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初めて会った父親とか

このあいだ、人生で初めて父親に会った。

なんで会ったかというと、危篤らしいよってことで呼び出されました。のっけからハードモード。がっつり入院してて、意識朦朧としてる状態で初・対面を果たした。

初めてとか言ってるけど、実際は2歳半くらいまで一緒に暮らしていたらしい。でも特に自分の中の記憶には無い。多分父親だなって記憶は一つだけあって、すごい逆光でこっちに話しかける感じのシルエットが父親かなって小さい頃から覚えている。それっぽい唯一の記憶。
でもま、だから、自分の中では初対面。

危篤って感じのそんなハードモードだったけど、今はもう全然元気な感じで、よく分かってないけど。ま、リハビリ頑張れば大丈夫なのかな?
何回かお見舞いに行ってて、今はもう普通に話すことも出来る。
意識朦朧としてたのが初対面だから、しっかりとした印象は無くて、初めてちゃんと話した日に印象を覚えた。その時病室にあった、「黄昏流星群」を少し読みたかったのも覚えてる。

それで、この文章を書き始めた動機としては、自分と父と母が住んでいた街を回ってきました。そのことを書いておこうと思ったからです。
18年とか19年前の記憶を、母が思い出しながら自分に教えてくれながらの散歩。

最初は保育所に行った。
2歳半までここに通っていたらしくて、ここの砂場で砂をたくさん食べまくったことがあるらしい。保育士さんが幼い自分の口にホースを突っ込んで、洗浄したらしい。面白いな、その光景。アバババってなってたでしょ。
そこの保育所から近所にある公園にも行った。そこの公園には池があって、そこで鴨にパンとかをあげていたらしい。
行ったその日も鴨が5羽くらいいて、大きい鯉が何匹か泳いでいた。なんか犬小屋みたいなのがあって、なにが住んでるんだろうと思って、見に行ったら、木に隠れて見えなかったけど、小屋の近くにでっかい鳥が座ってた。鴨とか鳩とは違う、嘴がオレンジで、ちょっとした腰掛けくらいのサイズの鳥。でっかかった。なにあれ。
そこからしばらく歩いて、父親がいる病院に行った。リハビリをサボってるらしいから発破をかけるために行ったら、なんか血圧が一定以上無いとそもそも出来ないらしい。だから柔軟とかくらいしか出来ないらしい。頑張れパピー。
お見舞いのあと、お墓参りに行った。母が、「この人とこの人が、あんたのおじいちゃんとおばあちゃん」って墓誌を見ながら教えてくれたけど、平成7年と9年に亡くなってるってことは、俺の顔を一回も見たことがないってことで、妊娠してることも知らなかったってことか。
「はじめまして、孫やらせてもらってます。ども。」みたいな挨拶しかできなかった。
そっからもう帰る感じで歩いてたら、布団屋さんがあって、母方の祖母が買ってくれたらしいあの小さい布団は、この布団屋さんで買ったらしい。まだ家でも使ってる。黄色い可愛いカバーから変わったけど、母の布団の高さ調整に使われてる。

そんな感じで住んでた街を巡った。駅前にあるマンションに住んでたらしいけど、一切記憶にない。幼児の自分が初めて立った写真に写ってる部屋の風景は、多分このマンションの中のどれかの部屋なのかもしれないけど、まあいいか。

この日食べたトンカツ屋さんのキャベツと味噌汁が美味しかった。トンカツは普通だった。

終わり。


お読みいただきありがとうございました。