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無駄な時間を大切に。
私は平日昼休み中にランチのため外出し、今川の中で泳ぐめだかと海藻(川なのに)を眺めている。
言葉にならないが、とても良い気分だ。
その川はこんな感じ。めだかを撮る技術は私にはなかった。
ここは大島と亀戸の間あたりのとある高架下。高架下に川があるのは江東区だと珍しくない。
この川のつくりは極めて人工的だがセンスがあるデザインだ。
驚くべきは、海藻のようなものが生い茂り、めだかが数十匹泳いでいる。
数十秒眺めたあと、ふと仕事でやるべきことが頭にフラッシュバックする。
「こんな無駄な時間を過ごしている場合じゃなかった。」
そう思い急いで帰路に着く。
歩きながら、「明日や週末早起きしてまたあの川行きたいなあ」と考えるが、無駄な時間であるため葛藤する。
その時こう思う。
「めだかを眺める時間が無駄だって?朝7時に起きて自作のコーヒーを飲みながらめだかを眺める。最高な時間だ。嫁も誘おう。」
〜閑話休題〜
無駄な時間を大切に。その時間は世間様にとっては無駄でも、あなたにとっては大事な時間かもしれません。
あらゆる価値観は時代を経て変わっていく。
とりわけ現代のあらゆる価値は金銭基準で語られることが多い。
オリンピックを延期する場合の経済損失は?
自分自身の転職市場での市場価値は?
会社の時価総額ランキングは?
金銭価値を重視するこの時代で生きていると、金を生み出す時間を増やすために、金を生まない無駄な時間を減らすことが肝要だと喧伝され、常識の如く身体に染み込む。
しかしめだかを見ていて思ったが、浅い直感に従ってめだかを見るのをやめるべきではない。この時間は誰にとって価値があり、誰にとって無駄なのか、今一度考るべきだ。後ろめたく考える必要はない。
金銭的な価値は多くの人間がもつ最大公約数的な価値観に過ぎない。
最大公約数的な価値観を、自分の最も重要な価値観と誤認すべきではない。
めだかを眺める時間は地球上の60億人に価値がなくても私には価値があるのだ。
だからまた、あの川へ寄ろう。
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