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もう届かない④【短編小説】

3月10日。当日を迎えた。

昨日妹の澪にお勧めされた服装、そしてワックス。ばっちり決まっているはずだ。

「あれ、もう行くの?」

リビングのソファでくつろいでいる妹が、携帯を触りながら聞いてくる。

「あぁ、父さんには帰りが遅くなるかもって伝えてるから。ご飯も冷蔵庫に置いてるから温めて食べてって言っておいて」

「そんなこと私から言わなくても、お父さんもう分かってるでしょ」

携帯をテーブルに置いて、俺の服装を見た。

「なんか違うなぁ」

この期に及んでそんなことを言われても困る。

「冗談だよ。頑張ってね」

楽しそうに手を振ってくる妹に、行ってきますと伝えて、リビングのドアを開け玄関へ向かう。そのまま靴にに履き替え外に出た。

高校の近くにあったファミリーレストランまでの道のりは自転車で約15分程度。
高校生だった頃と比べてあまり掛かる時間は変わっていない所を見ると、そこまで体力も変わっていないのだろう。

約束の時間までは10分早い。
息を整え、窓に映る自分の髪型をチェックし待っていると「谷口?」と声をかけられた。

声の方向を見ると、そこにはかつて学年のアイドルと呼ばれていた女性が、あの頃から変わらぬ風貌で立っていた。

「変わったね。一瞬誰だか分からなかったよ」

「そっちは、変わらないな」

そうかな、と山岸は首を傾げてみせる。

肩までかかる真っ直ぐに伸びた黒髪に水色のワンピースを身に纏う彼女は、やっぱり綺麗だった。

「とりあえず、中に入ろっか」

山岸に先導され、中に入る。
店内はまばらに人が散っていた。窓際の席に案内される。

「何頼もうか」

「何でも」

「奢り?」

「まぁ」

それくらいの資金力はある。だが山岸は笑って「私から誘ったから、私が奢るよ」と言った。

「いや、それは駄目だ」

「何で」

「こういうのは、男が奢るって聞いた」

誰に、と笑う。

「そんなこと言うキャラだったっけ」

「三年も経ったら変わるよ」

「まぁ、それもそっか。こうしよう。また、いつか奢ってよ」

「いつかって、いつだよ」

俺は苦笑する。しかし山岸は真剣な眼差しで「お願い」と言ってきた。

そんな顔もするのか、と少し驚く。
俺は、お言葉に甘えてと頭を下げると山岸は微笑んだ。

料理を注文する。山岸はパスタとサラダ、俺はハンバーグ定食。お互いそれ以上は頼まなかった。

「そう言えば、ごめんね。夜に待ち合わせって、大丈夫だった?」

「何が?」

「だって、ほら。ご家庭の事情が」

よく見ると、首にネックレスをしていることに今更気付く。

「大丈夫。もう妹も中学二年だから」

「へぇ、あの子が」

うん、と言ったが、会ったことないよなと心の中で突っ込む。

料理が届き、高校時代の話になった。

「ねぇ、今高校時代を振り返ってみてどう思う?」

山岸はパスタをクルクルと回しながら聞いてきた。

「どうって・・・。勉強しかしてこなかったから」

「谷口、有名だったよね」

髪を耳にかけながら一口パスタを口に入れる山岸。動作一つ一つが、新鮮だった。

「有名って言えば、山岸だろ。今でもマドンナって呼ばれてるのか?」

少し冗談っぽく言ったつもり立ったが、山岸は困ったように、ただうっすら笑って答えた。

「私ね、高校生活楽しかったんだ」

またクルクルとパスタを回す。
俺も視線を料理に落としハンバーグを切り分ける。

「運動会や体育祭。音楽祭に普段の授業だって。私が親に無理にお願いして高校に通わせて貰ってたから」

「無理に?」

親は反対してたって事か。そう聞くと頷く。

「私ね、実は高校に受からなかったらお母さんが決めた私立に行かされてたの。私立に行ったら、決められたレールに乗って、決められた人生を歩んでいたと思う」

そう言って窓際の外に顔を向ける。少しだが、母校が見える。
外は雨が少し降り始めていた。

「あれ、覚えてる?高校受験の日」

山岸はフォークを起き、俺の目を見た。

「高校受験?」

「そう、丁度今の時期。谷口、遅刻しかけたでしょ」

「あぁ、そう言えば」

中学三年生の高校受験の日。

父は俺に激励の言葉を掛け仕事に行き、当日小学二年生だった妹も学校に行く直前にエールを送ってくれた。
試験会場は受験する高校だったので、徒歩で30分程度。余裕を持って家を出る筈が、直前に携帯に電話が鳴った。
表示されている名前は、妹の小学校からだった。

少し困ったような担任教師からの電話だった。

「あの、実は今日締め切りの手紙がありまして。遠足に参加するかどうかの紙なんですけど。大分前から声をかけたのですが、持ってこなくて」

そんな紙は知らなかった。いつも澪は忘れず持ってくるのだが。

「その、澪さんに聞いたら参加しないの一点張りで。どうしてかと聞いても理由を言わなくて」

おそらく、お金が掛かることを心配しているのだろう。

時間を見る。今から走って小学校まで行くとすると、方向は高校までの道のりと一緒だが、途中で曲がらなければいけない。

「その、今から行って記入しても良いですか?」

「あ、出来ればお願いします。午前中までに締め切らないといけなくて。お父さんに掛けたんですけ・・・」

父は今の時間工場で作業中だろう。俺は今から書きに行くと伝え少し早いが家を出た。
走りながら、今まで澪が頑なに紙を持ってこなかった事を、担任も教えてくれればよかったのにと、心の中で毒づく。

約20分かかって学校に着く。丁度チャイムが鳴る前だった。職員室に行くと、担任教師と澪がいた。

「すみません、わざわざご足労頂いて」

若い新任の女性教師は申し訳なさそうに頭を下げた。俺はいいえ、と首を横に振って澪を見ると俯いていた。
紙を渡され、参加のサインをし印鑑を押す。
澪は学校が好きだ。一度参観にも顔を出したが、友達と仲よさそうに喋っていた。澪まで我慢することはない。
しゃがんで澪に声をかけるが反応しない。
ごめんな、我慢させてと小さく言うと肩を震わせ泣いている。
担任教師はオロオロとするばかりだ。

「ごめんなさい」と澪が小さな声で言った。俺は頭を撫で、謝る事なんて無いと返す。
「お兄ちゃん、受験は?」と涙を拭きながら聞かれ、時計を見ると遅刻寸前だった。
「え、今日受験だったんですか?」と担任教師が驚く。そしてそれと同時にチャイムが鳴った。
妹をよろしくお願いします、と一言伝える。間に合う?と心配そうに聞く妹に大丈夫と言って、学校を後にした。

そう、今にして思えばよく間に合ったと思う。
でも、何でそれを山岸が知ってるんだ。

「あの時、受験票を届けに来てくれたでしょ?」

「受験票・・・。あ!」

思わず声が大きくなる。
試験会場まで全力で走り、何とか寸前で間に合った俺は、そのまま二階の会場まで向かった。
もう誰もいないことに焦るが、廊下の端に何かが落ちていることに気付く。見ると、受験票だった。それを放置しようか迷ったが、わざわざ教室まで届けに行った。もう始まる寸前だったが、その教室の担当教師にそれを渡し、俺は自分の受ける教室に向かったのだった。

「あれが、山岸?」

「そうだよ。やっぱり、気づかないよねぇ」

山岸は楽しそうに笑うが、それは気づかないだろう。

「実は私も谷口が来る直前で会場に着いたんだけど、そこで受験表を落としたことに気づいて。あの時はパニックだったよ。でも、息が上がりながら持ってくる谷口を見て、本当に救われた」

「大袈裟だな」

「大袈裟じゃないよ。だって、あれのおかげで私は受験が出来たし、むしろ開き直って緊張も解けたし」

今更だけど、ありがとうと頭を下げてくる。

「その時から俺のことを知ってたって事?」

そう聞くと照れて頷く。

「ほら、受験会場は二つしか無かったし。全ての教科が終わって、隣の教室から谷口が出るのを待っていたの。出てきたのはいいけど、谷口何か急いでいたように見えたから声をかけづらくて」

そんな感じだっただろうか。正直、覚えていない。

「高校に受かって、谷口も探したけど中々見つからなくて。でも、クラス中を回ると、見つけて」

何だか、それって。

「もう時間も経っていたし、お礼も言いそびれたからね。何となく流れて。でも、それでもお礼を言わないとって思って、下校時の後を付けたりして」

そんなこと、全然知らなかった。

「ごめん、気持ち悪いよね」

と山岸は困ったように笑う。

「いや、そんなことない。むしろ、俺も完全に忘れていたから、ごめん」

むしろ、嬉しいことだった。

「あのさ、谷口。一つ聞きたいんだけど」

俺は、勇気を出して聞くことにした。

「その、間違っていたらごめん。俺のことさ、好きだった?」

過去形で聞く。自分のこと質問に、ぞわっとした。
だが山岸は、優しく微笑み「何で過去形なの?」と応える。

「あのさ、私も一つ聞いていい?」

今度は、緊張の面持ちで聞いてきた。

「ドラマとかで、あるじゃない。結婚式の最中に他の男が来て、花嫁を連れ去るシーン」

急な話題変更に戸惑う。何の話だ。

「あのシーンってさ、どう思う?」

「どうって・・・」

俺は少し考える。そして、思ったまま伝えた。

「残された家族と相手の人に申し訳ないと思うよ」

そう言うと、山岸は少し間を置いて「そうだよね」と悲しそうに呟いた。
さっきからずっと困ったように、ただ、笑顔は無理矢理にでも崩さないように笑っている。

「山岸?」

じゃあさ、と一つ間を置いてから再び聞いてきた。

「もし私をさらってって頼んだら、さらってくれる?」

悲しそうな顔のまま聞いてくる。
だから、何だよその質問。

俺は、考える。今の質問の意味、谷口が求めている答え、色々と考えたが、何故か答えられなかった。

「冗談、忘れて」

と山岸は笑って言った。そして、冷めたパスタを食べ始める。俺も、冷めた定食を食べ始めた。
味は、美味しくなかった。

「今日はありがとうね」

店を出て、谷口がお礼を言う。こちらこそ、と返す。

何で、自分の気持ちを素直に言わない。一言、言えばいい。だが、喉に何かがつっかえる感じがして、言葉に出来ない。

「またさ、いつか、奢ってね」

「・・・うん」

「それじゃあ、いつか」

また、来年とはいわなかった。
そう言って山岸は去って行った。

〈続く〉


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