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最近、重要な人の逝去が多いです(横尾)

定点、座標軸に収まらない不和的タイプのヒトを、世間はなんと呼ぶか


「画家は絵を描くことが遊びであると思っています。どうも文学者はそう思えないらしいです。画家は寿命が長いから、時間を持てあますから、つい遊びたくなるのです。文学者は、寿命が短いと思っているので余裕がないのか、作品に遊びがたりないように思いますよね」~

最近、あまりテレビを見ないとか、テレビは捨てたとか、車に載らない、ネットのアレとコレはしないとか、里山に籠って生活してます、とか色々、異質の生活をアピールしている記事とか意見を耳にします。

としてもそれが実体という確証もないし、昨日の「無名人インタビュー」みたいに、「田舎の隠遁生活はどうですかお若いのに」、というYouTuberがしそうなアクションでも、多分多くのPVは得られないでしょう。

そんな中、「週刊朝日休刊」ニュースがあって、同業メディアが大騒ぎ、するとか思えば、しなかった。(たぶん明日はわが身(出版)とおもうからか)。

それで即反応したのが被害?を被った当事者(芸能筋)で、昨日は「松尾貴史」さんが依頼の仕事が終わったと思ったら、幸運にも同業出版社が拾ってくれたという記事でした。

その反対で、「打ち切り」によって生活の習慣システムが変わってしまったという人もいて、嘆いたのが「横尾忠則」さんでした。(この際ですから、横尾さんコラム等を依頼したい出版社がもし゛ゼロ゛だったら日本活字アナログメディアも世の末ですね)

ですから冒頭文の意味、誰が書いたのか、それでお分かりでしよう。そもそも「休刊」話題ニュースがこのnoteでも上がらないのですから。

そんなことを横尾さんも嘆いていて、「僕の絵はそのような状態を描いているのかも知れません。絵には言葉がないが、絵だって言葉にできないけれどれっきとした視覚言語だと思っています。言葉にできない言葉を絵という造型物で語ろうとしているのです。絵の伝達は面白い。見る人が、絵を見て、考えたり、思ったり、直感したりします。意味など考えなくていい。一瞬で世界を語ってしまいますが、文字や言葉にしないと『わからん』という人も結構多くいます。画家からすればそこが面白いのです。それは作家の特徴で悩んでなさそうな深沢七郎さんだって悩んでおられたのです。
濃霧の中を歩いているようで茫漠としてよくわかりません。」

それで昨晩は、寝られなかったのでテレビを見ました。特別これ、ということじゃなく、寝ながら見た感じです。(薬は寝る前に毎晩飲む)

観たのは音楽番組で「森山良子」50周年記念ツアーコンサート(2016年)でした。2016年にデビュー50周年を迎えた森山良子が、2016年9月24日(土)に50周年記念となるツアーを大宮ソニックシティからスタートさせた。 2016.9.27 14:35ニュース

10月23日(日)Bunkamuraオーチャードホール[東京都]開演14:00(これがテレビでやったもの)
森山良子 紹介 サンフランシスコ生まれの日系2世ジャズ・トランペッターの森山久を父として、元ジャズシンガーの浅田陽子を母として誕生し、兄がいる(かまやつひろしは従兄(母の甥)、その長男かまやつ太郎は従甥)。

そして「復元師と天翔る白馬」初回放送日: 2023年6月3日
億単位の値が付く国宝級の陶磁器についた傷や破損。それらを完全に消してしまう技を持つ復元師の親子。ひと呼んで「ゴッドハンド」。(ついさきほど録画全編見た)

伊万里柿右衛門様式色絵馬(いまりかきえもんようしきいろえうま)
広島県立美術館 https://www.hpam.jp/museum/access/index.html


広島美術館


広島美術館

■伊万里柿右衛門様式色絵馬 伊万里焼(有田焼)は、17世紀初頭から佐賀県有田町を中心とした地域で作られるようになった磁器の総称です。その名称は製品の多くが近隣の伊万里港から出荷されたことに由来しています。伊万里焼は江戸時代中期からオランダ東インド会社を通じてヨーロッパ方面へ盛んに輸出されました。特に、華麗な色絵を施した柿右衛門様式と呼ばれる一群はマイセンを始めヨーロッパの磁器焼成に大きな影響を与えました。
確固とした造形力から生まれたどっしりと安定感ある躯体、轡をはんで眼をかっと見開いた馬の緊張感ある表情、華麗な衣装の文様は作品の美しさを際立たせています。オランダ東インド会社を通じた注文に応えた有田の陶工の力量が発揮された名品といえるでしょう。現在のところ、世界で5体しか確認されていないうちの2体を当館でご覧いただけます。この作品はフランスからの里帰り品です。(広島美術館) (※参考画像と修復品は別物)

昔の遺物に圧倒されても、なお余りある存在感

その、「伊万里柿右衛門様式色絵馬」修復については、テレビ予告があって知っていましたが、すっかり忘れていて、たまたま点いていた番組だったので、見ていたら半分寝ていた。だから神の手が、それを塗り直している数分を覚えていたので、今朝いろいろ検索して、その「絵馬」を探したのです。

いや、画像だけでも、その実存感が明確で、手の平倍サイズでしたが、圧倒されましたね。彩色図柄が超一級で、茶碗皿の陶器類の図とは違った作図で、被写体が馬、ということもあって余計に立体感が増したのでしよう。絵付けもさることながら、馬本体の再現力がずば抜けている。蹄と後ろ足の微妙な傾き加減が、本物らしさを再現しているです。

いや、やっぱり足りない知識というの、他から吸収しないことには、蓄積情報が偏ることを、実地で見せられた思いがしました。テレビの効果に改めて認識した次第です。

さらにそれが人の手によって修復、もとにあったように復元された、という事実でした。詳細は見てないので判りませんが、一度(二.三は知らない)修理した痕跡があって、それを一度解体して、というやり方は、見ている方にしたって緊張する。何しろ国宝、また国宝級の代物ですから、それしかない代替が効かない。変な話し、命と交換みたいなはなしです。

そんなことで思い出したのが大昔読んだ「発掘原石ダイヤモンド」カットの伝説逸話でした。
アフリカか、どこかで産出した原石ダイヤモンドは、当時で世界最大と云われた。としても何と比較して最大なのか、一般人は知らないので、最大だからすごい、と思うしかないし、それが仮想話であっても3人4人と伝わるとそれが実物に擦り代わる。

はたしてそのダイヤ、カット専門職人の手に渡った。三日三晩、金庫に保管し、さあ、カッターテーブル上に用意して数分眺めていた。傍らで見ていた、助手が身動きしないその職人を覗くと、眼を開いたまま卒倒していたという逸話が残っている(作り話かどうか真偽不明)。

ですから、その伊万里絵馬の修復を請け負った修復師ゴットハンドと云えども、二三の呼吸は止まったことでしょう。(それを見せないのがプロですが)

それからすると横尾忠則さんの指摘した絵の効力「絵は一瞬で世界を語ってしまいます」という語彙形容は、そのものズバリ、としか云いようがないですね。

いま若い人の中の少数で、インフラ(新デジタル社会)に対するアレルギー反応というか、拒否反応といいますか、デレビ不要、車不要、SNSはしない、かといって書籍が売れない、週刊誌休刊、という現象は、何がずれているのか不明、という見方も出来ますが、簡単にいったら、昔からあるものはそのままで、それをするのに何が必要で、個人が手にしている中身が何か、それを検証すれば即答が返ってきます。

字を書くのに昔は筆がペンになって、そしていまスマホ。遠距離伝達するのに「手紙」をやめてスマホで世界送着発信。(場所によってウクライナでは今生きるのに必須アイテム)
チベット、ネパール山岳民、アジア諸島の僻地であってもスマホだったら動画のdanceだって見られるし、西洋文化の生活もそこで知ることができる。
それが仮想空間であっても、朝起きて飯食って仕事勉強して夜に寝る、という反復生活に大きな差は無く、物がない、というのを大なり小なり我慢すれば、その一生に大した差は無い。(ただ欧米型唯物貨幣インフラに羨望するという価値観の強要が払拭できないという課題はある)

ですから、「週刊誌休刊」と云うのは、ただ資本経済の僅か一断片がなくなった、という話しではなく、それによって仕事が一つ減った横尾さんの場合にして、そのことで生活習慣のサイクルが狂い、変調を来たす場合もあり、それが凡そ100万人スケールに波及該当するとしたら、とてつもないマイナス要因を含んでいるということになるでしょう。
おそらのその兆候は、あと3力月後の9月中頃にで始まると予想してます。
その根拠は秋の彼岸(秋分の日)の季節の変わり目と同時にはじまるという古来の言い伝えに依るものです。自然界では「彼岸花」がその日に時計のような正確できっちり咲き始める。(呪術シャーマン占いではなく、古来よりの24節季としての地球回転軸による寒暖差統計数字。宇宙の摂理)

2023年06月04記事

横尾忠則の週刊朝日休刊を憂う

横尾忠則「『週刊朝日』の休刊は、社会に反省と自律を促している」
シン・老人のナイショ話 4
週刊朝日 2023/06/03 16:00 横尾忠則
芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。

今回は、「週刊朝日」について。
 自分が何を考えているのか、濃霧の中を歩いているようで茫漠としてよくわかりません。僕の絵はそのような状態を描いているのかも知れません。絵には言葉がないが、絵だって言葉にできないけれどれっきとした視覚言語だと思っています。言葉にできない言葉を絵という造型物で語ろうとしているのです。絵の伝達は面白い。見る人が、絵を見て、考えたり、思ったり、直感したりします。意味など考えなくて、いいのです。

 絵は一瞬で世界を語ってしまいますが、文字や言葉にしないと「わからん」という人も結構多くいます。画家からすればそこが面白いのです。小説家は、どういうわけか悩むのが好きそうに見えます。悩んでなさそうな深沢七郎さんだって悩んでおられたのです。また小説家は本を書くことで征服したいんじゃないでしょうか。どうも文学者は作家論など書いて自分のものにして、乗り越えないと気が済まないんじゃないでしょうか。
 画家は絵を描くことが遊びであると思っています。どうも文学者はそう思えないらしいです。画家は寿命が長いから、時間を持てあますから、つい遊びたくなるのです。文学者は、寿命が短いと思っているので余裕がないのか、作品に遊びがたりないように思いますね。僕は関西人だから、ラテン系です。とにかく生活、仕事そのものを遊びと考えています。またふざけるのが大好きです。生きるのも軽く生きたいのです。だから画家には向いています。悩むのが大嫌いです。悩む人はだいたい言葉で悩みます。

 僕は子供の頃から、ラテン的体質を成長させるために、知的なメディアに対しては興味が持てなかったような気がします。知的なものに興味を持てば子供心に必要なラテン感覚がなくなってしまいます。だから本に興味がなかったのも、そのことが理由だったのかなと思います。
 だけど、瀬戸内寂聴さんからお声がかかって、「週刊朝日」に往復書簡を連載することになりました。これは手紙だから、話し言葉の延長みたいなもの、苦になることはなかったです。話すように書けばいいので、相手が文学者であっても、そんなに緊張はしませんでしたが、文通を始めて2年ほどした頃、瀬戸内さんが病気になられて、とうとう帰らぬ人になってしまわれました。残された僕は、その後をついで、心の思うままの駄文を連載することになりました。

 日頃、考えもしないことを、編集者の鮎川さんからお題をいただいて、それに答える形で今日まで書かせていただきましたが、突然、「週刊朝日」が100年の幕を閉じることになってしまいました。
 この連載を通して自分が日頃何を考えているかが、文章を書くことによって見えてきました。自分でも「ヘェー、こんなこと考えているんだ」と思うこともあって、この仕事は僕にとってはお仕事というより、お遊びであったように思います。
 それが突然、休刊によって、お遊びを取り上げられてしまいました。1週間に1本というのは、僕にとっては、丁度いいローテーションで、毎週、2本のエッセイを入稿していましたので、〆切に追われることはなく、逆に編集者を追う形になっていたと思います。これも僕の遊びです。
 1週間単位でエッセイを連載したのは、「週刊朝日」が初めてでした。最初は、「書けるかな」と腰が引けていましたが、この仕事は絵を描くサイクルと丁度上手く噛み合って、仕事と生活のリズムを作ってくれました。

 それが、今回(雑誌休刊)でこのリズムが狂ってしまうのです。絵だけを描いている作業は、健康によくなく、こうして、週イチでエッセイを1本書くことで、絵も上手く回転してくれていましたが、「週刊朝日」の休刊で、そのリズムが破綻をきたしたのです。
 戦後薄っぺらい「週刊朝日」がわが家に1冊あったのを記憶しています。表紙は洋画家の絵だったように記憶しています。

 その後、今日まで、「週刊朝日」には縁がなかったように思います。一度、林真理子さんに呼ばれて対談をしました。10年ほど前には田原総一朗さんとの対談がありました。似顔絵に一、二度登場したりもしましたが、他に思い出すことは20歳の頃、読者欄にカットを投稿してそれが掲載されたという古い想い出がひとつありました。それにしてもあまりご縁のなかった「週刊朝日」で瀬戸内さんとの連載が始まった時は、夢のようでした。

 朝日新聞出版の他の雑誌には色々とご縁がありました。「朝日ジャーナル」や「AERA」の表紙を描いたり、「アサヒグラフ」や「AERA」の表紙に出たりはしましたが、連載の仕事は「朝日ジャーナル」に短期のイラスト時評ぐらいです。
「週刊朝日」の連載者は千回を超えた執筆者が何人もおられます。すると先がそんなに長くない僕でも、もしかしたら死ぬ週まで連載ができるかな、と期待を抱いていましたが、僕より先に「週刊朝日」が逝ってしまいました。

最近は重要な人達の逝去が多すぎます。その理由は、この社会に対する反省と自律を促しているように思いますが、「週刊朝日」の休刊も例外ではなさそうに思いますが、如何でしょうか。

著者 横尾忠則/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日  2023年6月9日号



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