見出し画像

なんでわかってくれないの?

なんでわかってくれないの?
こんなに大変なのに
ちょっと手を貸してくれればいいのに

ちょっと安心させてくれればいいのに
ちょっとしたことでこんなに楽になるのに


どうして気づいてくれないの?
どうして私の思いを理解してくれないの?
こんなに苦しいのに
どうして?どうして?

って今よりうんと若い私は
こんなことをいつも思っていた。


誰かに何かを言ってもらいたくて
誰かに安心をもらいたくて
誰かに支えになってもらいたくて


それが当時の寄りかかってた大半は
恋人だったけど
本当に苦しかった。


私が知らず知らずのうちに
負担をかけて
人に甘えて
寄りかかっていたから
だんだんと人も離れていった。


どうして離れるの?と
当時は全く意味もわからなかったし
その人たちを悪者にして
私は「可哀想な被害者」でいることを選んでいた。


今思えば自分で立つことを放棄してたように思う。


今の夫は依存することも
寄りかかることもよしとしてなくて
自分で立ちなさいという。
できることはするけど
自分でできることも最大限にやりなさいという。


最初はなんて冷たいんだろうと思ったけど
私がこの先、僕がいなくても生きていけるようにと
私が想像もできてないところまで
考えてくれた配慮だったことに
だいぶ後になって気づいたけど。


人間関係において
一番しんどいなと思うのは
「期待」だと今は思う。


絶望するのじゃなくて
がっかりするんじゃなくて
失望するんじゃなくて
健全に境界線を引いて
人と付き合わなければならないと思う。


いま、私が思うのは
他人に求めていたのは
「母親」や「父親」にしてほしかったこと。


わかって欲しい
助けて欲しい
いつでも味方でいて欲しい
理解して寄り添って欲しい


それが叶わなかったから
別の誰かにそれを望み期待する。


ずっと「母親」や「父親」に
叶えてもらえないから
ずっとそれは心の底に残っていて
ぐるぐると人を変え
状況を変えて私にサインを送ってくる。


この人もわかってくれない。
この人も理解してくれない。


でも、今思うのは
わかろうとしないのも
理解しようとしなかったのも
私だったってこと。


子供だったし
その時の頭で考えられることなんて
ほんとに限られているけど
でも一生懸命だった。


うまくいかない時は
思い通りにいかない時は
自分が何か進む方向が違ってるよ
っていうサインでしかない。


何かに気づかなければならない時。


いま、また別のことで
ちょっと苦しい状況になりかけているけど
それもまた何かのサイン。
私が何かを気付けてないサイン。


誰も悪くない。
誰のせいでもない。


自分の選択、自分の決断。
自分の見えてる世界では
確実にそれしかない。


さて、書き出して
自分を整理整頓してみますかね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?