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100キロマラソン挑戦記

フォレストガンプのようにアメリカのセドナを走る走る走るどこまでもどこまでも立ち止まらず真っ直ぐな道を真っ直ぐな心で。。
フォレストガンプの走り続けるシーンは今でもずっと好きなシーンだ。もし目の前をガンプが走り通るなら自ずと僕もついていきたい。
そう走るのが好きな人ならば同じく思うはず。
走れるかどうかは考えない。
僕らもずーっとどこまでも遠くまで走れることなら走り続けたいのだ。何日も何日も。そして一日中。

走れるかどうかというより”走りたい”
そして僕は12/11(日)いわて銀河100キロマラソンにはじめてエントリーをした。
人に言うとあれこれ言われそうだから言わないでおこう。
大抵の周りの人は皆んな
「何でそんな苦しいことに挑戦するの?理解できない」「お前気がふれてるのか?」など。
言われてテンション下がるのが目に見える。。
おおー素晴らしいね!
ぜひサポートさせて。
なんて前向きな答えを返す人は今のところ思い浮かばない。
そして誰も僕が完走するなんて思ってもいないだろう。

”朝RUNのひとコマ”

2022年11/13(日)に生まれて初めて42.195キロを完走した。
身体もボロボロ精神力はスカスカ。
半分走っただけで疲れ、一旦キケンしようかなと思って立ち止まり後続者に次々抜かれていくうちに
周りを見渡せば、100キロの巨体のランナーや、かなりのお年寄りの姿、そして細い脚のモデルのような若い女性、ルンルンではしゃぐ外国の方。。
そういった他者のランナーをみていたら腹が立ちキツいのは皆んな一緒だろ。と奮起し36キロ地点からは脚を引きずるようにゴールした。最後は残り1キロでさえ全く走る動作が出来ないほど酷使した。
なのに
なのに
なぜ?ヒャク?!
100キロー!?

それはそれは
身体を酷使し、ボロボロになっても
そこにはとっても大きな達成感と
仕事でもなかなか味わえない清々しさと
何か大事な旅を終えた幸福感に包まれていたからだ。そう。僕にとっては初めてのフルマラソンは旅だったから。
”5時間40分”
こんなに長ーい時間走ったことなんてなかった。
毎日走っているから走れるだろー。と思っていたら間違い。
やはり長い距離を走るレースなら
たまに同じくらい長い距離を走っていないと走れないのだ。だから僕みたいになる。
しかし完走できた。それも昔からある歴史的距離42.195キロを。だ。

それからというもの
仕事の意識も変わり何かが弾けた。
走る事はぼくにとって生命力かもしれない。
もっともっと走りたい。と思った。
あのフルマラソンの時の走っても走ってもゴールが見えない感じ。
あの感じもなかなか良かった。
大きな空や大地や真っ直ぐな路。
そこを皆んなと走る時、そこにある景色は自分だけのものになった気がする。両手を広げオー!と叫びたくなるのだ。

フルマラソン完走報告をSMSのアプリ。
ランナーが集まるRUN tripにジャーナルを載せたら反響があり知らない人達からお疲れ様コールを頂いた。その時思った。RUNは人を繋ぐ。
走っている。ただそれだけの習慣がこうして知らない人と結びつく。不思議な”縁”だ。そして知らない人から励まされて益々やる気が起きる。
知らない人なのに。
おかしな話だけど実際そうなんだ。

”初フルマラソンメダルは南部鉄器で作られたメダルでした”


長い距離を走りたい。
ゴールなんてなくてもいいんだ。
とにかくずっと ずーうっと走っていたい。
おっきな大地のポツンとした人で。
そこには僕だけの景色が待っている。
そこに身を投じたい。
100キロという距離なんて知らない。
ただどこまでいけるか
どこで脚が止まるのか
分からないけど走りたい。
無謀かもしれない
人にアホか。、と言われても走りたいのだ。
それまで楽しみに
日々のRUNを長めに走る。
LSDという言葉を最近知った。

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