しがらみのない癒やし。カウンセラーさん。
私は定期的にカウンセリングを受けている。
カウンセリングを受けるたびに、自分の気持ちを言語化して聴いてもらえることや、傾聴してもらえることをとてもありがたく思う。
そして特に、カウンセラーさんと自分に「何のしがらみもないこと」という要素に強く強く癒される。
日常にはしがらみがつきまとう。
私はこのしがらみがどうも苦手で、なぜこんなに苦手なのだろうと深掘れば、自分の生育歴に突き当り、考えるとどうにもこうにもとても苦しくなるので、そんな時はその深掘りを至急やめる。
苦しくなるほど、ひとつのことを考えることはやめたほうがいいとわかっていながら、思考は常時走るので困る。
しばらくひきこもる二男と話していない。
不安定になり荒れているこの頃、接触を試みても、全てを悪意に解釈されてしまうので、ここは距離をとり、距離と時間に今を癒してもらうしかないと思っている。
そして誰か、息子の話を聴いていてくれたらいいな、と思う。
親では無理なこともある。
思春期はむしろそんなことだらけ。
親の私は息子にとって
矛盾と不条理の象徴みたいな存在なのだろう。
などと私と親との関係を息子に投影して、勝手に想像している。
きっと他者との言葉のやり取りが、今の息子の思考を癒やしてくれると願う。そして、音楽や、本や、動画や、ゲームや、きっと何かから支えてもらっている、と思う。
何のしがらみのない存在に。
いつかきっと、ややこしいしがらみが自分をささえてくれていることも、また知る時がくるかもしれない。
世界は優しいことを、子育てで私はなかなかうまく教えられなかったな。
不登校子育てを通して、私は世の中からたくさんの優しさをもらって、そして支えられている。
私もいつか、何のしがらみのない存在として、誰かの話を聴けたらいいな、と思う。
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