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人に頼ることの難しさと、愚痴を吐く意味

わたしはたぶん、人に頼るのがすごく苦手だ。
それはただ強がりとかいう話でもなければ、自分で全部やりたい性格というわけでもない。
これはいつも書いているより少し、わたしの心の深い部分の話。
だからこそ、書くのに勇気がいるし、嫌な人だなと思われるのも怖い。
でも、これはわたしの課題だと思っているから、文章に起こして整理してみようと思う。

わたしがなぜ人を頼れないのか。
それは、人のことを信頼できないからだ。
相手が期待に応えてくれなかったときに、自分の中でその人に対するマイナスの感情が湧くのが怖い。
わたしは人から嫌われるよりも遥かに、人のことを嫌いになるのが怖いのだ。

頼るの度合が大きければ大きいほど、その思いは強くなる。
だから、わたしが本気で頼れる人は、どんなに期待を裏切ってきても嫌いになることはないと、そう思える人達だけだ。
夫、両親、妹。
数人の親友たち。
それだけしかいない。

たとえば会社で何か嫌なことがあったとき、大きな不満があったとき、会社に頼れる先輩がいたらきっと楽だろうと思う。
わたしが適応障害を発症したきっかけである飲み会も、誰かに上手く助けを求められればもっと別の状態になっていたかもしれないと思う。
(わたしは飲み会が苦手すぎて、昭和的飲み会が多いうちの会社でやっていけないという不安感からメンタルがおかしくなった(笑))

実際復職してからも、
「もっと人に頼って良いんですよ」
といろんな人から言われてきた。

でも、人に頼るってどういうことなの?というのがわたしの本音だ。
飲み会が苦手なこと、幹事を変わってほしいことは、先輩たちや上司に伝えてきた。
でも、愚痴を聞くような感じで励まされてそれで終わりだ。
職場の雰囲気が悪いことなんて働いている人ならみんな知っていて、メンタルを崩して職場を離れる人は多いし、みんな会社への不満を超えに出して言ってる。

みんな口が言えたらそれで満足なの?
それって具体的になにか解決したの?

わたしは、何も変わらないなら愚痴を言い合う意味すら感じられなかった。
みんな同じことを想ってる、自分だけじゃないと安心感を得られるのかもしれないが、わたしの場合は最悪だ。
なぜこの人達は何十年もこの会社にいて、これだけ不満を口にしていて、それでも何も変わらないのだろう。
そういう考えに陥ってしまうのだ。

実際それは、平社員のせいではないのだろう。
管理職のせいなのかもしれない。

でもなんか、この人達に頼ったところで何も変わらないし、意味ないんだろうなって思う気持ちが湧いてきてしまう。
それなら自分が抱えている不満をわざわざ口にして職場の雰囲気を悪くする必要なんてないし、何もしてくれないことが嫌になってこの人にがっかりしてしまうくらいなら最初から期待してしまうきっかけを作るのを辞めようと思ってしまうのだ。

それから、職場の人に尊敬出来る人、信頼出来る人がいない。
それって普通の人もそうだよね?
わたしが基準が高すぎるとかではなく、たぶんみんな別に信頼とかしてないけど関わりやすいなって人と付き合っていってるんだよね?
(職場が一緒で適応力の鬼の夫も、別に尊敬とか信頼してる人はいないかなと言っていた🤔)

信頼できない人に、どうやって頼ったら良いの?
愚痴=頼るって思えば良いのかな?
やっぱり頼った後に何かの行動を相手に期待するのが良くない?
期待したくないから頼らないではなく、頼ったうえで期待しない世渡り術が必要なの?

難しい、とても。
とても難しくて、わたしにはまだ人を頼るということができない。
いつか、頼れるって思える人がたくさんいる環境を作っていけたら良いなと思う。

ちなみに、わたしのこの「人を不必要に信用・信頼しない」というメンタルができたきっかけは、もちろん学生時代の女子のどろどろ人間関係や、いままでの苦しい恋愛経験だけじゃない。

実は小学三年生のころにコナンにはまっていて、
そのときに読んだ灰原哀ちゃんのセリフが、当時から傷つきやすい性格だった幼女のわたしにものすごい刺さったのだ。

調べてもぱっと出てこなかったので、ニュアンスだけど、
「人間関係のコツは人を信頼しないことよ。そうしたら簡単には傷つかないわ。」
みたいなセリフ。

まさが青山先生も、これが小学生女児に刺さると思って書いてなかったとは思うけど、当時のわたしは人生のヒントを得た気分だった。
実際、学生時代の女子の友人関係は脆いものだったし、わたしには全部作りものに見えていたから。

ちょっと脱線したけれど、今日は自分の嫌な部分を記事にしてしまったなあ。
なんだこいつ変な奴って思われたり、嫌な気分にさせてしまったらごめんなさい🥲


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