ボランティアって偽善なのかな
"海外で家を建てるボランティアをしています!"
"大学一年の夏にネパールに行って家を建てるお手伝いをしてきました!!"
そうです、私は海外で家を建てるボランティアのサークルに入っています。
これを聞いて面白そう!!と思ってくれましたか?
それとも、ボランティアか、、なんでやってるの?
と感じましたか??
さて、私はこのボランティアサークルに入り、いろんな話し合いや、いろんな人の考えに触れ、自分自身の考え方が変わっていきました。
特にタイトルにもある通り、ボランティアが偽善なのかということはサークルのミーティングでもたまに取り上げられています。
ではこれを読んでくださっているあなたは
ボランティアは偽善だと思いますか?
偽善という意味を調べると
うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。(goo辞書より)
と出てきます。
なるほど、、、。偽善だと思われる理由がなんとなくわかる気がする。
結論から言うと、私はボランティアが偽善だという意見に今でも答えを見つけることはできていません。
でも、ボランティアが偽善かどうか語ることができる人は限られていると思います。
本気でボランティアをしてみないとわからないことが沢山あるからです。
詳しくお話しするその前に、まず私がこのサークルに入った理由をお話しさせてください。
ボランティアをはじめたきっかけ
私がそもそも、このサークルに入ってボランティアをしようと思ったのは、高校の時自分自身に時間とお金を沢山使ったからです。
私が行っていた高校はとにかく自由で、校則が全くありませんでした。制服自由でメイクもバイトも大丈夫でした。
私自身、その高校の中では、他の子に比べたら洋服やメイクなどの容姿にお金をそこまでかけていなかったかもしれません。
でも私にとっては十分なくらい、いろんなことにお金をかけていたつもりだったし、時間も余るくらい遊んでいたつもりでした。
大学に入るタイミングで、大学生で何をしたいか考えた時に、今まで自分に使っていたお金と時間を人の為に少しくらい使ってもいいんじゃないかなって思うようになりました。
もしかしたら、この時点で偽善っぽいなと思われるかもしれません笑
しかし私は全く偽善のつもりもなく、心の底から人の為に使いたいと思っていました。
最初はそんな感じで、もっともらしい理由を持ってボランティアを始めました。
ボランティアは偽善なのか
大学一年生の夏にボランティアをするためネパールに行きました🇳🇵
家を建てるお手伝いです。
この更地からのスタート。
日本とは違い土を掘って石やレンガを詰めて家を作ります。
ちなみに写真の奥にある家が、当時家を建てるお手伝いした方が住んでた家でした。日本では考えられないですね、、、。
こんな感じでボランティアをしていました。
当時はボランティアが全くの偽善だとも思っていなかったし、人のために活動できていることがとても嬉しかったです。
毎晩メンバーたちと、効率よく作業する方法だったり、私たちがボランティアをする理由について話し合いました。
5日間ほどネパールでボランティア活動をしましたが、今思うと丸一日ボランティアをして生活するなんて、一生で一回あるかないかだなと感じます。
こうやって本気で"ボランティア"というものと隣り合わせで生活をして、私が強く感じたこと。
それは、"偽善であるか" について考える時間があるならば、"ボランティアをする意義" について考えるべきであるということ。
私たちは自分の家から日本食を持って行ったし、バス移動をしながら現地の人を高みの見物していたし、効率よく行動することよりも笑顔で楽しむことで思い出に残るような活動をしました。こんなのボランティアがうわべだけの行為と思われても仕方ないです。
思われても仕方ないし、正直自分で当時を振り返ってみても、こんな活動じゃ私たちはやっぱり偽善でボランティアをしてたのかなってたまに思います。
だって、こんな家の建て方も知らず体力のない日本人がノコノコとネパールに行って、お手伝いして帰ってきて、友達とか家族にこんな経験したんだよっていう話を材料にしてしまうことは事実だから。
ただ、私はボランティアをしたことがない人がこういう話だけを聞いて偽善っぽいなと思うことには反対です。
先ほども話しましたが、"ボランティアをする意義" を考えることが自然と "偽善であるか" に繋がるのであって、ボランティアをしたことがない人がボランティアをする意義については考えられないと思うからです。
私はネパールに行って、結局ボランティアをする必要性はなんなんだろうということについて苦しいくらいに悩みました。
無償で行う活動は、お金がない貧しい人や地域にとっては素敵な活動でぜひ来て欲しいとなるかもしれませんが、私たちが家を建てるお手伝いをすることで、現地の人は私たちを頼ればいいやという考えになり、もしかしたらいつか本人たちは何もやらなくなるかもしれません。
私たちは家を建てるお手伝いをして活動しているけど、もしかしたら私たちの行っている活動は日本のように安心安全な家を建てる方法を現地の人に教えることが目的なのかもしれません。
私たちがこうやって家を建てるお手伝いをしている限り、この活動はきっとある意味スーパーヒーローのように現地の人に良い部分を見せびらかして、実際は帰ってきてから思い出を永遠に語る偽善者の集まりなのかもしれません。
ボランティアというのは、私たちが勝手に偽善者ぶって貧しい人を見て、慢心するための活動であるのか。
それとも、心の底から助けたいという思いがあって、ボランティアをしたことを自慢せず、自分の人生をかけてでも貧しい人を助けていきたいという想いのある活動なのか。
正直私はボランティアを経験して、貧しい人を心の底から助けたいと言う気持ちは強くあるけど、周りの人にボランティアというキラキラした経験を話してまう、ある意味話のタネが欲しい偽善者なのかもしれません。
私は実際全くそんなつもりはないけれど、偽善という観点から考えるとそう思われても仕方ないです。
しかし、この "ボランティアが偽善であるかどうか" という意見について語っていいのは、本気で活動したことがある人であって、活動したことない人は偽善であるのか、それとも違うのかを自分で体験して、この目で確認して語ってほしいと強く思います。
話が少しぐちゃぐちゃしてしまったかもしれませんが、最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。ボランティアは奥が深いな〜、、とこの文を書きながら感じました。ぜひ一度でもいいのでボランティアしてみてください!感じることが一つはあるはずです。
誰かの心に寄り添ったnoteになっていますように🌿
*おわり*
こっそりと、、、気づいてくれた方ありがとうございます!!
最後に、私がネパールから帰ってきて次の日に書いたノートを貼らせてください🙇♀️この前机の引き出しを整理してたら出てきたんです!!
すごい恥ずかしいけど、5日間のボランティアでここまで沢山のことを感じて考えることができるというのを是非知っていただきたいです。
ここまで考えてたくさんのものを吸収できたことは、当時偽善だという気持ちが全くなかったからだと思います。
長いし文章ぐちゃぐちゃなので読まなくても全然大丈夫です!あと、残り4枚あるんですけど、それは省略させていただきます。途中までになってます!
(文章に出てくるGVとは今回のような家を建てるボランティアのことを指します。また、彩とは私が行った時のチーム名です。)
ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
*おわり*
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