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はい、私が無名人です~

その無名人としてインタビューしました。いや、されました。根拠はなにもありません。


無名人インタビュー  (2021/9/16)


無名人インタビュー あなたよ輝け。「有名人だから面白いんじゃない。人は誰でも素晴らしく面白い」インタビュー実施中。3年半で500人。制作チーム22名。お申し込みはどなたでもOK(noteなしでもOK)https://forms.gle/gXrbxMQZVS6D5vpM9 無言フォローと拡散大歓迎。


インタビュアーは当サイト主事者「qbc:」さんです(他多数)。やったのが日付、2021/9月ですから、ほぼ2年前ですが、随分昔のような気がいたします。

はじめ、そんな簡単にできるかいな、と内心疑心暗鬼不安でしたが、やってみると以外と簡単で、ましてzoomの時代ですからチャット交信の環境は整っていて、パソコン(スマホOK)やっていれば、誰でも参加できるという門戸の広さでした。

一口にいって、「インタビュー」ってのは、だいたい受動的立場で発言する、と云うのが一般的ですが、そのサイトも、型式的には、それと同じです。
ただ、そのインタビュー相手が社会的「無名」が条件として挙げてますので、変なはなし、日本人口1.2億人が対象になるので、機材のパソコンをやってないとムリですから、その保有者数7000万人口の中の0.01%相当が対象相手と思われます。
それで「著名有名人」だと、さらに限られますので、対象が減るでしょうが無名人ですから、カラスでもウマでもいいですが、やっぱり最低限のリテラシーが必要なので該当者は0.01%からさらに減るでしょう。

そのリテラシー(識字)ですが、近代になって、ようやく普及したようで(日本以外)、今だってアジアやユーラシア山岳民族など、国家教育が施行されてないので、文盲の人も多いと訊きます。
その点で日本は「寺子屋」教育のおかげで、識字率が高くて、世界の中でも有数らしいのです。世界でトップだと誤認してましたが、違っていたようです。後進国では、経済国になるためにはリテラシー学習が必要なので、その結果、学校教育が整備されたようです。
ですから、そんな子供たちがハイレベル教育の結果、高度な経済と科学を作るのは必然で、今の欧米スタイル国が安泰だ、という話しにはなりません。

国家の屋台骨「読み書き算盤」リテラシー

ところでリテラシーとは何でしょうかね。昨日まで書いていた話は主に歴史で、知っている範囲で約1万年の生活痕跡があります。そのメソポタミアのクサビ文字とエジプトのヒエログリフとか、6000年まえに書かれたものですが、それらは文字で伝えられ、すでに書くべき「文字」を考案して記録し、それを使ったという叡智に感服します。(古代中国象形文字などを所有)

云いかえると、一字一句の多くを覚えられないので、それを「すがたかたち」をもって記録する手段をこうじた。云うならば「SONY」のカセットやCDとまったく同じ効果の媒体でした。だから基本的に「記録」と云うのは6000年前から変わっていない、と云うことになります。
(昨日の記事では、その過去に記録したニュースソースを使ったので、とても滑らかな文がかけたという証しでした)

そして「インタビュー」の話しですが、その語る内容にしても、ある程度の記録した記憶が元にないと、面白い話もできません。

ではなぜ私がそれに応募して、あることないことを喋りまくった(全編文字記録)かです。
だれでもそうですが、「インタビー」という「二者の意見交換記録」で何か喋りたい、という欲求があるからだと思います。

人間の知覚の5感のほかに、さらに他とのコミニュケーション、
というべき社会性を求める脳因子があるような気がします。
昨今、そのまったく反対の非社会的犯罪が多くなってますが、それは逆で、社会にスピンアウトされてしまうので、その反作用で自死とか犯罪で自己アピールを計っているのだと思います。ですから、そうした観点からしても、「相手のはなしを訊く行為の《インタビュー》は、これからの社会では求められる、能動的スタイルであると思いました。

さて、私の受けた「インタビュー」ですが、もともと話す内容が個人主体なので、普遍性に欠けると思われました。なにしろ話題豊富じゃありませんので、ペラペラ喋って(書いて)いる割に独走体勢で、誰が対象であるかが判然としない独断場になりかちで、実際、そうでした。
おまけに、延々と3万字数をしゃべったと、運営者に揶揄されましたが、その感想からして、察しはつくと思われます。
ですから、受け答え全部を書くと、じれったので、質問者の質問は抜きにしました。いや質問内容がよくないからという意味ではなく、よく在る「誘導尋問的」質問のインタビーにしたくないと思ったからです。

それでは始めます

「racoco」の無名人インタビュー 

qbc:1日目です! インタビューご参加ありがとうございました。
それでは、どんなインタビューにしましょうか?
 (第1日目、要所では質問事項を表記)
racoco:基本は「無名人」ですから、特別人をワクワクさせるような武勇は持ち合わせておりません。また小説家でもありませんからセンテンス、 起承転結から外れているかもしれません。
この、滅多にないインタビー体験ですから、大まかなスタイルもなかったので勝手に想いつくままトーク(筆記)するしかないと思いました。
まあ、喋る内容については過去のストックした記事があったので、断片的にそれを拾って解説すればいいと。

参考までにこの「無名人インタビュー」公開記事PVを見ると、相当数の実績がありますね。ということは、書いた文字の影響力を考えると迂闊な言説は発信暴露できない。ましてやnoteサイトが相手となると「アルゴリズム」出動を極力を抑える必要がある、という具合ですね。
ということで、音階基準音は古代音階に倣って「430Hz」。たぶんなんのことか判らないでしょうが、わからないのは、そのままスルーして次に進む、ということにしましょう。
■注「430Hz」東洋音階は、音楽用語で演奏基準音の意味です

私のテーマは「社会」です。いきなり社会とは狼狽するでしょうが、もっとも重要で、しかももっとも避けたい人間集合体の社会。民主主義の根幹基本です。どうしてそんな論理になるかといったら、このnote記事の1パーセント内の枠に、それに順応できないという意見が多数あることに違和感を抱きました。大袈裟にいったら、彼らは、その内情を文で吐露することによって、サインを出している。「だれか私をたすけて」、という独り言念仏のように私にはきこえます。

だけどnoteは、それを助けるためのサイトではなかった、と。そんなことで、有名と無名の差、かりに彼女らが有名だったらどうなのか、としたこれまたSNS中傷で自殺してしまう事件もある。まさに複雑な社会がそこにあって、ちまたネット著名人、学識経験者、社会問題専門家が、いくら100枚の研究レポートを出したところでまったく意味もない神通力もない。いまのコロナウイルス蔓延拡大と同じで、世界の宗教者全員が祈祷し祈っても、まったく衰えないこととリンクしている。そのほか諸々ありますが学校の講義は、これくらいにしておきましょう。

「インタビュー」場面でいつも思うのは、なかなか「聴き上手」がいないな、ということです。とくに感じるのが、ぶら下がり記者会見においての記者の質疑です。菅総理が官房長官だったころの話しで、宿敵犬猿の敵対者で東京新聞の望月衣塑子氏が、しつこく食い下がって不評を買った。
私にして見れば逆で、理路整然とは言い難いが、徹底的に追い込める、というのが記者の仕事では、その時の周辺を固めていた男記者たちは嘲笑していたと訊きますが、まったく本末転倒で、彼らこそ嘲笑ものだったのです。では何が満点のインタビューなのかといったら、なにを訊き出すかもありますが、むしろ司会者が喋り解説して、受ける側は、それに頷くだけ、が良いインタビューだと、思います。そんなこと実際にやったら、職務怠慢だとか、無能上司にパワハラ受けそうですが、やり方次第で、そうできると思ったりします。

政治の話しで思い出したのが、第68・69代 内閣総理大臣 昭和五三年十二月一日付、(在任期間1978年12月7日 - 1980年6月12日)大平正芳氏の話です。国会答弁で「アーウーアーウー」の連発で、終始それで押し切ったという風聞逸話があって、社会もそれを冷ややかに観察しておりましたが、どっこい、氏は頭脳明晰な実務者で大きな業績をのこしていました。
まさに「能ある鷹は爪を隠す」の実践者だったのです。そんなことで、社会は常に正当評価また判断しているとは限らず、報道によっても偏重してしまうという良い例でした。
それで云うと、先に亡くなった「立花隆」と歴代首相「田中角栄」の確執は、国家を揺るがす大事件だったのですが、ここでは触れないことにしておきましょう。(詳細はnote記事参照)

私の平凡な個人履歴(無名人)はいつ作られたか。

まず「無名人インタビュー」がどういうスタンスなのか、私的な個人見解をしめしておきましょう。

問い.1 無名人とは何をする人なのか、その反対、有名人とは(芸能人等)とは、なにををもって定義するか。難しいのですが、ユークリッドの原論エレメンタ、その中の与件『ダダ』的な、ものの根本から紐解いて分析してみましょう。
無名人とは、「路傍の石」的な玉石混交の中の珪砂、云ってみれば砂の主要部分を占めるその他大勢組、すなわち、まったく輝かないただの石ころ。有名人とは、その真逆で、能は無くても血縁その他、縁故ツルで上位ランクにエスカレートした人、特に世襲人など散見。一歩間違うと薬物依存者であったり廃人にも及び危険なタイトロープを好む。もちろん例外はある。
(※能あるタカは爪を隠す、能あるカラスは爪も隠さない)

問い.2 社会の定義(ソーシャル)の定義(学校教科書とは比較対象外)
こちらはギリシア哲学者「タレス」に倣って"社会の窓"は常に開放し自由であると、民主主義エビデンスを実践すること。
もっと優しく云うと、いまここに私とアナタと二人しかおりませんが、それでも社会は構成されている。それは何かと云うと、利害利益を有しない第三者として相対し、同等の立場でモノを判断し語るという、ことになるでしょう。世界的には、それ以前であれば、君主制また王や君主が存在して、そのローカルな土地を支配していた。それらは明らかに平等な立場ではなかった。世界大戦終戦後において、それらは大きく衰退し崩壊した。変わって国民主体の民主主義思想が芽生えたのが、世界の歴史である。
それは雲を掴むような全体の社会像ですが、では、個人的な社会とは一体どこにあるのでしょうか。

いまから約12年前のはなし。そのころ現役であるゴルフ場で働いていおりました。夏の盛りだったと思いますが、昼過ぎに急に疲労感が出て、その場で(車内)で寝てしまいました。体調が悪いと会社は早退して、その足で、いつもの病院に予約なしで診断してもらいました。
かかった主治医は即座に判断したようで、「君、返れないよ、このまま入院しなさい」と通告されだ。医師に肺炎だと診断された。
それから2週間、病院の退屈な生活が始まった。1日2日は、珍しさもあって、旅行気分だったが、風呂に入れないという過酷条件は、旅行氣分を完全に消し去った。あとは退屈のみ。肺炎の場合は肺に痛みがなく、それでも放置しておけば肺細胞がウイルスに侵され死に至る恐ろしい病気だと、後で知った。目下、拡大中のコロナウイルスと同じで、甘く見ると死亡するという厄介な疾患病気である。いま、それに罹患していたら明らかに命はなかった。
病院生活に飽きてた頃、気がかりなことがあった。家に残したパソコンのメール始末だった。これも肺炎と同じで放置しておくと貯まるばかりで、下手をするとパソコン本体制御不能にしてしまう。わけを話して一時帰宅の許可をもらった。家と病院は約8キロほどで30分で帰宅した。案の定、山と貯まった無用メールを30分かけて削除した。その間、家の中は静寂で、いつもとは違う空気が漂っていたような気がした。サブで使っていたノートパソコンと、電源コードやマウスを風呂敷に包んで、病院に向かった。その間、家族とは誰も合わなかった。「勝手にやりなさいよ」と云われているようで、少しばかり不気味な気がした。まあ、海の波間を一人で騒ぐよりましだと慰めたが。
ベットの上のパソコン打ち込みも飽きてきたころ、それが主治医の院長の耳に入ったらしい。別に悪いことをしているワケでもないし、許可も貰ってやっていて何の咎もない。
ある日のこと、院長回診の朝だった。「きみ 、パソコンやってるんだって何書いてるの」との質問、いちいち説明するのも面倒だし、その院長が果たしてキーボートを打っているのか判らないし、説明もムダだと思って愛想返事で誤魔化した。追い打ちかけてこういった。
「きみがパソコンやってるなんて、人は見かけによらんもんだね、頑張んなさい」と次の回診ベットに向かった。
おいおいパワハラかって、と内心思ったが退院まで日数が残っていたので、それを口にはしなかった。二度と来ねえねと思いつつ、病気を治してくれるのは医者しかいないと複雑な気になったのは確かだった。あとで思ったが「先生、今度ゴルフなんか行きましょうか」と誘ってみようかと看護婦に訊いてみたが「テニス」しかやらないと、耳打ちされた。(※見え透いた忖度も時 には必要かと)
残念まことに残念、ゴルフだったら絶対負けない自信があった。そこいらのサンデーゴルファーとは違うレッスンと試合を経験していたので、いつもその策略で鼻持ちならないベンツ富裕者を黙らせていた。まこの場合は命の恩人相当であるし、そこまでしなくていいかと溜飲を下げた。ましてや相手は今どき珍しいアンチゴルフ派だった。
その話の内容はさておいて、院長のその言葉は、すなわち社会的視野に立脚し、ステレオタイプの論理であると感じとった。否、感じない人もいるだろう。すくなくとも私はそう理解した。
すなわちパソコンをやるタイプというのは、これこれこうしたタイプの職業で、それに付随した容姿と服装と物腰の言動があるだろう、という固定的な概念に支配された見下し視線。換言すれば自己優位性を他に押し付けるという、欧米型にも似ているとおもったからである。
そうした些細な僅差、物理的に云えばコンマ数ミリ程度のビハインドした格差は、場合によってはそれが数倍に増大して個人に襲ってくる。
その顕著な例がSNSに展開している個人攻撃だったり集団のいじめだったり、それが未成年の場合であれば、親にも打ち明けられないという寂寥感は、まさに現代病というに相応しいでしょう。
次ページは、現代イノベーション未成年者による(プレミアムZ世代)の台頭は、この世界をどの方向に引導するのか、を語ります。

いったん休憩、… …

qbc:なるほど。今、仕事は何をされている方ですか?
あっ原稿ですが、文字数は特にないです。誤字脱字に関しては最後のチェックでできます。
(何字まで許されるが不安だった)

racoco:いまは無色透明(※シャレのつもりが的を外した)・・・、のはずはなく、草刈アルバイトです。いつもだったら結婚式の雅楽演奏で、そこそこの稼ぎがありましたがコロナでゼロです。おそらく年内(2021/12)は立ち直れないでしょう。そうした人が大勢いるでしょう。犠牲者はこれから出る。(とまあ予想は大幅に外れてコロナは3年続いた。)

ここの原稿枚数でしたかね。字数制限無限大と理解しましたが、頑張ります。昔の小説は二百枚が標準でしたが、体力あったんですね。作家も土建屋 と同じで体が基本。色も基本。
そうそう、前項で書いた、推薦紹介者「音邑音音 (おとむら ねおん)otomura neon」の件ですが、このサイトは「自己申告」が前提でしたね。
一応、音むらさんには、積極勧誘してみますが、そんなの嫌い、という人もいるのでなんとも云えません。(※申し入れーー結果は、不可)
それで麦わら帽子の日焼けジジイが、真夏陽の下にブログを描く、って見出しに使えそうかな。そんなことより、日干しレンガになる怖れありと、忠告ありがとうございます。

qbc:雅楽が、できるんですか?

racoco:ええ、やりますよ。あんまり云いたくなかったのですが~。そのころ雅楽の「東儀秀樹」が八面六臂の活躍でしたので、「雅楽」を説明するのに手間が省けました。楽器も同じ篳篥(ひちりき)でしたから、渡りに船でしたね。東儀秀樹の人気がなくなったのとリンクして雅楽も忘れられました。だからいまさら雅楽を説明するのが面倒くさい。
ところで「雅楽」って知ってますか? 知らないでしょう。って、バカにしているつもりはないのですが。まそれだけ知名度がない。あの~雅楽って世界の音楽の中で最も古い、知ってましたか。やはり知らないでしょう。でしょうね~。(伝統音楽でありながら日本人がしらいというのを云いたかった)

だから日本人は、その雅楽を殆んど知らない。だから説明が大変なんですよ。それはnote以前の「ライブドアブログ」でも書いてあり、たまに引用掲載してますが、ほとんどリアクションはない。それだから、書くのも喋るのも面倒で、そっとしている。話すと長いので話しませんが・・・。おそらく、それを書くと、このインタビュー全編になってしまう。書く方は面白いから書きますが、それをこの「日本」に説明したってまったく理解できないので、全体をトーンダウンさせてしまう。だからやらない。誰がいっても、しない。ええ、やってもいいですよ。さわり程度で。
(※編集者采配で、ここに雅楽マニュアルを入れるか否かのを返事を下さい。結果はノー)

雅楽以外の、はなしでしたね~
まずデジタルライター(動機)としてのインセンティブ解説でもしておきましょう。パソコンを始めたのがほぼ15年前でした。それは前にもいいました。その当時、町役場がね業務の「電子化する」というアンケート調査しました。私は反対だ、という答えを書き込みました。なにしろコンピュータが、どの位のキャパがあるのかまったく知らない訳ですから。その頃からパソコンはじめました。その前の「ワープロ」時代の予備時間があったので「打ち込み」は楽でした。しかし全体を把握すのに3年はかかりましたね。
それから随分時間がたっていまnote書いてますが、その間、日本の外観景色は随分変りましたよね。特に大都会東京が。といってもどこがどう変わったのか、口で説明できない。なにしろ変わりました。それは全体俯瞰図ですが、個人の日常というのは、それとは別物です。ベツ、モノ~
それで、昨日今日の自分のリテラシーなんかを書いているのが、このnoteです。
そのnoteに「無名人インタビュー」(此れ)というのがあり、昨日(8/9)それに申し込んでみたら即日OKの打診返答があった。というのがそもそもこの始まりです。

「無名人インタビュー」の基本原理 (※無名人とはたまたまオリンピック金メダルをとれなかった全世界の人々のこと。そんな例えを言葉でいう)
もともとインタビューと云うのは有名人に限らないが、結果を得たいなら有名芸能人か不倫女性政治家が、もっとも相応しい。
なにしろ雑誌購買数が達成されるという実績の裏がある。でその反対のまったく実績にならない(このサイト主も利益がないから頼むという資金提供依頼)インタビュー(同じにされる側も金がない)者も、有り余る未来予測は誰にもあるし負けないが、仮に、いまその設立資金30万がないという現実。そんな雲とカスミの中を走っているような無実体を仮想にでっち上げる、というコンセプトが、斬新で新機軸なアプローチだと思った。(「無名人インタビュー」、の立ち上げ)

(あんまりよくわからない内容ですが、事業達成に金がなかったので嘆き節のようです)

中略

racoco:はい、そこまで深い意味は込められておりません。ただ、ご指摘の「東大官僚+スター政治家」をくくってガラパゴス、というのは正しいとおもいます。
私はそれを「徳川江戸藩制」としてマイナスもあればプラスもあった、と解しています。300年かけての「ハウス栽培」は同じトマトでも、まったく異質のトマトができあがる。
それが日本人の特性で、黙ってみていられない、という性質です。では今後、日本はどうするか、という課題ですが、相変わらず「日和見」(まわりをキョロキョロみて様子を伺う)のはそのまま変わらない。それは大企業体質(官僚に牽引された国家戦略)ですから、その方向転換が出来れば、簡単に進路も変わる。おそらくそれは、「純潔思想」(日本的遺伝子)が破られたときで、そのターニングポイントは外国移民によってシフトする。その原因は、極端な少子化で、「働き手」が日本から消えるからです。また日本人は、外に出てしまう。いまの日本人は、歴史的にそうやって出来上がった、という史観があります。

いずれにしても2.3人で談議しても始まらない壮大な世界観ですが、そうした分岐点を見極めるのも個人ですから、情報は常に新しく的確なものを察知するアンテナを常に磨く必要があるということになります。
(今成田悠輔さんが同じロジックをいってます)

あとがき、了解しました。いまから原稿を思案しておきます。(※この時点であとがきは完成していた。それはインタビュー相手を意識しないことで、茫々と書けたことにある。むしろ私の本文は、これではなかったかと思った。としても、それではいつものブログマンネリ駄文になる。ではインタビュー応募は何のためだったか、という自問になる。このアプローチは、第三者を介して私のテーマ「社会の構図とセル分析」だった。日頃抱いている社会の不満、またそれを反映したメディアニュースなど、意見批判しているが、それが客観的に正しいのか間違っているのか、それを問いたかった。それは今でも変らないし、その答えも未だ不明だ。)

9日目
qbc:もしも、自分の寿命が伸ばせるとしたら、延命したいですか?

racoco:それって、人間の永遠のテーマですよね。とくに中国の古代王たちが、それを望んだようです。それにまつわる「神仙」というのがあって、王が探し求めた「不老不死」の妙薬を手下に探させた。
勿論、そんなものはどこにもなく伝説だけが、いまに伝えらる「神仙」として名が残っている。それから、古代中国楽譜(音符ではなく漢字であらわす)で「神仙」があり、日本の雅楽に伝承された。前に話した基準音「ラ」に対して神仙は「ド」になる。このラとドの違いは、どこを読んでも答えがない。
寿命の話し、でしたね。
延命、病院の生命維持装置とは違う人間摂理、哲学的倫理観の話しは、社会的にどうなんでしょう。みな、深く考えてはいない。では、100年前と今では、物理的にどう違うかといったら劇的に長寿になっている。その余剰のあまった時間で、現代人はなにしているかといったら、スマホいじって時間を費やしている。たぶん時間計算したら、そのあまった時間、大雑把に推定して未来も、30年をそのスマホに費やしている。他にも沢山ありますが、それに集約されると思います。どんな時代であっても、その都度大きな潮流があって、近代歴史ではイギリスの産業革命が、世界をリードした。それが今だったら、ジョブスの作ったiPhoneが世界を席巻した、ということなのでしょう。
すなわち、便利なものが出来て人間が楽になって結果的に長寿になった。日本は、世界で超一番の長寿国です。そしてさらに長生きしたい、と、その問いは難しい。
そこに、生きるテーマがあるかないか、になるからです。「いったいそれを伸ばして何するのか」、という唯物論です。そのことは、
私の標榜するテーマである、伝承芸能後継者の存亡であり、自分の足元が危うい(人口少子化、日本古典の冷遇疎外)なかで、人が欲しないモノをいくら力説したところで徒労感は明白です。
だから無駄な抵抗、という結末はシミレーションできますが、さて、個人が延命したいか、といったら希望はします。とすると言葉の矛盾がありますが、そこに前にいった「古語拾遺」が必要になる。なぜかといったら忌部の祖師「斎部広成」の遺した言葉、「これだけは後世に伝えきかせたい」と書物を書き残した。それが「古語拾遺」でした。
やや大袈裟ですが、その「斎部広成」の遺言がとても琴線に触れるのです。
(※あとがき、エピローグは、それについて言及した。そしてこれは私にとってもタイトロープなタスクだった。というのは、このSNSサークル(年齢的)で近現代、またもっと古くは国家建国時代まで話しが及んで、果たしてそれが理解されるだろうか(むしろ最近の流行りで歴史アニメで注目)という懸念があった。そして経験的にこの日本で、メディア話題オンリーで、それが歴史を知ることになっていないという現実がある。)

10日目
qbc:10日目です。明日の12時で終了ですね。10日間のロングインタビューありがとうございました。最後にまた「古語拾遺」に戻ってきて良かったです。
最後の質問は、「最後に言い残したことはありますか?」です。

racoco:いや、どうもどうも、なにしろ暑い。
(高温が続いた)
これから炎天下で草刈の仕事があるんです。おそらく野良地では40度を超えているとおもいます。この暑さで熱中症の死者が出そうな天気模様です。
でも仕事依頼なのでやるしかない。そうした、辛さの後の思考回路、というのがあって、吉と出るか凶とでるか、それが注目されますね。あとで、それは書きます。
最後はやっぱり令和「古語拾遺」で閉めましょう。(熟慮のすえ、それはリンクによって講読することにした。やはりSAS現代人スピードにマッチしていない)

qbc:草刈りお気をつけくださいね。私も今昼食に外出して、暑さに負けてます。

racoco:最終日、8月21日の原稿送稿です。まったく初体験でしたが、擬似トーク面談スタイルでそれは旨く運んだようです。これがダイレクトトークでしたら、言葉に詰まることが多々あるでしょう。これを可能にしたのがアプリ「slack」でした。
また、私がネットをやっていることが大前提で、さらにアンテナ感度が、これを捉えた、という僥倖がマッチして可能になった。すべての条件で及第していたと、いまはとても満足感でいっぱいです。では最終稿、最後にいいのこしたことを送ります。

古語の遺こした言葉をひろって後世「伊庭孝」氏に継ぐ


最後の言葉として、云いたいのは、やはり古語の遺りたるを拾って、現代社会に問う令和の「古語拾遺」として一言添えたい、ということだった。
官人「斎部広成」、日本民衆芸能界創設「伊庭孝」の二人を取り上げたが、大雑把に云ったらギリシアの「アリストテレス」、アメリカの「ジョセフ・ロビネット・バイデン」大統領くらいの時間差がある。だから、高性能タイムマシンを、いくらフル稼働したところで、両者がホワイト・ハウス内で「インタビー」会見することはない。

所詮、その大幅な時間空間を埋めるのはとても無理として、じゃ、仮想空間を設定して、両者を一つのテーブルに付かせ、会話してもらったらどんなトーク番組になるんだろうか、という密かな思惑でこの「無名人インタビュー」を上梓した。

そのトーク内容を公開するまえの「プロローク」(序合わせたり古事記上巻并序 こじきかみつまきならびに じょ) がこれである。

また、記事中盤で「ジョブズ」逸話を持ってきたが、いま読み返してみると、それが総論として「古語拾遺」のような気がした。
すなわちに「日本」に足らないモノは何か、といったら寿司トロや永平寺や南禅寺庭園でなく、「アップルiPhone」が目的であって、いまさら「ナマ大トロ」と云われたって、youは何でトロが大スキなの、という自虐インタビュー質問しかない。
それに対して彼ジョブズは、永平寺で禅を極めたい、というタスクは、日本人の誰が応えたらいのか考える。
デジタル周辺機器モバイルの世界カリスマ、ジョブズに対して、そこに九周半後れの日本が、京都界隈の排他的伝統古典世界を探訪するジョブズに対して「youはなにを求めて日本に来たのか」という愚問は、誰が発しているだろうか。
これすなわち古語の遺れたものを拾って弁明したいというリテラシーそのものと感じ取った。その解説者がだれかといったら、そこには二人の人物がいた。「伊庭孝」と「斎部広成」である。時代を越えてもその二人をジョブズに併せたらきっと無二の親友になっていはずだ。

本題は次号発刊に掲載される。(期日不明~)(すでに公開されたインタビュー)

qbc:ありがとうございます。これで終了にしましょう。

あとがき (racoco)

これは自身によるあとがき
この「無名人インタビュー」には、紙書籍のように「あとがき」がある。大抵は、インタビューをした人、によって総括的な括り文でその内容や人物像を評価して書くのが、あとがき。その点では、書籍あとがき、と同じだ。
いまだ出版未経験(電子有)者としては、その゛聖域゛は魅力的でり「隙あらばいつか」と願っていたので、編集者にお願いして「おれにも云わせろ」と懇願したところ、いいよ、と二の返事で快諾された。たぶん、他では誰もしてないと思う起死回生のアクションだった。(なにごともやってみるもんだな~)
本を読むとき、始めではなく、末尾の「あとがき」を読んでしまう人は結構多い。今どきの「切り抜き動画」の様に、要所要所をピックアップして、読者は、「それで判った」と判断して全体を知る(と判定か)。
あとがきは、それと同じ効果があって、最後の2.3行で全体を把握してしまう至難のワザは、やはりSNS的「瞬間冷凍リテラシー」なんだろうと解釈した。
本来私の文は、小説とは違いドキュメント主体としているので、その日その日のニュースネタが元になっている。だから「あとがき」の基本系のような漠然望洋としたカスミのようなスタイルではない。ドキュメント、ノンフェクション作家は羨望の的だったが、並の作家の数倍の取材力が必要というのは判っていたので、やらなかった。だから書くブログにおいてドキュメント作家(自称)としてお茶を濁している。ましてや私はまったくの無名人。

無名人とはなにか、何者なのか

このインタビューは、自己申告制で、みずからほっして「してくれ」とお願いする。一言で表現すれば無名、その定義は「路傍の石ころ」であり、砂浜を漂う砂の粒、珪砂の一つでコンマ数ミリの存在。(それをオリンピック金メダルを取れなっかた世界の人々と換言)
したがってインタビューを受ける、など仮想世界そのもので、マンに一つの確率もない。そのあり得ない、にスポットを当てた編集者(K 氏)の見識眼は尋常ではなかった。(よいしょが過ぎたか)

たまさか、仮想インタビューしてプロパガンダに使うようなこともあるが、ここでは純粋にインタビューをしてもらう側に立つ、という極めて稀な発表の場を作ってもらった。その時点でまったく新しいコンテンツ新機軸だと、登壇の皆さんは一様に絶賛する。で創設者k氏 は「1月にお休みしたい」とサイトに書いていたが、いまだ持続している。どちらが本当なのか判らない、それが作戦か狙いか本心か不明~。(孤軍奮闘のサイト運営は尋常ではないかと)
とりあえず、私はその「無名インタビュー」者の名簿に載って、いよいよ梓版が上がることになった。なにしろ、それを受ける、というのは初体験であり、また応募したものの、何を質問されるか、その反対に質問されるこちらのキャパとか話すネタとか、用意してあるのかといったら、無名人ゆえ何もなかった。
ヤバイなこれ緊急事態だ、と狼狽したところで「錆び」は初めからあって、その身はまったく健全(ノー天気)そのもの。
大慌てで資料をそろえた(実際あわててないが高温多湿室内33℃で思考停止寸前 8/20)ので、一覧にした。
インタビュアー(interviewer). インタビューをする人
インタビュイー【interviewee】. の解説 ... インタビューをされる人。
インタビューは大きく分けて評価のためのインタビューと情報収集のため
インタビューする側が相手に金銭を払うべきかどうかの問題
インタビューのルール
たとえば対象者が質疑に関してはオフレコだと宣言した場合、取材者はその情報を使えない。「バックグラウンド(Background)」という条件の場合、情報は使えても情報源が誰かは言及しない。もし「ディープ・バックグラウンド(Deep Background)」という条件なら、これは情報源を特定できる可能性のある事柄は一切記事にしないということであり、その人物による情報そのものは使えず、第二第三の情報源からの情報で補強できた場合にのみ、その第二第三の情報源をもとに報道できる。 資料ウィキペディア

最近のニュースでは「大坂なおみ」インタビューの場合がある。こちらは無名どころか超有名人で世界メディアでも注目された。それが何かと云ったらその拒否理由を云え、だった。まあ、そんな立場になってみたいもんだと、素人は安易に思うが「有名税」とはそんなに高価なんだろうか。
また、今回のインタビュー形式は「Slack」アプリで編集し「インターネットボット」が作動している、と、検索事項にあった。直接、それを編集者k氏に訊いたわけではないので、はっきりと断定的には云えない。
確かに、こちらから提出する原稿も膨大で、そこに、インタビュー文言をセットするのも大変な作業であることは容易に想像された。ましてやインタビュー担当者の預かっている原稿本数は二桁と訊く。やはり人海作戦では所詮無理で、「インターネットボット」は必要不可欠だと思うし、またそれがあることによって、多くの無名人が発掘されるのであれば悦ばしいことであると、賞賛したい。

■長時間の取材「無名人」のために時間を割いて頂きありがとうございました。 とても良い企画で今後の発展が期待されます。

◇自己蛇足 相対、感じとしては、まあ旨く書けたなと。なにが旨く、だったか、まとまりがゼンゼンなかったこと。編集者K氏の口車に載って、ムキにならなかったこと。意図してそれを交したことではなく、投げてきたボールが硬式か軟式かの別が判断出来なかったこと。
ルールとしては草野球三角ベースが、相手はアメリカ大リーガーの大谷選手孤軍奮闘試合再現だったこと。まあよくある事、ではなかったことは明白だった。

皆さん、楽しんで頂けたでしょうか。機会あらば次号発刊の予定。それにはPV数如何に委ねられます。

「無名インタビュー」インタビュイー者(racoco|ー對馬昇 ) 2021/8/21
以下参考資料 (了)

※古語拾遺(こごしゅうい)は、平安時代の神道資料。官人であった斎部広成が大同2年(807年)に編纂した。全1巻。元々、斎部氏(忌部氏)は朝廷の祭祀を司る氏族だった。しかし大化の改新以降、同様に祭祀を司っていた中臣氏(藤原姓を与えられたが、後に別流は中臣姓に戻された)が政治的な力を持ち、祭祀についても役職は中臣氏だけが就いているという状況だった。本書は斎部氏の正統性を主張し、有利な立場に立つために著されたものであると考えられる。
そして令和の古語拾遺を判り易い現代文で代弁したのが、日本民衆芸能界を作り上げた「伊庭孝」である
伊庭 孝(1887年12月1日 - 1937年2月25日)は、日本の俳優、演出家、作詞家、音楽評論家である。佐々紅華、田谷力三、藤原義江らとともに「浅草オペラ」を築き上げた。887年(明治20年)12月1日、東京市神田駿河台に雑誌社経営者の伊庭真の次男として生まれる。幼少期に両親を相次いで亡くし、本家である心形刀流宗家当主伊庭想太郎の養子となる。番町小学校から東京府立一中に進学し、谷崎潤一郎らと同期だった。14歳のとき、養父の想太郎が刺殺事件を起こしたため府立第一中学を中退し、実兄で医師の伊庭秀栄がいた大阪に移り、天王寺中学に転校する。
折口信夫や緒方章らと親交を結び、校友会雑誌『桃蔭』に中学生とは思えぬ端麗な随想を幾編も寄稿した。また、幼い頃から西洋音楽に親しみ、数種の楽器を弾きこなし、英独語などの外国語を得意とした。緒方の紹介で日本基督教団天満教会に通い、牧師の長田時行より洗礼を受ける。同志社神学校(現 同志社大学)に入学するも、高畠素之、遠藤友四郎らとともに学内で社会主義を唱え、1年半ほどで中退する。歌舞伎や新劇に触れ、友人を通じて『文章世界』に寄稿し、上山草人らと知り合い、『演劇評論』を創刊するなど演劇に傾倒していく。
■『日本音楽概論』著者、厚生閣書店、1928年 NDLJP:1242511 ※学術文献普及会、復刊1969年。 資料 ウィキペディア~

あとがき (qbc)

月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。
人から人へ物語を歩みむさぼる無名人インタビューは、ツーリズムです。

note
https://note.com/qbcqbc/n/n6e6a8efce2cd

おわり


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