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眺める《海鳴りvol.2》

とある日の地下鉄で満員の乗車、目の前にいる女性のスマホを申し訳ないーーーと思いつつも覗き込んでしまった。
誰かと連絡を取っている様子。
これから会うのだろう。
上部に表示されていた名前は、『ヤマダタロウ』さん。
その方がお相手らしい。めちゃくちゃ気になった。めちゃくちゃ気になってしまった。そして色々なことを想像した。恐らく出会い系と思われ、そして憶測だが本名ではないのだろうと。だけど本当に本名なのかもしれない。この駆け引きに遊ばれてる感じが僕を昂ぶらせる。

そんな風に誰しも簡単に行き交う人々を独断と偏見で判断し決めつけて第三者に話したりしている。
僕らはそうして誰かと比べたり比べられたりしながら生きている。時にはそれが良い方向に向いたり取り返しのつかないことに陥ったりする。
その都度、人々は成長し覚え大人になっていくんだろう。
今もまた目の前を若い男女が話しながら目の前を歩いている。
だけれど二人が付き合っているとは限らないし、これからかも知れないし、もしくは別れる最中かもしれない。それはその二人だけの秘密で二人が育てる時間だ。
僕は交差点が好きで、渋谷のスクランブル交差点は特に好きだ。もう二度と会うことないであろう人達と僅かな数分間を共にしてることにとてもドラマチックなものを感じてる。
これから好きな人に会いに行く人、これから仕事に向かう人、これから病院へ急ぐ人だっているかも知れない、誰かから逃げてる人もいるかもしれない。
それは果てしない数の選択肢がせめぎ合っていて目的が一致している人も何人かはいるのかもしれない。そう考えたらとてもわくわくするし同時に悲しくもなる。無限にある出会いで出会わずして死んでいくだろうし、その時もし声をかけていたら生活がぐるりと変わってたかもしれないのだから。
SNSで出会える時代を幸せと思うし、同時にロマンチックな展開は希薄になってるかと感じるけどそれも時代の流れ。だけれど人間の心はその人にしか持っていないものでその時間、出会いを動かせるのも自分だけなのだから如何に行動できるかだと思う。

年末になるとつくつぐ来年こそは!と思い必ず大きなことが僕を喜ばせたり苦しめたりしている。それはもう毎年の恒例行事で毎回それについて考えてはいるけどすぐに思い出さないようにしている。
他人から見ればどうでもいいことだったり大したことなかったりするのだからその話を持ち出して繰り返しても自分を結果苦しめてることになる気がするから。
「誰かに聞いてもらいたい」は果たして大事な事なのか。
結局その話も玩具のように遊ばれ壊され『人に言えない話』になるのならしないほうがいいし、その想い出に携わった全てのものも汚されるのなら望まないと思うし、大切なものを擦り切るのはいつだって自分からだと思うから。
壊したくないのなら壊さぬように暗いところにそっとしまっておいて強い光を浴びてしまいそうな時は、自分を信じてカバーを上から掛けよう。
そうしたらその想い出はその当時のまま錆びないのだから。

来たる2020年はどんなだろう、何かを望むなら小さな幸せを築き上げて少しでも僕も笑えるように。
そして大事な人が傍に居たのなら笑わせてあげれるように居たい。
僕らの幸せは僕ら自身で作れるし、大切に思う人へは大切にしたいと思えば通じるもの。
小さな事でも相手にとってみたらものすごく嬉しいこともある。
今日もどこかでは白いシーツは汚れベッドは軋み揺れ愛が育まれてる。同時刻に白いシーツは静かに最期を見守り命を見送っている。
そんなこと気にもせずに毎日を送る僕らだけど、そうやって生かされてることに水をあげて乾いた地面に潤いを与えられたらきっと無くしたものは浮かんでくる。

迎える年の瀬を前に雪降る寒い夜はきのこ帝国のラストデイを聴こう。
また来年!



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