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愛しのロドレゲフ

私のハンドルネームである『やせつ』には一応名付けの由来がある。元々は【夜雪】であった。

いつだったか忘れてしまったが、大雪が降った日の夜中、窓を開けると真っ暗な夜にしんしんと降る白い雪を見た。

何も聴こえない、黒と白しかない、まるで別の世界にいるような幻想的で不思議な光景で、私はしばらくそれを眺めていた。

それを覚えていて【夜雪】と名付けたのだが、何となくひらがなの方が可愛かったので『やせつ』になって今日に至る。


『名前をつける』由来というのは、多種多様な理由があると思う。今日は『自分の所有物としてではなく、共に生きる相棒へのプレゼント』として名前がつけられた、今でも忘れられない、ちょっと不思議な思い出話をしようと思う。少し長い話になるかもしれないが、最後まで聞いてくれると嬉しい。

                        

                        *

昔、私が高校三年生の春、心身喪失による不登校となった。学校へ行こうとすると腹に激痛が走った。苛めや体罰があった訳ではない。本当に理由がわからなかった。わからなかったから余計に辛かった。行きたいのに行けなくなってしまったのだ。

しばらく『学校へ行ってきます』とだけ言って家を出た後、私は別の場所へ足を走らせた。図書館、河川敷、プラネタリウム。昼間に制服を着たまま現れた女子高生を誰も変な目で見ることはなかった。それほど私は憔悴していたのかもしれない。

ある日、学校から家に電話が来た。母から問い詰められて、観念して全部話した。行きたいのに行かれない、私もどうしたら良いのかわからない、と。

すると後日、母はペンギンのぬいぐるみを買ってきた。正確にはペンギンの赤ちゃんのぬいぐるみだ。

『これ、何?』

『ペンギンのぬいぐるみよ。ほら、これリュックになってるの』

と、誇らしげにペンギンの背中のチャックを開け閉めしてみせた。

なぜか母は私にペンギンのぬいぐるみリュックをプレゼントしたのだ。

『名前は¨ロドレゲフ¨よ。』

『変な名前。』

『この子を相棒にしなさい。これからどこへ行くにも背負ってつれていくこと!ちゃんと名前も呼んであげてね。』

『うへぇー』

私は訳がわからないまま、試しにそのペンギンを背負って鏡を見てみた。背中にダランと首を下げたペンギンが見えた。それを背負っている苦笑いした自分も。私は恐る恐る聞いてみた。

『¨これ¨を背負っていくの?』

『ロドレゲフちゃんだってば。』

母は無理やり学校に行かせることはしなかった。行けそうな時には行って、しんどくなったら気晴らしに出掛ければ良いと言った。但しあのペンギンは必ず持っていくこと。

                       *

私はペンギンの背中のチャックを開けて、飲み物、お財布、タオルを入れた。キュッとチャックを閉めると、辿々しくペンギンを背負って自転車に跨がった。

『行ってきます』

『ロドレゲフちゃんも行ってらっしゃい。』

私は何故か笑顔の母に見送られながら、自転車を走らせた。背中に何者かの温かさを感じながら。

こうして私はペンギンの『ロドレゲフ』を連れて出掛けることになった。端から見たら、昼間からぬいぐるみを背負った少女が自転車に乗ってウロウロしている状態である。この珍妙な格好に、異常な恥ずかしさと情けなさで、私はペダルをガシガシ漕いでとにかく早く走った。

家から大分離れた河川敷に着いた。平日の昼間ということだけあって、ほとんど人はいなかった。私は芝生の坂にしゃがんでペンギンを降ろし、膝の上に乗せた。たまに飛行機が空を通っていく。風だけがソヨソヨなびいて髪が乱れる。

『どうしてこうなったんだろう。』

私はうっかりロドレゲフに話しかけてしまった。もちろん彼女は何も言わない。魔女の宅急便のジジのように、動物が流暢に言葉を喋り出すなんて小説の中の話だけだ。

フワフワの体を抱き上げて、ロドレゲフを抱きしめてみた。ぬいぐるみなのになんだか温かい。本当は私がずっと背負ってきたからなんだけど、不思議と生物としての温もりに感じた。

学校に行くことが当たり前だと思っていた。行けない自分はゲームの脱落者にしか思えなかった。心配してくれる友達はいたのに、私は行けない自分の恥ずかしさで距離を置いてしまった。

『ロドレゲフ。』

名前を呼んでみた。ロドレゲフを抱きしめながら川の流れをただ眺めていた。

                        *

『おかえりなさい。ロドちゃんもおかえり。』

母に行きと同じ笑顔で迎えられた。どこへ行ったのか、何をしたのか、とかは聞かれなかった。

『ロドちゃんと一緒で楽しかった?』

『ねぇ、どうして¨ロドレゲフ¨なの?』

『お母さんのフィーリングよ。』

                         *

それからロドレゲフを連れて色んな場所へ行った。図書館、公園、神社も行った。その場にいたおばさんに『何を背負ってるのかと思ったら、可愛いペンギンさんだったのね。』と話しかけられたこともあった。

小説ならば本来ここで段々元気になって、ロドレゲフのお陰で学校にも行けました。となるのだろうが、残念ながら元に戻る事はなくて、物言わぬロドレゲフを連れた旅はその後もしばらく続いた。

                         *

季節が流れて、あっという間に卒業になった。単位がギリギリだった為、普通の卒業式には出られなかった。私を入れて3人くらいの為に、何日か遅れて卒業式が行われた。

思ったよりも友達が来てくれた。無事卒業できた事を祝われながら、この一年、本当はもっと友達と一緒に出掛けたかったな、遊びにも行きたかったな、と思った。

『ロドレゲフ』

私はふと思い出した。この一年、私と共に色んな場所に行ってくれた相棒がいた。私に背負われ、何も話さなかったけれど、私の側にずっといてくれたんだ。

ここで、ようやくお母さんがロドレゲフを私に背負わせた理由がわかった気がした。

卒業式も無事に終わり、家に帰ってきて、私はすぐにロドレゲフを抱き上げて抱きしめた。

『ありがとう。ロドレゲフ。』

                        *


どこにもいない。いくら探してもロドレゲフが見つからない。

卒業式を終えて半年辺りが経った。結局何で学校に行かれなくなってしまったのか理由はわからずじまいだったが、充分に心と体を休めることができたからか、私は徐々に回復してお腹が痛むこともなくなった。その頃には仕事も見つけることができた。

ロドレゲフとは卒業してからも2人でお出かけは続けていたが、仕事が始まり慣れない毎日で、休みの日は寝て過ごすようになった。その頃にはほとんど出掛けることもなくなってしまった。

ある日、ロドレゲフを連れて出掛けようとしたのだが、どこを探しても見つからない。

『お母さん、ロドレゲフ知らない?』

『知らないわよ。ちゃんと探したの?』

いつも学習机の横のフックに掛けておいた。でもしばらく存在を忘れていたから、そこに居たのかもわからなくなっていた。

『ロドレゲフ、ロドレゲフ』

呼んだところで出てくるわけもないのに思わず呼んでしまった。その後どんなに探してもロドレゲフは見つからなかった。

悲しい、というより不思議で仕方なかった。うっかり捨ててしまうことなどあり得ないのに、本当にどこに行ってしまったんだろう。

『ロドレゲフは貴方を助けるために期間限定で現れた妖精だったのかもしれないわね。』

『何度も聞くけど、どうしてロドレゲフって名付けたの?』

『お母さんがあのペンギンちゃんを買った時に、頭にパッと浮かんだの。きっとそれがあの子の名前だったのよ。』

『いなくなっちゃった。ロドレゲフ。』

                       *

これが『ロドレゲフ』と名付けられたペンギンの相棒と過ごした少し不思議なお話。

今頃、きっとまたどこかで誰かの相棒になっているのかもしれない。

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