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香りは遠ざかる

庭に咲いている金木犀がいつのまにか香らなくなった。
実は自分の家の庭だけでなく、通りすがりにいくつか金木犀が香り立つところにめぼしをつけていて、楽しみとしていた。
通りがかるたびにそのまろい、あまやかな香りにふくふくと微笑んでいたのだけれど。
行き掛かりで見つけたはずのお気に入りの金木犀は、すべて散ってしまっていたようだった。
十日ほどのはかなさだったのだろうか。
日に日に、香りが薄まっているのはわかっているつもりだったのだが。

……すこしばかり、さみしくなってしまった。

さみしいとはいうものの、昨年の今頃は、金木犀の存在に気づきもしていなかった。
周りを見渡す余裕もなかったのかもしれない。


この頃は空を仰ぐことが多くて、この時期は鳶がたいそうのびやかに空を占領している気がする。
普段はほとんど見かけもしないというのに、秋口からは鳶の鳴き声と、悠々と空を舞う姿を見かける。
咄嗟にスマホのカメラを構えても、うまく撮ることができない。たぶんピントが合わないのと、低く飛ばれると動きが早くて思ったより捉えにくいのだろう。
もともとそんなにカメラで撮る技術があるわけでもないので、まぁ仕方がない。

さて、私の家の庭に菜園らしきものがある。
まだなすびが実っていて、季節ってなんだろうなと思わないでもない。
おなすはフライパンで焼いて、しょうゆと生姜でいただくのが私は好きだ。ぽんずでもいい。油がのってるのもいい。
おなすは揚げびたしも最高だと思っている。……書いていたら食べたくなってきた。
食欲の秋。

そういえば、庭に植えられている白木蓮が春に備えてつぼみだしている。花開くのはきっと三月頃だろう。
この時期からもう準備しているのだなあと、もう二十年以上見ているはずなのに意識してこなかったことに気が付いた。
白木蓮が陽の光の下で咲くのもきれいだけれど、月明かり、あるいは常夜灯の元で咲くと幽玄というか、妖艶というか、また違った魅力があって好きだ。
私はそれを見つけてしまったあのひんやりとした早春のオレンジ色の夜を忘れられないでいる。
金木犀への名残惜しさを代替するかのように、冬を通り越して、私は春が待ち遠しくなる。冬は冬で好きなのだけれども。

十五夜から欠け、またふっくらしてくる月を眺めて、季節はめぐってくものなのだなあとしみじみ思いを巡らせる夜。

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