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もう届かない⑤完【短編小説】

3月は別れの季節だと、高校生の頃の担任教師がいっていた。

3月8日。
この時期になると、少し寂しくなる。
そんな事を思いながら書斎で仕事をしていると、携帯が鳴った。

「もしもし」

『あ、お兄ちゃん、久しぶり』

久し振りに聞く妹の声は、変わらず単調だった。

『明日の日曜日、暇だよね』

「勝手に決めつけるな」

『どこか出掛けるの?』

「そんな予定はない」

『じゃあ暇でしょ。仕事も日曜日で休みだし』

「来年度に向けた授業カリキュラムを作成しないと・・・」

希望ノゾミを一日見て欲しいの』

「何で俺が」

希望は妹の娘だ。今年中学二年生で、俺のことを生意気に下の名前で呼ぶ。

『急なお願いでごめん。でもお願い、ご飯に連れて行ってあげて。ちょっと私手が離せなくて』

アキラ君は」

『元々あの人が連れて行ってくれる筈だったんだけど、急な仕事が入ったの』

それなら仕方ない・・・とはならないだろう。

『お願い、夫もお兄さんに頼めないかなって言ってるし』

そう言われると、弱い。
妹の夫の彰くんと最後にあったのはつい最近だ。今ではいい飲み仲間みたいになっている。
今年34歳になる彼は今でもフレッシュな好青年の印象を保ったままだ。


『それじゃあお願いね。また明日昼前に送りに行くから』

一方的に押し付けて、こちらの返事も待たず電話を切った。

本当に変わらない。
しかし、ここまであっさりと物事を決めるようになったのはいつからだろう。

妹は20歳の頃に、当時働いていた職場の男性、彰くんと結婚すると言い出した。
父に一度連れてきなさい、と言われるとその次の日には連れてきた。

彰くんは好青年だった。父は険しい顔で色々な質問をぶつけていたが、あの彰くんの一言で決めたのだろう。

「家は、家が貧乏だった。ここにいる兄のカケルは勿論だが、妹の澪にも随分と我慢を強いてきた。だから、子供達には、幸せになって貰いたい」

そう、何かをこらえるように父は言った。

「必ず幸せにします」

そのひと言が、俺には眩しく映ったのを覚えている。

妹に「早くないか?」と聞いたことがある。すると、「じゃあ、いつならいいの?」と返されて、何も答えることが出来なかった。
「私は、お兄ちゃんみたいに後悔したくないの」
そう、悪戯っぽく言われて俺も苦笑した。

最後に山岸と会ってからもう20年経った。

あれから俺は母校の高校教師として働いている。
やりがいはあるし、充実している。
しかし、この時期になるとやはり思い出す。

最後に山岸と会った翌日、亮介から電話が掛かってきた。

上手くいったか?の問いに駄目だったと返し、一部始終を伝えた。すると馬鹿野郎、と大声で怒鳴られた。
亮介の友人がかつて山岸と同級生だったらしく、その友人が聞くところによると、山岸は母親が決めた婚約者と結婚するらしい。どうやら、昔山岸の家も相当貧しかったらしく、母親が再婚してから裕福になったとのことだ。

今から電話をしろ、と言われるが返せなかった。

「なんで、電話が出来ない」

「俺さ、山岸の事何にも知らないんだよ。家族のことも、何が好きなのかも、どこに住んでいるのか、今何をしているのか、色々、知らないんだよ」

そう言うと、亮介は呆れたように馬鹿だなと言った。

「好きってことは分かってるんだろ?」

それには、自信を持って言えた。

「それだけじゃ、駄目なのか?色々と考えすぎなんだよ。お前は」

そう言われて初めて自分が何をしたいのかに気付く。
俺は山岸に電話をした。
繋がらなかった。

翌年の3月9日に電話を入れたが、やはり山岸は繋がらなかった。
あれから電話を掛けることはないが、未だに、未練がましく山岸の携帯番号だけは消せない。
残っているのは、やはり後悔だ。

翌日の昼前に希望は妹の車で送られてきた。

「ごめんお兄ちゃん。宜しくね。希望、色々と叔父さんに聞きなさい」

「おいちょっと」

「はーい」

こちらの返事も待たずに、車は走っていった。

「お前のお母さんは、何でいつもああなんだ」

「翔が舐められてるんでしょ」

「あぁ、お前にもな」

「ねぇ、お腹すいた」

そう言って笑う姪は、20年前の妹そっくりだった。
俺は、何が食べたい、と聞くとパスタと答えたので車で近くのパスタ専門店に向かった。

店内は日曜日のご飯時と言うこともあって、随分待たされた。その間希望は携帯電話をずっと触っている。
周りから見ると、このとても似つかない二人はどう見えているのか。

「今日の服装、お母さんが選んでくれたの」

唐突に言い出す。ピンク色のニットを着ているが、「でかくないか?」と聞くと「古いなぁ」と言われる。

店員に席まで案内をされ、メニュー表を見ながら「うわぁ、どれにしよう」と悩んでいる。

「お前、耳にピアス開けてるのか?」

そう聞くと、耳に手を当て「そうだよ」と何のこともないように答えた。

「お母さんやお父さん何にも言わないのか」

「学校には着けてないよ。今だけ」

それでも妹や彰くんは言いそうなものだが。

「もー、本当に翔は細かいなぁ。だからモテないんだよ」

俺は頬を掻く。もう四十半ばを迎えている親父に、誰が振り向くのか。

お互いパスタを頼み、料理が来るのを待つ。

「あのさ、実は相談があるんだよね」

「何だ」

珍しく真剣な顔でそう言ってくるので、こちらも居住まいをたたす。

「好きな人が転校するの」

「ほう」

「思いを伝えようかどうか迷っているんだけど、どうすればいいと思う?」

「・・・何で俺に聞く」

「だって、先生でしょ」

「恋愛科目は専門外だ」

「お母さんが、翔に聞いてみなさいって。きっと反面教師として色々と教えてくれるって」

あいつ、言いたい放題言ってくれる。

「マドンナ的な人と付き合ってたんでしょ?」

「付き合ってない」

「え、そうなの?」

「あぁ。だけど、そうだな。一つ昔話として」

中学生の頃から、最後に会った所までを姪に聞かせた。最初は目を輝かせながら聞いていたが、途中で悲しい目になり、最期には少し怒っていた。

「どうして好きだって言わなかったの?」

「どうしてだろうな。きっと、色んな事を言い訳にしていたんだろうな」

山岸の事を知らないから。
自分には分不相応だから。
家が貧乏だから。

「今にして思うと、本当、後先考えずに行動してみても良かったと思う。それが幸せになるかどうなっていたのかは、分からないけどな」

そう言うと、希望は「今、翔は幸せなの?」と聞いてきた。

俺は、幸せだよ、と答える。少なくても、父と最期過ごした数年間は、とても充実していた。穴が空いた所を修復するように、澪も入れて家族の時間を過ごした。
去年、安らかに眠った。

「だから、俺から言えることは、後悔だけはしないように。後から後から、と思っていると、いつか手が届かなくなるかもしれない。若い内は、色々な経験をしておくように。それが、苦い経験でも」

「どんなことでもいいの?」

「親に相談できるなら、いい。頑張れ」

「翔、先生みたいだね」

「いや、ちゃんと先生だ」

注文した料理が運ばれてきた。希望はそれを食べる前に、携帯電話を取り出し、よし、と意気込んで何かを打っている。

俺は、先に食べることにした。

「ねぇ、結局何で3月9日だったの?」

「うん?」

「電話をしてきた日」

「あぁ・・・。実は、その日が受験の日だったんだよ」

俺も随分と前のことだから忘れていた。だけど、本当は忘れてはいけない日だった。

「本当に、翔のことが好きだったんだね」

姪は笑う。そして、もう一度、ねぇと聞いてきた。

「もう、本当に届かないの?」

俺は姪の顔を見る。

携帯が鳴った。希望は手に取り確認すると、笑顔で見せてきた。
『明日、放課後時間を下さい』
『もちろん』
思い立ったら直ぐに行動する。
ここは、母親譲りかもしれない。

夜になって、妹が迎えに来た。

「ごめんね、遅くなって」

「いつものことだ」

「希望、色々と聞いて貰った?」

希望は満足げに頷く。

「それじゃあ、また」

「またね、翔。またどうなったか報告するね」

「ああ」

運転席に澪が乗り込み、エンジンを掛けた。
窓を開け、そう言えば、と話しかけてくる。

「あのお兄ちゃんが通っていた高校の近くのファミリーレストラン、覚えてる?」

「・・・ああ」

忘れるわけがない。

「あそこ、今月いっぱいで閉店だって」

「知ってる」

「あ、そうなんだ。ならいいの」

それじゃあ、と出発する。
妹が何を言いたかったのかは分からなかったが、元々閉店までに行くかどうかは迷っていた。

だけど、今日希望と会って気持ちが変わった。

もう、届かないの?
きっと届かない。でも。

三月の冷たい夜風が頬を撫でる。一つ身震いをして家の中に入った。

明日は3月10日。
最期に山岸と会った日。

明日の夜7時にあそこへ行ってみよう。そう、決めた。


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