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箱入り娘は箱入りりんごが恋しい。

りんご可愛や 可愛やりんご ♪ * * *

祖母は山形出身だった。きょうだいが6人いた。5人が女で、一番最後が男。

結婚で仙台に来た。看護師をしていて出会った私の祖父と。祖父の熱いアプローチで、当時はいまより少なかっただろう恋愛結婚だった。

祖父は事情があって大阪の叔父夫婦に育てられたこともあり、宮城の県北を郷里とする祖父は仙台に故郷をもたなかった。

「家付きでもない婿なんて」

親は多少、反対したようだ。

夜勤のある病棟でフルタイムで勤務しながら、父と叔母を育てた。同居の義母の助けがあったとはいえ、大変だったことだろう。

父が小学校へ上がる頃に、そうして祖母は祖父と家を建てた。家付き婿でない~のくだりが祖母は悔しかったから、意地になっていたようなところもあった。

祖母は庭の草木と着物と民謡を愛した。書道の師範をもっていた。

たくさん働いて、60で定年すると、それから間もなくしてがんが見つかった。闘病して、いろんな健康食品も試した。

祖母は初孫になるわたしが生まれるのを楽しみにしながら、二か月前の11月に、この世を去った。

***

山形の親戚は皆長生きで、年末のこの時期になるとそろいもそろって特産のりんごを箱で送ってきた。叔母が山形にお嫁に行ったのもあったのか、最大で7箱受け取った年もあった。

私の子どものころの冬の記憶。茶の間の隣の床の間のある暖房を入れていない部屋にどっしりとおわしますりんごの箱達。

さて、自分も家族を持つようになって、りんごを買うのだが、何だか物足りないような気がしていた。

先日、やっと気づいた。




…箱だ!



そう、私は箱入りの、あのいくら消費しても無くならないりんごの感じが、恋しいのだ。

そうして生協でさっそく箱入りりんごを注文し、ワクワク待つこと1週間。

うん、これこれ…いそいそと箱を開ける。


でも、なんか違う。

ちょっと考える。


…段になってないのだ。

山形の大叔母たちが送ってくれたりんごはどれも、緑のりんごを乗せるくぼみのついた薄いプラスチックの仕切りで二段重ねだった。そして、一粒一粒が、人より大き目の私の手でも一個しか乗せられないぐらい大きく、黄色い蜜がたっぷり詰まっていた。

叔母たちは妹の家族に、一番いいりんごを、ふんだんに、送ってくれていたんだな。そう、三十路も半ばになって初めて気づく。

ところで山形の葬式は、寒冷地なこともあり、ゆっくりと惜しむように死者を送る。お棺に蓋をする前の間の数日間、家族がかわるがわる花を贈り、見送る相手に話しかけ、周りで思い出話に花を咲かせるのだそうだ。おばあちゃんのきょうだいは特に仲が良かったからね、と母は言う。

祖母が他界して三十数年、その間にわたしは故郷を出て、就職し、結婚し、子どもを産み、女として生きていてこうしたい自分とああしたい自分の両方を叶えられないことをたぶん人並みに経験してきたような気がする。

箱に入ってばかりはおれず、奥さんじゃなく前さんじゃないか、って本気で思ってたこともある。



ふと思う。

わたしが結婚したのはイスラム教徒。砂漠の国の彼の風習では、遺体はなるだけ早く土の中に埋めるのが最善とされているのを聞いている。布を巻いて、重たいお棺も墓石もなく土に還れる、簡潔で良いところもたくさんあるのだけれど。


私はどちらかというと、雪国方式で別れを惜しんで欲しいんだがなぁ。
まあ、死んだ後のことだし、なるようになるか


そんなことを想いながら、東北の箱入り娘は関東でりんごをかじる。



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