【結婚のかたち】核家族がしんどかった10年の経験から、一夫多妻制を想う
あなたは一夫多妻制、と聞いてどんなイメージを思いうかべるだろうか?
ハーレム?男のエゴ?…そうでもないよなぁ、と結婚子育て10年を経て思っているので、その思考の一端をシェアしたい。
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イスラム教徒の夫と一緒になった。
縁あって。
夫は6人きょうだいの長男で、下に弟1人と、妹が4人いる。彼の実家では義理の母・甥っ子・お嫁さんを含めた8人ほどが一つ屋根の下で暮らしている。うち、6人が女性。いや、今は7人か?――それはきっと大きな問題ではない。
肝心なのは、この女性たちが楽しそうだということだ。
特に4人姉妹である義理の妹たちは、皆で通販の服を注文して届いたと言えばファッションショーよろしくキャッキャしていたり、Whatsupp(日本のLINEにあたるクローズド系SNS)の姉妹専用グループでとりとめのない近況や料理・メイク動画や映えるカフェの投稿等々をシェアして盛り上がっていたり…
とにかく楽しそう!!
家事も「男がやってくれない」なんて嘆く暇もなく、義理の母を筆頭に、料理なら下ごしらえ・テーブルのセット・皿洗い・(それから床のモップがけや五徳のエブリデイ分解掃除!)まで、まるで隊列でも組んだように見事にその日に応じて手分けされ、あっと言う間に完了する。そして、その間お互いと談笑したりしなかったりして、家事が終わるとお茶やスィーツを広げてやっぱりおしゃべりして、やっぱり楽しそうなのである。
「孤独感とは無縁の家事だなぁ…!」
ビザの関係で結婚6年目にして初めてあちらの家族に会い、その、同じ家に女がたくさんいることの、華やかで楽しいさまを目の当たりにした。そして、その分業の鮮やかさに驚くとともに、お家のいろいろをシェアできるその状態を、心から「いいなぁ!」と思ったのだ。
そう思ったのは、わたしが弟一人の二人きょうだいである、という理由からだけではないだろう。
ザ・夫婦間の「家事観」のギャップ経験者として
結婚してからの6年間、家事を男性である夫と分担しようとしたときに、やり方を説明するだけじゃなく、納得するよううまく説得したり導いたりする必要があった。
そういう「ザ・夫婦間の「家事観」のギャップ」とでも呼べそうな、アンティーク級に古典的な経験から来ているような気がする。
それはルンバと使用者の関係に似ている。
使用者がモノをよけ、スイッチを最善のタイミングで押すことによってルンバは稼働しその機能――床の埃吸引というシングルタスク――を最大限に発揮する。
つまるところ、家事は自分がするものではないという前提で生まれ育ってきた夫と、「家事」という目的を芯の部分で共有して協働することは、忍耐と時間が必要で、まったなしの子育てとそれを並走させるのは修行のように感じられたのだ。
もちろん個人差ありきだけれど、今の30代以上の世代(←該当)はまだ、男が家事をする前提で育ってきていない人が多い気がする。アラビアは少なくともそうじゃったが、果たして日本はこの面において先進国か(反語)。
でも、決してこれは生まれつきの性差ではない。
あくまで、育ってきた環境なのだ。そういう、社会がそうさせた。だから、そうやって育ってきて今現在そうなるべくしてある個人である、男性を責めてはいけない。
でも、そこにお互い・つまりパートナー間の家庭の分担が絡んできて、それが核家族で二人の限られた体力と時間をうまくすり合わせて家計を営んでいく必要性に迫られたとき、そこはお互い襟もとを開いて、対話して二人の理想の家事シェアの在り方を柔軟に探っていくのが理想なんだろう。
若い世代はシェアが当然で育ってきてくれていることを期待している。(そうだよね?そこの若いの)
でも人間だから、自分が育ってきた価値観はそうそう変えられないのであれば。そこにプライドが優先するのであれば。
そんな「男性の家事マインドが未成熟で成熟させる気もなく、かつストレート(男女間)婚」という前提であれば。
一夫多妻制って悪くないよな、って思うのです。
(あくまで旧価値観下の)女性の視点から言ったら。だって、もっとも身近なところに同性の話し相手ができて、その他もろもろのお家に伴うことも分け合えるのだから。何なら夫を二人でからかってくすくす笑ってるかもしれない。ほほえましくないですか?
もちろん他人同士なので妻同士の相性もあるけれど、封建的なイスラム社会よろしくがちがちのヘテロ一対一婚姻制度が主流の社会では、精神的に健やかに暮らせるような気がします。核家族の核がちょっと大きくなるから、その分核の中の負担が分散される感じ。両性の精神的な進化はないかもしれませんが。
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一方で、もうちょっと家族のかたち自体を拡大したら、子育てや暮らしやメンタルがいろいろ楽になると思うのです。
子ども一人に対して、親にあたる大人が数人、「パパ一人、ママ一人」に限らず、何らかの形でいるような。何らかの関心等でつながる共同体みたいなものを、現在の婚姻制度にこだわらず再形成して、その中で次世代を生み育てていくような形があると、ずっと風通しの良い社会になると思います。
それはシェアハウスのような住まいのかたちかもしれないし、一夫多妻制や一妻多夫性や性別にこだわらない婚姻や複数パートナー制等々をふくむ婚姻のさまざまな形なのかもしれないし。
いずれにせよ。
自分の常識で他者の在り方の模索をなんやかんや言わず、一人ひとりが自分の心と対話して生きている、それが叶う社会や教育。
が良いなー、と切に感じています。
対面を保ったり、外圧に屈することを成功とする教育や社会のトレンドは、前の時代に置いて、次に楽しく進めたら良いな。
と、手探りで模索したり、考えたりしています。
先週末、義理の妹が久しぶりに遊びにきて、外向型の彼女のマシンガントークは絶望的なほどに内向型の私を疲れさせるのにもかかわらず、二人で料理や買い物やおしゃべりするのが楽しくて、こんなことを考えたりしていました。
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