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私の好きなもの【それは洋服】VOL02

以下リンクの記事の続きになります。(自己都合で投稿期間が空いてしまいましたが、ご覧いただけると嬉しいです。)

高校生までは、洋服へのあこがれがあったものの、無理なくできることには限界がありました。そんな中、大学生になってからはアルバイト代と奨学金で一人暮らしをすることになり、資金が潤沢でないものの、使えるお金が増えたことで、たまっていたもやもやが爆発しました。

そのとき手を出したのが古着でした。
古着に最初に手を出した理由はありきたりですが、主に2つです。

1つ目は、当然、価格面です。
古着といっても様々で、ファストファッションより安いものから、ハイブラより高いヴィンテージまで幅がありますが、当時は、ファストファッション~セレオリくらいの価格帯で結構いろいろなものが買えたような印象でした。(USやユーロものだけでなく、インポートやドメブラのリユース品も古着ですからね。)

2つ目は、他人と被らないことで、これが最も大きな理由でした。
そもそも、洋服に興味を持ち出したきっかけが、印象をよく見せたいというもので、当時は決して見た目が良くない自分をよく見せるのに、他の人と同じことをしても劣るだけなので、差別化しないといけないという価値観がありました。(自分をよく見せたいのにこの価値観は悪手なのですが、結果的にはどうでもよくなります(笑)。ちなみに現在も差別化したいという価値観は残っています。)
その前提のうえで、周囲の同級生、先輩、後輩たちの服装を俯瞰したとき、古着が被りのないジャンルだったこと(周りは、ファストファッション、アダストリア系(レイジブルーやハレなど)、セレオリで網羅されるという感じでした。)、さらには、自分の足で買い物できる範囲に古着の町があったというのもあります。

このような動機で古着に手を出したのですが、古着を買っていくにつれて徐々に趣向が変わっていきました。

古着屋では、洋服への知見が深い店員さんから接客の際、その洋服にまつわるバックボーンを詳しく説明されることがあるかと思います。
私はその話を契機にプロダクトとして洋服に興味をもち、さらに、購入した洋服を眺め、そして身に着けることで、洋服による印象の変化とそのバックボーンを同時並行で肌身に感じることで、洋服に一層魅了されていきました。
今ほど古着が高騰している時代でなかったので、この一連の流れを、体験しやすかったのかなと思います。そして、このような思わぬ形でいつのまにか洋服の沼にはまっていきました。

あえて極端に表現しますが、このタイミングで私は、古い時代にしかない背景で作られた洋服は、当時の時代背景や製法などが評価に影響するであろう美術品のようなものと類似した形で、プロダクトとしての価値が見いだせるようにさえ感じていました。
(注意ですが、同じような理由からプロダクトへ価値を見出せるのではと私は感じたというだけで、美術品と洋服の優劣の話をしているわけではありません。)
また、洋服は、身に着けることで人の印象を変える力を兼ね備えている点が特異だとも感じており、私にとっては、この点がプロダクトとしての魅力をさらに増しているような印象を受けました。

こうして、大学生1~2年生のころに、古着を通してプロダクトとして洋服が好きになり、その価値観は現在になっても大きくは変わりません。

一方で、印象を変えることができる点にも魅力を感じると記載している時点で、前回言及したファッションが必ずしも好きというわけではないという点への説明が不足していると思いますので、その理由を補足します。

本題に入る前に、私の中でファッションは「洋服や服飾雑貨などの組み合わせ」を言葉の中に包含している表現だと思っており、その前提で文章を続けます。

理由の1つ目は、自分がプロダクトとして魅力を感じたものを身に着ければ、自分にとって必要な印象の変化は、組み合わせをよく考えなくても、簡単に得られたからです。
そもそも、洋服へプロダクトとして魅力を感じた時点で、私が求める印象の変化は、異性や同姓へ良い印象を持たれたいというものから、自分自身が洋服を着た姿を見て納得する様相であればいいというなんとも自己中心的なものに変わっていました。
その時点で、自分の好きなもの身に着けていれば、おのずと自己満足が得られるので、組み合わせにまで興味を持つ必要がなかったというわけです。

2つ目は、単にファッションセンスがないからです(笑)
空間認識能力が昔から欠如しているからか(例えばですが、小さいころから算数・数学は得意でしたが、空間図形問題だけ異様にできませんでした。)、レイヤードやサイズ感への理解がすこぶる悪いことに加え、色彩感覚もなく、デザインや色の組み合わせ能力がも欠けているので、単にそこに労力を割くことが好きになれなかったです。

こうして、洋服は好きだが、ファッションは至極適当という変わった人間がここに誕生しました。

以上で、プロダクトとしての洋服が好きということへ、大雑把には言及できた思っていますが、そのうえで、”自分にとっての洋服への価値観”というものがまだ他にあるので、次回は時系列に沿って、そのことについて書いていくことで、自分の服好き遍歴を肉付けしたいと思います。

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