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「ちゃんとした大人」を目指しすぎると心が疲れてしまう

時間はきっちり守り、
周囲から信頼され、
仕事は効率が良くかつ正確で、
失敗なんてもってのほか。

そんな完璧なちゃんとした大人を目指していると、心が疲れてしまう。
これは新卒のころとかにありがちだと思うけど、周りの同期や先輩がものすごくきちっとして見える。
わたしもそうだった。

わたしは専門学校から、割と名の知れた企業に就職した。
そこには、驚くほど頭の良い大学や院から就職してきた優秀な人材がたくさんいたし、先輩たちもなんだか立派に見えた。
わたしが彼らと同じ給料をもらっているこの状況、大丈夫なのだろうかと、内心戦慄していた(笑)

今思えば同期は確かに優秀だったけど、そんな差は社会に出て十年もすれば埋まるもので、先輩たちはめちゃくちゃ平凡だった。
もし自分よりみっともないと思えるような人がいたとしても、安心できなかった。
ぼんやりしていたらわたしもあの人のようになってしまうかもと怯えた。
わたしは必死にちゃんとした大人になることを目指し日々を過ごし、自分に足りないものを探しては潰してを繰り返していた。

その結果、自分のことも嫌いになり、会社のことも嫌いになった。
もちろんそれ以外に辛いこと、嫌なことはたくさんあって、いわゆるハラスメントも経験したけど、わたしは自分が鬱になった一番の原因はわたしの考え方にあったと思っている。

わたしはちゃんとした大人になろうとしすぎていたのだ。
もう一度冷静に周りの大人を見てみると、どこにもちゃんとした大人なんていなかった。
みんな結構いい加減だし、仕事ができると思っていた先輩は人に仕事を振るのが上手いだけで本人は特になにもしていなかった。
めちゃくちゃ勉強ができて優秀と褒められていた先輩は、機嫌が悪いと人に当たり散らすような一面もあったし、みんな責任は押し付け合っていた。

わたしが目指すようなちゃんとした大人はどこにもいなかった。
そこで、じゃあちゃんとしなくても良いんだと思えるほど、三年前のわたしは自分に優しくなかった。
この会社には尊敬できる人がいない、ならわたしはこの会社の雰囲気に染まらないよう努力し、わたしが上の世代になったとき会社の雰囲気を作っていけるようにならなくては、と考えてしまったのだ。

なんという理想主義だろうといまこの文章を書きながら驚いている(笑)

そしてわたしはその後いろいろな辛いことを体験し適応障害になるのだが、それを乗り越えたいまのわたしの考えはこうだ。

ちゃんとした大人になんてならなくてよい。
大人はみんな、ちゃんとした振りをしているだけだ。
いまのわたしは自分に優しくをモットーに生きているので、自分とたくさん対話し、やりたいことしかやっていないしやりたくないことはしないようにしている。

わたしは今年の夏でうつのきっかけになった職場を退職するし、その後は企業に勤めることはやめて自分の夢を追うことにしたけど、それで良い。
小さいころ思い描いていたちゃんとした大人ではないけど、このちゃんとしてない人生がすごく面白いし心地よい。

そもそもよく考えたらわたしは幼稚園生のころからまわりから浮いた子どもだった。
空気は読めるけど、読みたくないと思うことが多く、納得していない指示には従えない、頑固で自分の意思がはっきりしている性格だった。
「この歳になってもかよ…」と自分でもあきれるが、わたしは尊敬していない人の言うことを一切聞けないし、どんな立場の人でも公平な見方でしか接することはできない。
この時点でちゃんとした大人(会社員)は無理なんだよね(笑)

大丈夫、ちゃんとしてない大人も楽しいし、ちゃんとしないと決めてから毎日が輝いてる。
ちゃんとするのなんてやめやめ!
わたしは、わたしだけの面白い人生を歩みたいんだ。

うたたね

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