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モヤモヤの 正体見たり

相手の何気ない言葉に反応して、しばらく引きずることがある。

会話の後、その言葉がずっと頭から離れず、意外とショックを受けていることに気付く。

こんな言葉に傷つくなんて、やわだなぁと呆れる気持ちと、

傷ついたのは確かだから、本音をしっかり受け止めなければ、と思う気持ち。

ある言葉をきっかけに始まったモヤモヤを、今日は手放したい。


先日、仕事上でミスが発覚した。

システムの設定が原因で、それは私が入社する前から設定されていたものだった。
その設定ミスにより影響を受けた人が一人いて、その人から問い合わせを受けて発覚したのだった。

過去に発覚しなかったのは、今まで該当する人がいない、レアなケースだったから。

現担当者の私は、その人にお詫びのメールを送った。
設定ミスにより不利益を被った分については、翌月調整しますと。

最後に、〆の言葉として、「今後は再発防止に努めます」的な一文を添えた。

お詫び文のテンプレみたいな感覚で、とりあえず載せた一文だったが、

CC でそのやり取りを見ていた上司に、「バカ丁寧にあんなこと書かなくていいよ」と言われた。

再発防止に…のくだりについて。

「具体的にどう防止策を立てるんだ、とか突っ込んでくる人間もいるからね」と。

確かにそんなケースもあるだろうから、メールの文章には注意が必要だ。

それはそれとして、上司とのやり取りの中で、いちばん刺さったのは、「バカ丁寧」って言葉だった。

言われた瞬間、「あ、喰らったな」と思った。

案の定、仕事からの帰り道も、家に着いてからも、その言葉を反芻している自分がいた。

傷つく、と自ら書くのは恥ずかしいのだが、実際傷ついていた。


バカ丁寧とか、バカ正直とか、バカ〇〇がつく言葉っていうのは、大抵「やらんでいいことをわざわざする」さまを言い表している。

バカ丁寧とは、過剰に丁寧だということ。

この言葉に反応する理由について考えてみた。

言い回しそのものより、「相手とのコミュニケーションのさじ加減が分かってない」って指摘されたような気がして、ショックを受けたのでは。

この理由がいちばんしっくりきた。


ひととのコミュニケーションや距離感の取り方といった、目に見えない分野で起こる出来事は、相手のあることだけに正解がわからない。

だから常日頃、非常に気をつかう分野でもあるし、割とうまくやれていると思っていた。

それが、良かれと思ってしたことが、端から見たらやらんでいいことだったと指摘を受け、撃沈。

モヤモヤの発生原因はきっとそこだ。

正体見たり。


こうして書いている間に、モヤモヤはみるみる小さくなってきた。


もう手放せそうなので、気持ちを文章に書く効果って大きいなと実感している。

三連休、心穏やかに過ごせそうだ。


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