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短編小説:ハッピーエンド

 好きだった男が結婚した。
 突然「久しぶり!元気?」というLINEが届き、他愛もないやりとりを続けた後、「実は結婚したんだよね」という報告があった。
 長いこと拗らせていた片想いだ。大学の四年間まるごとと、社会人になって二年弱ほど。いつかこんな日が来るだろうと覚悟していた。覚悟しつつも、きっとショックを受けるんだろうと諦めていた。だから、冷静な自分に驚いた。社会人二年目の秋、彼に恋人ができたと知り、正式に片想いを終えたつもりになっていたが、『つもり』ではなく、本当に終わっていたようだ。

 彼に出会ったのは、大学一年生のとき。ひとつ上の先輩で、新歓の席が近かった。俳優としても活躍している男性アイドルに似ていると思ったのが第一印象。明るくて会話が楽しい。だけど、どこか掴めない飄々としたところ。恋愛経験の乏しい大学一年生が惚れるには、じゅうぶんすぎた。
 彼は、大学から自転車で二十分ほどのところにある小さな塾でバイトをしていた。小中学生対象の、塾というよりは学童と言った方が良さそうな、自由な雰囲気だった。大学一年生の秋の終わり、人手が足りないと言われ、二つ返事で私もバイトを始めた。
 もちろん私は、そこで彼との距離を縮めていったのである。

 デートらしいデートなんてしたことはない。でも、カラオケに行ったり、飲みに行ったり、同級生よりもはるかに彼といた時間の方が長かったように思う。
 彼は実際、私のことをどう思っていたんだろう。
「先輩って、どんな人が好きなんですか?」
 薄汚れた居酒屋で尋ねた。二十歳を過ぎていたから、大学二年生の冬ごろだろうか。彼はウイスキーフロートのグラスを下品にカラカラ回し、少し考えた後に
「わかんない」
 と答えた。
「わかんない?」
「そ。俺、恋愛したことないんだよね。あんまり興味無いっていうか」
 恋人とかいたことないし。とつぶやき、すっかり混ざって「ウイスキーの水割り」になってしまったグラスの中身を飲み込むと、ハッとした顔をして
「童貞ではないけど」
 と付け足した。
「その情報はいらないです」
「いや、一応、ね?」
「ふうん」
「だから、別に恋人が欲しいとかは思ってないかなぁ」
 嘘ではないと思った。
 彼の言葉が嘘なら、私を拒絶しているだけになるから。
 実際、在学中彼に恋人ができることはなかった。私はというと、好意を持ってくれる人に出会い、好きになったり付き合ったりもしたけれど、やっぱり心の奥には彼がいた。

 彼は私を「親友みたいなもん」と表現した。恋人でもない。親友でもない。それで良かった。曖昧でありつつも「親友みたいなもん」という特別な括りがあって嬉しかった。
 大学を卒業してからも、ときどき連絡は取り合っていた。そして社会人二年目の秋、彼に恋人ができた。
 LINEのホーム画が、寄り添うふたつの影になっている。アイコンが、誰かに撮ってもらった彼の後ろ姿になっている。こういう写真というのは、なぜなのか、撮ったのが家族なのか友人なのか恋人なのかわかるものである。ああ、恋人に撮ってもらったんだ。
 私は「親友みたいなもん」の権利として、彼に「アイコン変わってますけど、彼女できました?」とLINEを送った。ずいぶん時間が空いた後、「ばれた?笑」という返事が届いた。
 ガッカリしたのは、彼に恋人ができたことではなく、良い大人なのに『恋人ができた』と察することができるような画像を設定していたことだった。掴み所がないのが彼の魅力だったのに。
 恋愛、するんじゃん。
 あの居酒屋での言葉が嘘だったのか、社会に出て気が変わったのか、よっぽど魅力的な女性だったのか、そんなことはわからない。どうでもよかった。
 こうして私の長い長い片想いは終わったのである。

 そして、今日の結婚報告。彼に恋人ができたと知ってからやりとりはしていなかったから、一年以上ぶりのLINEだ。
「そうなんですね!おめでとうございます!」という私の返事は、本心だ。
 不思議だった。少しも痛くない。まあ、もうそんな歳か、と思ったくらいで。恋がきちんと終わるかどうかは、その期間とは関係ないらしい。
「そっちは、なんかないの?」
 すぐにスマホが震えて返事が来た。なんか、って、何。
「ないですよ」
「そっかー。ま、なんかあったら教えて!」
 はいはい。教えないけど。
「了解です。機会があったら、またみんなで集まりましょう!」
 その『機会』が来ることがないと、薄々気付いている。気付きつつも知らん顔することが、大人には大事ってことも。
 スマホを置いて、冷蔵庫から金麦を取り出した。
 金麦といえば。
 彼とよく飲んでいたっけ。

 彼とはよくカラオケに行った。大学近くの持ち込みOKのところで、「ドリンクは金麦縛り」とかいう、治安の悪いことをしていた。
 アルコールとモンスターエナジーを大量に買い込んで行ったこともある。バカで元気だった。
 ハチ名義の頃から米津玄師が好きだったという彼は、よく『ゴーゴー幽霊船』を歌っていたっけ。「どうせ『Lemon』しか知らないんだろ」と煽ってくるから『パンダヒーロー』を入れてみると、「やるやん」とつぶやきながらニヤニヤしていた。そのあたりから「一曲目はパンダヒーロー」という定番ができた。
 Neruの『脱法ロック』を毎回歌うけど、毎回サビの転調で迷子になることとか。
 UNISON SQUARE GARDENの『シュガーソングとビターステップ』で「蓋然性合理主義」とか漢字の多いところはなんとなく誤魔化して歌ってたとか。思い出すと、自然と口角が上がってくる。
 懐かしいな。
 しょーもないな。
 楽しかったな。

 楽しかったな。
 楽しい恋だったな。

 そっか、楽しかったんだ、私。
 だからスッキリ終わったんだ。

 成就することだけが、恋のハッピーエンドじゃないでしょう。こうやって、楽しい思い出になってるんだから、じゅうぶんだ。
 スマホが震えた。
「いいね!いつでも声かけて!」
 メッセージと、ウサギが親指を立てているスタンプ。私は既読だけつけて返信しなかった。たぶん、これで、終わり。
 今気付いたけれど、アイコンは彼の後ろ姿ではなく横顔になっていた。
 改めて見てみると、初めて会ったときに似ていると思ったアイドルとは全然違う。アイドルの方がずっとかっこいいじゃん。
 心のなかでそのアイドルとファンに謝ると、私は思わず笑ってしまって、勢いで金麦を飲み干した。





※フィクションです。
 出てくる楽曲。作中は敬称略。





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