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生きる価値←ペルソナ(中野信子著)を読んで

皆さまこんにちは。

この本は主に筆者の自らを振り返る本です。おそらく他の著書とは趣を異にすると思いますが、それを通して読者を鼓舞する内容につながっていきます。

驚いた

生まれてしまった環境を後から変えることはできない。変えたいものがあり、不足があるのなら、親という他人をあてにするのではなく、自分で自分を育てる以外ないのだということを、嘆息しながら思うしかなかった。

著書にはもう少し詳細が書かれているのですが、なかなか衝撃的な中身です。あの方にこのような歴史があったのかと驚くとともに、なぜかわかりませんが自分を奮い立たせてくれる内容でもあります。

なぜ生きるか

私は、「人間はなぜ生きるのだろう」とか「生きる意味ってなんだろう」としばしば考えていました。ひとつの考えとして、「社会のためになる」という事かな?と思ったことがありました。たとえば高齢者の方で働いていない方であっても、孫やひ孫と一緒に遊ぶことで何かを伝えることが自然にできる。それだけで充分、後世に生きる人のためになっている。

誰にも会わない1日があったとしても、たとえば庭先に花を植えて育てることによって、街行く人の心を豊かにしている。それだって十分人の役に立っている。

そんなふうに思っていたのですが、しかし、私の親が認知症になったことで私の考えは見直さざるを得なくなりました。

一緒に遊んでいても親は孫には何も伝えられなくなってしまった。ましてや今はコロナ禍によって施設の外にも満足に出られず面会も極端に制限されていて、とてもじゃないが生きている=社会のためになる、とは言い難い状況になってしまい、「では生きる価値はないのか? いや、そんなことはあるまい。でも…」と。

それについて筆者は、

生き延びることこそが、生物の基本だと考えている。そして、長く生きたという事実こそが、ゆるぎない実績だとも思う。

その解説についてはここでは述べません。ぜひ著書に目を通してください。

さらに筆者は(働かざる者食うべからず)という言葉について、

私は役に立っていますと言い訳をしながらでなければ生きて言ってはいけない世界。いかにも余裕のない、心の貧しさが濃く漂う言葉ではないか。

と述べています。こういう言及を目にしたのが初めてだったので、よりありがたく感じました。

学ぶことの喜び

筆者は学ぶことの意義についても、自らの体験をもとに述べています。

誰かに勝つために、損をしないために必死で自分を追い立てるようにして勉強するのではなく、自分の世界を豊かにするために、もっと悠々と生きて、物事を楽しむために、余裕をつくるために学ぶのだ。
もし勝ち負けにこだわりたいというなら、学ぶことは誰かとの戦争などではなく、自分との戦いなのではないかと思う。

私もなぜ勉強するのか、と尋ねられたときあれこれ説明するわけですがどうもその説明が長い。これぐらい端的に説明できたらいいな、と自分を反省しました。

数学を学ぶ意味、中学・高校生のときには全然分かりませんでした。世の中のどこに微分積分やサインコサインタンジェントがあるのか、√なんてなければいいのに。なければもっと簡単に数学ができるのに、と思っていました。

でも今は何となく理解できます。

数学は、答えにたどり着くのが容易ではありません。めちゃくちゃ面倒なプロセスを経てやっと答えに行きつきます。その「面倒」は社会に出たら頻繁にあります(しかも答えにたどりつく保証もありません)。その「面倒」と真っ向から向き合いつつ、それにあまり時間を取られず対処しなければならない。

おおいに学べる10代のうちに「面倒」ととことん向き合う。これは社会人になった時の「耐性」につながると思います。

そんな感じで子どもたちに説明もします。耐性が身につけば人生は豊かになり、余裕も生まれることにつながって行くと思います。

論壇の現状

もうひとつ唸ったのは、新自由主義の台頭に関する記述でした。

今の日本の論壇では弱者の声をあえて代弁しようとする論者が皆無に近い状態に調整されてしまっている

誰か「弱者」の声を感情的でなく冷静に意見してくれる方がいないのかなぁ。そう思わされます。

最後に

某サイトでこの本を低評価している人がいましたが、その理由を読んだとき「だったらなぜ読んだ?」「単なる妬みやっかみで低評価しただけじゃん?」と疑問に思うしかありませんでした。

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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