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超短編小説:夢を見ていた。

 ショッピングモールの不自然な空間に何があったのか思い出したのは、買い物を終えて店を出てからだった。
 あそこには昨日まで、雛人形が飾ってあったのだ。まだ三月の四日だが、もう片付けたのか。頭に浮かぶあの空間が寂しい。

「私ね、雛人形はできるだけ立派なのを飾りたいの」
 昨日までの記憶と紐付けられたのか、もっと昔の記憶が蘇ってきた。あの子の屈託のない笑顔と明るい声。
「もし私たちの子どもが女の子だったら、絶対に毎年飾ろうね」
 大学生の頃付き合っていた恋人は、そんなことを恥ずかしげもなく言う人だった。
 そういうところがたまらなくくすぐったくて、たまらなく愛おしかったのに。

 いつからだろう。
「男の子だったら五月人形ね」
「しっかり飾れる広いお家に住まなくちゃ」
「マンションでも良いけど、できれば一軒家がいいな。お庭のある」
「桜か梅を植えたいな」
「大きな犬も飼いたいの」
 瞳を輝かせて恥ずかしげもなく夢を語る君が、たまらなく鬱陶しくなってきたのは。

 初めは僕も、恋人の夢物語を楽しんでいたのだ。むしろそれを聞きたくて、大学を卒業したらどうしようか、なんて二年もあとのことを尋ね、恋人が語り始めるのを促していたくらいだ。
 恋人はきっと、僕との将来を真剣に考えていた。僕も。でも所詮、大学二年生の考える『真剣な将来』なんて知れている。飲めるようになったばかりの酒のつまみに、うっとりするような、胸やけするような、まぶしい夢を語るくらいのもんだと、そう思っていた。
 だから庭に大樹を植えたいとか犬を飼いたいとか、そんなことで僕は満足して、未来を考えているつもりになっていたのだ。

 しかし、どうも僕と恋人の考える『真剣な将来』は少し違っていたらしい。
「仕事は辞めたくないな」
「福利厚生がしっかりした職場にしなきゃ」
「男の人も育休って取れるんでしょ?」
「どちらかの実家には近い方が良いよね」
 恋人の語る夢が、少しずつ少しずつ、現実味をおびたものになってきた。
 その頃には僕らは大学三年生になっていて、確かに、将来のことを真剣に、具体的に考えなくてはいけなかった。
 だから『真剣』でありながらも遠くにあると思っていた『将来』が思ったよりも近くにあると気付き、僕は怖気付いたのだ。
 
 僕には『真剣な将来』を『具体的な将来』にする覚悟など、なかった。

 恋人が夢を語るたび、不快感を抱くようになり、僕はそれを隠さなかった。
 当然恋人は僕の変化を察した。そこで考えた解決策が、より楽しそうな将来を語る、ということだったらしい。
「ふたりで旅行に行きたいね」
「記念日はちょっとお洒落なところに食べにいかない?」
「誕生日、何がほしい?」
 しかし、その夢が楽しそうであればあるほど、僕は逃げ出したくなってしまったのだ。

 逃げ出した僕を、恋人は最後まで追わなかった。今も憎んでいるだろうか。恋しく思っているだろうか。わからない。

「あそこの雛人形、綺麗だったけど片付けちゃったのね。私、あんなのを飾りたいな」
 声がして、反射的に振り向いた。
 どうやらすれ違った男女の会話らしい。
 僕は何を考えているんだろう。一瞬でも、かつての恋人の声かと思ってしまうなんて。
 知らない後ろ姿を見ながら、僕は胸の中で自分を嘲る。十年近く前の恋人を思い出したのが久しぶりなのかどうかも、よくわからなかった。






※フィクションです。
 夢を見ていたのは、どっちだ。




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