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わたしの落とし物…拒食②

◆過去記録

わたしの落とし物...感情の崩壊

わたし落とし物...拒食①


自分が拒食症だと母に打ち明けた時の事をよく覚えている。

母の第一声は、

そうだろうなと思っていたよ

でした。

どうして気付いてたの?と尋ねると、

ガリガリに痩せていくのが分かるから。と母は答えた。

母は、

食べたいと思えるまで無理して食べようとしなくていい。

と言ってくれた。

その言葉には救われた。

だけど、

あなたは、お父さんがパーキンソン病になってショックで拒食症になってしまったんだね。

と母に言われた。

わたしは違う。と言いたかった。

だけど、母をわたしの言葉で否定して傷つけることをしたくなかった。

わたしの言葉で母が自分を責めた時、わたし自身がもっと自分を責めるだろうと思ったから。

だから

本当の理由は、蓋をして隠した。


拒食症だということを心配されたくないから。という理由で隠していたのに、

本当は気付いて欲しかった

だけどそれが言えなかった。

拒食症だった頃から10年も経つが、先日やっと本当の理由を思い出した。蓋をしていた感情を思い出した。

妹が統合失調症になってから、母は妹に付きっきりになった。父がパーキンソン病になって、さらに母は付き添う相手が増えた。寂しかった。

自分も病気になれば、母に心配してもらえる。母に寄り添ってもらえる。

本当はそう思っていた。

でも言えないから、拒食症も隠していたし、本当の理由を隠した。

だから

本当は母が、

わたしの異変に気付いていたのに、

母から声をかけてくれなかったことは、

寂しさを倍増させた。


母に拒食症だと、打ち明けた後も拒食症は治ることなく、拒食症になって7ヶ月が経った頃、

ついに、わたしは倒れた

それが拒食症が原因なんて分からなかった。疲労が溜まっていただけかもしれない。

実際、血液検査に問題もなかった。身体もガリガリだったけど、医者は血液検査に問題ないから、点滴して帰って大丈夫です。と言っただけだった。

朝食だけは少食だったが、口にしていたわたしはその時、

拒食症になりきれなかったんだ。

と自分を責めた。

だけど身体を動かす元気もなくなっていたわたしは、

このまま食べなければ死ぬのかもしれない……

本気でそう思った。

だけど

死にたくない

そう思った。不思議と自然に死を恐れた。

そして、アイスクリームや飲むゼリーなどで、食事を摂る練習を始めた。

そうして7ヶ月間の拒食症に一旦幕を下ろした。

この経験をして言えることは、

拒食症に悩んでいたわたしに、食事をしないことを否定する言葉は

かなりの凶器だと思った。

優しさであることもわたしは分かっているし、食べた方がいいことも分かっている。

だけど、自分で食べれない自分を責めながらも、痩せていく自分を評価しているのだ。

だから

拒食症のような症状だと分かっていても

食べた方がいいという正論は控えて欲しいと思った。


拒食症を否定しないで欲しいと思った。

もしも言葉をかけたいと思えるなら

食欲ない時あるよね。などと、共感することではなく、

どんなあなたでもいいから、

生きていて欲しい。

という言葉に救われた。

実際、わたしは絶望の中にいた時

あなたのお葬式に行くのは、80歳のおばあちゃんになってから。それまでに死んだらお葬式行かない!だから、生きていて。

そう親友に言われた時は

泣くほど嬉しかった。

生きようと思った。

だから生きていて欲しい。という言葉にはとても救われた。

かける言葉に悩んだら、参考にしてもらえると嬉しい。言葉を選ぶ事はとても難しい。状況や場所に寄って全く別の意味で捉えられる時もある。

だから

参考までに

という締めくくり方をしたい。

わたしには救われた言葉が、誰かには救われない言葉にもなるだろうから。

そして、わたしに生きていて欲しいと声をかけてくれて、わたしを救ってくれた親友は

今はもう親友ではない。


わたしは親友から

友達をやめたい。

とある日突然言われた。

そして本当に親友でもなくなったし、友達でもなくなった。


その話しは、次の記事にします。




気にかけて下さり、ありがとうございます*⑅୨୧いつか自分で自分を救える人になります‪𓂃 𓈒𓏸໒꒱見ていてください❁⃘*.゚