インスタの投稿がどうでもよくなった話
これもまたまた、先日受講生さんのフォローセッションの中でコーチングしてもらって気づいた話…。
問題だったのは…
セッションのテーマは「最近noteのネタに悩んでいる」について。
色々と問いかけていただくうちに、自分はnoteでどのくらいフォロワーが増えたか、とか、「いいね」をどれくらいもらったか、とか、そういうことに囚われすぎていたことに気が付いたのでした。
少し前まではnoteのネタなど考えなくても降りてきた。
降りてきた後は、一気に短時間で書きあげることができたのです。
それがこのところ、どのくらいnoteが伸びているかにばかり気を取られ、
本来このnoteを書き続ける目的、
「みんな!聞いてくれ!」をとにかく発信していくこと、
をおろそかにしていたと…
パッションの人
セッションの中で改めて我に返ったのは…
私は「パッションの人」ということ。
情熱が自分の原動力だったり、この情熱が誰かの心を動かす力を持ったり、この情熱が誰かを励ます力になったりそんなことが起こるから、
私はこのパッションを使って対人支援をやっていきたいんです。
それなのに私は私のパッション、大切な情熱の炎を、ロジカルと言う大きなブロックで閉じ込めてしまっていた、そんな感覚に襲われました。
「そうだ、私にはパッションしかないんだ!」
インスタにも同じ考えが及んだ
そんな気づきが得られた瞬間、どうマネージいこうか悩んでいたインスタに関する考えも一気に吹っ切れたのでした。これまではちょっとおしゃれな見せ方で、見る人が「素敵!」と思えるようなブランディング、そこに自分の思っている事や知識、ノウハウなどを紹介していこう、と考えていたのですが、それもこれも…
「何かっこつけてるの?そんなのどうでもええわ‼」
となりました。私はこキレイな、洗練された人になりたいわけではない。
もっと本能の赴くままに、志と熱い想いをビリビリと感じて共感してもらえる人と繋がりたいんだ!
燃えさかる想いが再び沸き起こったのでした。
結果、今までCanvaできれいにデザインを整えて出していた投稿のスタイルを辞めることにしました。伝えたいときに伝えたい内容をありのままの写真と共に投稿する。そう路線に変えました。(といってもまだ一個しか投稿していませんが)
やっぱりこれでいい
そうするとあら不思議、心の中もスッキリ晴れたと同時に、投稿への反応も心なしか悪くないように見えました。
これまでインスタの運用に関し、
ちゃんと週次で時間を確保し投稿を内容を加工し丁寧に投稿したほうがいいのではないか?
それができないのなら、代行にお金を払って投稿をしてもらった方がよいのではないか?
そんな風に考えたこともありましたが…
「そんな時間があったら、もっと実の詰まった投稿をnoteで発信したい」
「そんなお金があったらもっとコーチング力向上のための自己投資に使いたい」
やっぱりこれが今の想いです。
これからも自分のパッションの赴くままに、誰かにとって役に立つ
「聞いてくれ!」を発信していきたいと思います。
先日受講生さんから気づかせていただた内容はこちら↓
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