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突然、妹が統合失調症になった日。

これはわたしがわたし自身と向き合うために始めたnoteです。

当時高校1年だったわたしに起こった突然の出来事は、

"妹が統合失調症になった"

ということでした。

妹は発症する1年ほど前から、不登校になっていました。

"学校に行きたくない"

始めは、それだけしか言わない妹に対して、

"怠けている"

そう思ったことも何度もありました。

でも次第に妹は、

"いじめられている"と思う

そんな風に言いました。

妹とわたしは自他ともに認める仲良し姉妹で、

わたしが友達と遊ぶ時も、妹は一緒にいました。

妹は努力家で頭が良く、よく笑い、背が小さく、みんなに可愛がられる存在でした。

だからわたしは"姉"として

"妹を守りたい、助けたい"

と、心から思っていました。

毎日妹はわたしに、こんなことが辛かったんだ。などと、話をしてくれました。

わたしの両親は、

"いつまでそんなこと言っているんだ"

という態度を取る時がありました。

わたしは、心の中で両親の気持ちは分からなくないなぁと少しは思っていました。

でもそれと同時に、

"いま妹の味方でいられるのはわたしだけかもしれない。それなら、妹に寄り添いたい"

と思いました。

当時わたしは、高校へ入学したばかり。

友達を作るのにも大変。

女子グループの中でも、目立つグループにいないと、わたしもいついじめられるか分からない。

そんなことを考えながら、高校生活を必死に生き延びようとしていました。

そんな高校生活でクタクタでお家に帰って待っていてくれるのは、家族でした。

ただ、次第に妹の辛い思いを聞くことが

"負担"

になっていました。

そしてその先に訪れたのは、

"家庭崩壊"

でした。

原因は、わたしが妹の話を聞いていた際に、

"冷たい返事をしたこと"

でした。

妹は泣きわめき、暴れました。

そして数日後には、妹は病院に運ばれました。

"脱水症"

になっており、妹は1人では食べることも、飲むことも、そして歩くこともできない状態でした。

妹はこのまま死んでしまうのではないか……

と思うくらいに痩せていました。

わたしは自分を責めました。

でも両親はわたしを責めませんでした。

でもわたしはそんな両親をみて、

"責めたいけど、責める余裕もない"

そんな風に見えました。

脱水症状からなんとか復活した妹は、毎日両親が付きっきりで面倒を見ました。

そしてその後妹についた診断名が、

"統合失調症"

でした。

わたし達家族は、誰も気づいてあげられませんでした。

妹が必死に訴えていた辛さを、分かってあげられませんでした。

だから両親は、妹が脱水症になった時も、統合失調症だと診断された後も現在に至るまで、一切しなかったことがあります。

それは、

"妹を入院させないこと"

でした。

そして始まったのは、

"統合失調症との闘い"

そして

"わたしの孤独生活"

でした。





気にかけて下さり、ありがとうございます*⑅୨୧いつか自分で自分を救える人になります‪𓂃 𓈒𓏸໒꒱見ていてください❁⃘*.゚