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【わたしのこと】からだに疑心暗鬼になる理由

夜10時。頭がピリピリとしびれる。

手先にも同じ感覚。頭痛や手先のしびれはこれまでもあったので気にしていなかったが、今回はさすがに状況が違っていた。

けいれん発作が先月起きても、そのあと病院は行かなかった。2月以降片頭痛もちではないのに、やたら頭が痛かった。

コロナウイルスの心理的影響もあり、思わず♯7119に電話する。

救急車を呼ぶかどうか判断に迷ったときに、看護師さんなどの専門職に相談できる専用ダイヤルだ。

現在の症状を伝えると、

「言葉のもつれもないですし、明日かかりつけ医さんを受診してください。今救急に行っても、専門のお医者さんに診てもらえる可能性も低いです」との返事。確かに。明日病院に行かなくては。

反射的に上司に休みの連絡を入れる。夜遅いのでSNSで。

現状報告の文章と依頼文を打ち終わると、その次の瞬間には

「これって気のせいなのでは?」

「休むほどのことではないのでは?」と疑念と後悔が襲ってきた。

2分ほど前にはあんなに危機感を持って行動していたのに。

もちろん上司は受診を快諾してくれたが、私が謝罪を重ねたので相手に変な気を使わせてしまった。

これまでの記事でも、「自分の身体を徐々にいたわれるようになってきたことと、その経緯」を書いてきた。

だが、私にはまだ呪いがかかっているようだ。

小学校の頃、特にからかいの対象になっていたころは、「おなかが痛い」と家族に泣きついて学校を休んだことがあった。仮病だ。


加えて、本当に体に不調があっても

「最後まで頑張ることがいいこと。障害に負けない子がえらい子」

という刷り込みはまだしぶとく残っている。

こどもの頃にかかった呪いはいまだ解けず、

「これは自分に嘘をついているのではないか?」

「会社に行きたくないという気持ちが先行しているのではないか?」

「その気持ちが、『不調』だと思わせているんではないか?」

「仕事していたら治るかもしれない」

と同じ言葉が脳内を駆け巡るようになった。

自分の体調の変化を認めているのに、それを素直に信じることができない。

なんだか全うな理由がほしくて、健康であってほしい自分と「何か病名がつかないものか」と思っている自分と2人いる。

子宮筋腫が明らかになったときに大きく動揺した記憶はまだ新しいはずなのに。

結果、しびれの原因も分からずじまいで、「ストレス」ということになった。その結果を上司に伝えることもさらに上司に気を使わせてしまうことになりはしないだろうか。また考え込んでしまう。体調不良の理由がわからないことへの不安も重なる。

子供のころの刷り込みと、自分の気持ちそのものへの不信感。

健康で居たい自分と、病名がほしい自分。

2つの自我がせめぎあって、病院にいって何もなかったのに疲れてしまった。

せめて心が健やかに過ごせるようになるには、まだ道のりは長い。


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