20年以上住んだ家が無くなる
タイトルのまま、自分が20年以上住んできた家が無くなるらしい。古いアパートだが自分は最高に住み良いと思っている。「無くなる」ことは、ここ数ヶ月でほとんど確定になっており、あとは今後一年のどこかで通知が来ることで最終決定となるらしい。
今回この文章を書こうと思い立った理由は、あまりにもこれに関する夢を見るために、ほぼ毎朝ふんわり悲しい気持ちになるからだ。
つまり、弔いのように自分の感情を葬りたいがために書き始めているが、なんか既に弔えないなって予感が去来している。最後にはその現実と向き合うことで前へ進む〜みたいな展開になっても、それはそれで良いかなとも思う。とにかく、この澱のような歪な気持ちを適切な形に整える必要があると考える。
最近よくみる夢にはいくつかのパターンがある。
❶全く違う場所で同じコミュニティの仲間と生活をしている
❷今住んでいる家の周りがガラリと変わっている
❸今住んでいる家が変化して出現する(例:隣の部屋に住んでいたり、階が増えていたり、向かいに出来た新しい家に住み今の家を眺めていたり)
どのパターンも今の家のことを考える時間が出現する。大体が明晰夢であり、じゃあ行ってみようと家を見に行くと、知らない誰かが住んでいたり、室内には何も無かったりする。普通に引っ越していたら当たり前の景色でも、とんでもない勢いで殴られたような衝撃を受ける。
ただリアルにおける自分の家は建て壊しをする時期を待っているのであり、このような風景は将来持ち合わせていないはずだが、跡地にはマンションや一軒家が建つかもしれない。もしそうなった時にも、殴られたような衝撃を受けるのだろうか。
いわゆる、「何々があったこの家が無くなるなんて、」みたいなエモいことを言うには、言葉じゃ足りない気もする。
ただ、自分はまだこの家に住んでいる。また無くなった頃、この言葉の続きを記したい。
もちろん、無理に感情を整理しなくていいし、未来を弔うなんてことは雲を掴むようなことかもしれないとも思う。
【書こうと思ったけど、書かなくていいやと思ったこと】
・コロナ禍で、みんな足踏みしているから、自分も心置きなく足踏みをしようと思った瞬間や主観のこと。
・3.11から10年経ち、陸前高田のことを考えている。全てを超えた単位で街や市が家族ごと流されたこと。
・私や公より巨大なものについて。
(この文章は、2021.4.2のこの家から発信しました。)