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三島文学、ナゾの体験

まじめな動画は、こちら→【第1回】【第2回】【第3回.まとめと完結編

小学生のとき、週に1時限「読書」という時間割があって、図書室にクラス全員で行き、静かに好きな本を読むことになっていた。
今でもそうだが、ワルい友達が私には多くて、その4~5人のグループで机を囲んで、五年生のころだが、誰がいちばんエッチな本を探して来るか?いつも競っていた。
私の家には文藝春秋社の「現代日本文学館」があって、全43巻のうち 3巻が漱石にあてられており、三年生のとき、グループの友人に触発されて「坊ちゃん」に夢中になって以来、漱石の専門家をめざして、家でも「読書」の時間にも、漱石に没頭していた。

しかしその競い合いで、どうも漱石は分が悪い。やっと「三四郎」の冒頭に、それらしい場面を見つけて、悪友らに読ませたのだが、みんな首をかしげている。
三四郎は、汽車に引かれた列車の窓から、使い終った弁当箱を捨てようとして、それが風にまかれて、たしかボックス席の向いの女性の顔に当ってしまう。ある友人の解釈では、女性はそれをずっと怒っているのだ、と言う。

スクリーンショット (945)

⇧三四郎は熊本から東京まで、こんな木造の客車にゆられて、大志を抱いて上京した。明治の末、日露戦争に戦勝して、日本が世界の一流国となってゆく時代、帝大に合格して、日本の未来を切りひらく!と決意しつつ上京する三四郎を襲う、最初の事件です。(客室の写真は、yahooニュース.鳥塚亮氏)
⇧⇧上は映画『人斬り』のスチール(渥美饒児氏) 五社英雄監督、大映1969。
裕次郎、三島、勝、仲代。三島由紀夫氏のよき友人たちですね。

そうやって皆に読ませた私自身、どうも意味がよく分らない。
長旅の途中の宿で、その女性が、背中を流してあげる、と裸になって入って来たと皆に力説するのだが、なぜ三四郎がかたくなに遠慮して逃げたのか?なぜ女性に意気地なし、と言われたのか?謎は深まるばかり、まあ小学生だから当り前だが。

その友人は私に「坊ちゃん」を推薦した後、白樺派に転向して、たしか実篤の「真理先生」で、杉子が絵のモデルになるため服を脱いだ、というシーンを見つけて、高得点をあげていた。
手っとり早く、画集をねらうヤツもいて、もしアングル「泉」を見つけて来たら大騒ぎだったろうが、
小学校の図書室だからか、アングルも背中がいやに大きな後ろ姿、しかも白黒の画像しかなく、(いま思えば「浴女」の上半分だけ)何ともインパクトに欠けていた。

スクリーンショット (950)

⇧南禅寺、「金閣寺」で溝口と鶴川が昇った山門を背にして、天授庵を望む。(京都市観光協会)

漱石をいくら読んでも、ポイントを獲得できない私は、一計を案じて家にあった「現代日本文学館」の挿絵を捜索することにし、できるだけ過激そうな最近の作品は、と第42巻を開いた。
「金閣寺」その響き、カチッとした文字の格調と華やかさにひかれて読み進めると、有為子が将校に、ふしぎな茶をすすめる天授庵のシーンに、早くも行き当った。

われわれの眼下には、道を隔てて天授庵があった。静かな低い木々を簡素に植えた庭を、四角い石の角だけを接してならべた敷石の径が屈折してよぎり、障子をあけ放ったひろい座敷へ通じていた。座敷の中は、床の間も違い棚も隈なく見えた。(「金閣寺」第二章)
⇩天授庵の座敷(K Japan Traveler氏)

スクリーンショット (949)

その衝撃のシーン、さっそく一味の者どもに読ませたのだが、
どうだったか?私らがよく読んだポプラ社「アイドルブックス」に、「金閣寺」なんて無いし、小学校に文庫本もないだろう。家のぶ厚い本を、わざわざ持参した憶えもない。
ならば「金閣寺」の単行本を、皆で読んだのだろう。すごいことだ。

しかし一味の者ども、やっぱり???だった。だいたい、大人の女の人は、いつでもそういう事が出来る、と書いても通じないから仕方ない!
つまり、いつでも母乳が出せる、と強烈に主張するヤツがいて、大混乱した。
それを飲んでれば、食料は不要だとか、結婚する前でも出せる、とか、とにかく将校の児が死産だった、という設定が意味不明だし、
鮮烈なワンシーンとして描かれるから、ウソは無かろうと感じていた。
まだ大学を出て2年目の、きれいな先生にそんなコト質問できず、誰にも聞けず、ただ論議は白熱、紛糾するばかりだった。
・・・と小学五年生の悪ガキどもの「金閣寺」体験でした。次回は、ちゃんと格調たかい体験を書きたいです。

P.S. 漱石「三四郎」は青空文庫にありますが、実篤「真理先生」は無いようです。何故なのか?
もうひとつ P.S. 真剣に、まじめなnote ←ご覧くださいませ

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