一滴の自尊心さえあれば。「哀れなるものたち」
手持ち無沙汰な時、ついスマホのパズルゲームを開いてしまう。指定回数でクリアできないとゲームオーバーになって、またはじめからやり直す。ゲームアプリに慣れっこになってしまった日々を過ごす自分に、この映画は「人生ってやり直せないんだよなぁ」と当たり前のことを思い出させた。
人の一生は書いて字の如く、一回しかない。だから、この映画はとことん夢見的で、フィクションの極みだ。エマ・ストーン演じるベラが纏う装飾的な衣装も、エンドロールの最後に至るまで徹底された絵画のようなカラーリングも、すべてが"これは夢物語です"と言わんばかりに鮮やかで豪奢でユニーク。(ちなみに、衣装デザインはフローレンス・ピュー主演『レディ・マクベス』のホリー・ワディントン、ヘアメイクは『クルエラ』のナディア・ステイシー、プロダクション・デザインにはティム・ウォーカーと長年タッグを組んできたショーナ・ヒースが名を連ねる)
そんな"if = やり直しの人生"を生きることになったベラは、1人の女性としてこの世界に生まれ落ち、自分の欲求や社会のルール、ひいては人生哲学までもを経験していく。彼女は規律や社会通念の無意味さに、気持ちいいほどとても素直に自分の意思を表示する。大人(men、男)は眉を顰めながらも、結局彼女の魅力には抗えず「許してやる」と上から目線で曰うが、ベラからすれば、自分が悪いと思っていないことを勝手に許される意味がわからない。「許す」という言葉を使っていいのは、双方にそれが悪いことだと自覚がある時だけだ。
フェミニズム、キリスト教、性と幼児体験というフロイト精神分析的モチーフは、とても明快でわかりやすく表現されている。
今でもたまに「フェミニズム映画は女性監督の専売特許」のように思っている人を見かけるが、こういう作品を観るとフェミニズム映画を撮る側の性別議論がいかに無意味なことかと思えて、個人的には大変気分がよかった。(同性だからこそ見える景色があることもまた否定しない。それだけが唯一の正解ではない、と思っているということ)
さて、勝手に人生をリスタートさせられたベラは”哀れなるもの”だったのか?
映画のあらすじだけ読んだ時と、観終わってからの答えはきっと変わるだろう。登場人物全員、この映画を笑いながら観ている私たち観客も含めて、みなが”哀れなるものたち”に思えてくる。”哀れなるものたち”は、滑稽で頑固で、今更劇的な変化は望みようもないけれど、とりあえず毎日頑張って起きて呼吸して、曲がりなりに進歩しようとしている。
ベラを観ていると、人は自尊心を失った瞬間に哀れになるのだと知る。逆を言えば、自尊心さえ失わなければ、少なくとも自己憐憫的な意味では哀れなんかじゃない。
エンドロールが終わって映画館の明かりが点いた時、言いようのない高揚感に駆られた。一滴の自尊心さえあれば、大丈夫。明日はちょっとだけ自分に、周りに、やさしく接してみようと思えるかもしれない。
「哀れなるものたち」(原題「Poor Things」) 142分
公開:2023年(2024年1月26日 日本公開)
出演:エマ・ストーン、マーク・ラファロ、ウィレム・デフォー他
監督:ヨルゴス・ランティモス
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