主観なのだ。世界の生き物達は皆、他の生き物を食い、死んで肥やしになり、また他の生き物に繋がれてゆく。人間が生き物を食べるのも、また自然の流れのひとつなのだ。
それを良いも悪いも判断はできず、ただ有るモノに感謝して、また次に繋いでいく。命の循環を"自然"で表現する監督の感性が私は大好きだ。
だからおそらく、今回のこの描写でのメッセージは、「食べ物が必要なのは当たり前で殺生を行うのはいいとしても、他人にその生き物の生死を握らせて、傍観するだけの人間(魂だけの存在)になっていないか?」だと感じる。
命を奪うものと、奪われるもの
魚を捌き、食事をし、寝るシーンが続く。人間の生活をあえて並べて描写したのちに、生まれる前の魂達、わらわらが飛び立つシーン。キリコが言う『わらわらは最近、飛べなかった』と言うセリフ。この物語は戦後の話なため、戦争中は子どもを産むことができない、ということを暗示しているのだろう。そして飛んだとしても、ペリカンに食べられるわらわら達。それを助ける、ヒミ。
便所から出た眞人はヒミの力によって瀕死状態となった老いたペリカンと出会う。老いたペリカンは、海には魚がほとんどおらず、わらわらを食べるほかなすすべがない、子孫の中には飛ぶことをしないものもいる、どこまで飛んでも島にしか辿り着かない、などの理由を眞人に語った後、力尽きてしまう。
…命を奪うものも、また、命を奪われていたのだ。
わらわらを食べるペリカンが悪いのか。わらわらを食べるしかない程にペリカンを追い込んだ世界が悪いのか。生きづらい現代においても悪いのは人ではなく、社会なのではないか。という、宮崎駿の問いが聞こえてくるようだった。
飛ぶための条件
ペリカンを土葬し、アオサギと合流した眞人。同時期には神隠しにあったナツコと眞人を探すべく、父親が塔に向かう。アオサギが道中で話す、口に矢が射られたことで飛べなくなった理由と飛べるようになるための条件…
「穴を開けた奴が埋めてくれなきゃ飛べない。自分じゃできないんだ。」
セリフは正確ではないと思うが、ニュアンスはこんな感じだっただろう。このセリフを聞いた瞬間、監督からのメッセージだと覚る。おそらく、死別体験や喪失感に対する監督の主観ではないだろうか。
「何か代わりの物でもいいから、穴(心の傷や亡くなった人)と同じ形のもので埋めてもらえないと、人は飛べない(生きていけない)」
という意味に感じる。この物語においては、母の喪失感を埋めるのは義母ということなのか…。
石と意志
場面が変わり、ナツコが居るとされる鍛冶屋の小屋の中に来たが、すでに小屋は人を食うといわれる二足歩行のインコ軍団に占拠されていた。インコに食われそうになったところをヒミに助けられ、パンを貪る眞人。そして上の世界にも同じ塔があることに気づいた眞人に、ヒミがどの世界にも同じ石の塔があることを伝える。
インコに追われ、自分の来た世界のドアに隠れる2人。2足歩行のインコが誤ってドアの先に飛びこんだ途端、2速歩行のインコではなく、現実世界に居る小さなただのセキセイインコに変身した。
つまり、下の世界は上の世界と姿が異なるだけの、同じ世界なのだ。また、使用人のキリコが下の世界では若くなったように、異なる時代の同一人物も同空間に存在する…そんな世界なのだ。
インコから逃れナツコの居る産屋に辿り着く2日。ナツコに元の世界に戻るよう声をかけるも、拒否されてしまう眞人。周りを取り囲む石の影響で産屋を追い出され、インコに捕まってしまう。眞人は夢の中で大叔父様。下の世界は石でできた積み木を使って自分が均衡をとっていること、眞人に自分の後を継いでほしいことを語る。大叔父様が『積み木』であることを主張するものの、眞人は『石だ』と主張する。
ここにもおそらく、宮崎駿監督のメッセージ。
世界の均衡を保つのは、積み木(気)ではなく、石(意志)なのだ。気持ちを積むのではなく、意志を積みなさい。
そう聞こえてくるセリフだった。
目覚めた眞人はアオサギと共に、捕まったヒミを助けるために大叔父様の居る上階を目指す。大叔父様の元に到着したインコ大王は大叔父様に眞人たちが産屋に入るという禁忌を犯したと告げる。道中、ヒミと再会した眞人は二人で大叔父様の元へ向かう。自分の元へたどり着いた眞人に対し大叔父様は「ここに13個の穢れていない石がある。3日に一つずつ積み上げて世界のバランスを取る自分の役目を引き継いで欲しい」と告げる。
個人的に理解しきれなかったのが、この13個を3日ずつ、というポイント。この数字にどんな意味があるのか…これだけがわからない。悔しい。
(わかる人いればコメントで教えてください)
大叔父様曰く、自らの血を引継ぎ、悪意のない人間しかこの仕事は出来ないとのことだった。しかし眞人は自分の石で殴ってできた傷を指して「自分は悪意のある人間だ。この世界にとどまるより、キリコ、ヒミ、アオサギのような友達を元の世界で作りたい」と話す。その様子を見て怒ったインコ大王がこの世界の均衡を保つ積み木をでたらめに積んだせいで積み木は崩れ、「下の世界」は崩壊を始める。
塔に着いたキリコによって救われたナツコと眞人たちは合流する。眞人はヒミに自分たちの世界へ来るよう訴えるが、ヒミは眞人のお母さんになると告げ、ヒミが眞人の実母・久子の少女時代の姿であることが判明する。そしてまさかの…久子はナツコの実姉。
冒頭で眞人が言っていた「母によく似た人」の意味、ここで回収。逆縁婚(※)だったのね…そりゃ眞人…母って呼ぶの、躊躇うよ…
132
ナツコもヒミと会い、別れを告げた後に眞人とナツコ、アオサギは「132」のドアから、ヒミとキリコはヒミの少女時代につながるドアから元の世界に戻る。
塔は崩壊し、アオサギに「まだ向こうのことを覚えてんですかい」と問われた眞人はポケットの中のキリコの人形や大叔父様の下へ向かう最中で拾った石に気付く。「じき忘れていく」という言葉とともにアオサギは眞人の前から姿を消す。拾った石(他人の意志)は忘れていく、ということなのか。
2年後に戦争が終わり、ナツコは子どもを産み、一家が東京に戻ることになり、ナツコの玄関先からの一声で、眞人が自室から出ていくシーンで物語は終わる。
眞人の一貫した行動
眞人の最初から最後まで一貫してる行動、それは自分がどう在りたいかを『自分で選択』していること。決めるのは自分自身。これは宮崎駿監督が幼少期に読んだとされる、吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』の伝えたいこととリンクする。(小説と今作品との関係性は公表されていない)
まとめ
地獄のようなこの世で、ずる賢く、命に感謝し、社会に疑問を持ち、人を許し、意志を持って、自分で決めて生きる。
そうであって欲しいと願う、宮崎駿監督のメッセージが詰まった作品。
過去の作品のメッセージを集約したかのような物語だった。
映画館で宮崎駿監督の作品を見れる時代に生きてて良かった…。感無量である。
さて、2回目はいつ行こう。
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