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強迫性障害 加害恐怖と向き合う日々

こんにちは。ここ最近また症状がひどくなってきました。
改めて文章にするのは怖いけど、今日は少しだけ綴ってみようと思いました。
なぜなら、今も「誰かを傷つけちゃったんじゃないか」って妄想が、頭の中をずっとぐるぐるしているから。
罪悪感に苛まれてるここ数日、気を抜いたらいつでも涙が溢れてきそうだからです。
言葉にして外に出したら、少しはマシになるかなって願いも込めて書いてみようと思います。

もし今、症状に苦しんでいる方で、私の文章を読んで具合が悪くなったり、怖い気持ちになるようだったら、無理して読み進めないでくださいね><
症状の辛さは人それぞれだから、どうかゆっくり休んでください。


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強迫性障害の症状の中でも、特に私の神経をすり減らしていると感じているのが「加害恐怖」です。
自分の想像力の豊かさに呆れるほど、日常のあらゆるシーンでさまざまな加害のパターンが浮かんできます。

気づかないうちにぶつかっていて、
誰かを身体的に傷つけてしまっていたらどうしよう。
私がプレゼントしたもののせいで、
相手の健康を害してしまったらどうしよう。

気づかないうちに人を轢いてしまうのではないか、他の車にぶつかってしまうかも…
そんな思いから、車も運転できなくなりました。

加害恐怖で頭の中がいっぱいになった時は、不安で不安でずっと同じ考えが頭の中をぐるぐると巡り、脳がオーバーヒートしてる感覚。
冷や汗をかいたり、動悸を感じることもあります。

そんな時に私は、家族や友達など周りの人に「大丈夫だよね?」って聞いてしまうクセがあります。
聞いた相手は、こちらが驚くほど当然のことのように「大丈夫だよ」と言ってくれます。
私から聞いておいてなんですが、本当にどこからそんな自信がくるのだろうと羨ましく思います。そんなふうになりたいと心から思います。
(もし「大丈夫じゃないよ」、なんて言われた日には気が狂いそうだけど)

でも「大丈夫か」の判断を他者に委ねるのは、私個人的にはあまり良い方法じゃないって気付いているんです。
本当に聞いておいて申し訳ないんですけど、他社からの「大丈夫」は、一瞬の安らぎにしかならなくて、(ほんとごめんなさい…!)
時間をおいて何度も何度も聞いてしまったり、そんな状況により絶望してしまったりするんです。
聞かれた方にとっても「大丈夫だよ」って言っているのに、いつまでも悩んでいる姿は本当に意味不明だし、気分も悪くなりますよね…。ごめんなさい。


私の心が、脳が、「大丈夫」って判断しないと安心はやってこないんだと最近実感しています。
これは判断というか「大丈夫と決める覚悟」かもなって思う次第です。

主治医の先生からも頭に浮かぶ「万が一」は、全部勘違いと思って生活してみてってアドバイスいただいてます。

でも加害恐怖で想像するパターンて、大丈夫じゃなかった場合、誰かに迷惑かけてるってことだから、本当に判断が難しいんです。

もしかしたら…
万が一…
気付いていないだけで…

そんな思いが覚悟を決める邪魔をしてきます。

日々罪を背負っているみたいで、本当に辛い。
本当は背負わなくていい、自分の頭の中だけで作られた架空の罪。
自分が自分を苦しめているだけなんだと思うと、本当に情けないです。

ちゃんと自分で判断できていた病気を発症する前の自分に戻りたいです。
今はそのやり方がわからなくなってしまいました。

それでもきっと前の自分には戻れないから、
今の自分と生きていく覚悟を持って、
ちゃんと自分に大丈夫だよって言ってあげられるようになりたいです。

※見出し画像、フォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます!


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