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陰謀や あくがれて夏の ポプラかな

 こんにちは。ほんとクソ暑うございますね。そんな今日は昭和60年の日航機御巣鷹山墜落事故から35年が経過した日となります。
 現代人にとって御巣鷹山事故といえば陰謀論といえるほどあの事故の原因についての陰謀論は多く存在し、米軍による撃墜説から闇天皇や教皇派どうこうまでネタは多様です。

 ところで、私は昔「夏の冒険」に憧れていました。ドラえもんあたりの映画の影響でしょうか、小学生の頃夏に家族でキャンプに行くとキャンプ場を舞台にいつもの妄想(初恋の子と友達であり、かつ恋人というもの)の「劇場版」を妄想してたものです。あの頃はかなしくも楽しかったのです。

 しかし中学生になり、たった一度話しかけられただけで2年も恋したあの子への想いも冷めるとさすがにその手の身の周りの実在人物との冒険妄想に冷めてしまいました。本当は未練たらたらでした。でも理想と現実のギャップに傷つく心をこれ以上守り抜ける気がしなかったのです。それ以上に中学生になりようやく女子と口がきけるようになり、もしかしたら彼女ができるかもという希望を抱いたという理由もあります。

 そしてどういうわけか、もし彼女を作るなら男は強くあらねばならない、そう思ったのです。私のような臆病ものには愛する女の知れないところで場数をこなす必要があったのだーー当時はそう思い込んでいました。

 そう、つまり妄想を否定した私はまた「冒険」を欲するようになったのです。

 中学1年のそんなある日、夏の30℃を超える昼下がりにいつもの趣味でチャリにケツを預けて金もスマホも持たず屯田の街をフラフラと自分の至らぬところを理詰めで冷めつつ蜃気楼に酔ったまま徘徊していたところ、屯田みずほ通という散歩道の東端、ポプラ並木の下を流れる創成川との交点にある「みずほ通り」の看板に書きなぐったような白い字の落書きがありました。

確か「創価学会ハ悪!私は創価学会にレイプされた!奴らは日本の悪癌!」みたいな内容だったと思います。私は恐怖するとともに心躍る自分がいることに気がつきました。ああ、ついに大陰謀の一端に触れられたのかと。

 ーー期待したのに結局大陰謀の大冒険は訪れなかった、きっとあれは統合失調症あたりの患者の書いた妄想だろう、誰もレイプされなかったんならいいじゃねぇか、結局陰謀なんてなかった、秘密を知った俺を襲いかかるヤツらはいなかった、それどころか陰謀勘違いによるドタバタ劇すらなかった、結局無駄に長く引っ張って何がしたかったんだろうか。

 結局札幌の中でそれなりに田園都市っぽいところのある(?)屯田は普段住んでいる住宅街とは違った夏の幻想も蜃気楼も見せてはくれなかったし現実に存在するリアルな人間との交流を軽視し脳内自分叩きごっこというストーリーの登場人物に落とし込んだ末に「陰謀論」というやりようによっては痛快になりうるフィクションの世界の人物がリアルのしがらみ抜きで受け身な自分のもとに襲いかかってくれるはずはなかったのです。

 でもひとつ「希望」もしくは懸念があるとしたらそれは私自身の「憧れ」と思い込みの強さ、そして信じちゃダメな時にだけ発揮される信じやすさだったのです。何事もなく妄想の代わりにジェラシーだけためこんだ私は高校に入学してからようやくリアルな厄介ごとに巻き込まれ念願の「厄介ごとの主人公」になることができました。そして恋愛における「暗喩」だとかほざいて相対する両片思いの陰謀屋であるかのごとく振る舞いすらしたのです。

 「望むだけじゃ誰もいいものはくれない、自分で手に入れるように動かなきゃ」そのことを陰謀論への期待というズレたことを通じて学んだ私はやはりズレているのでしょうか。

 地歴郷土研究会という中学時代から欲しかった郷土研究サークルを自らこさえてから1年、暑い夏の日にはふと「唐突な非日常の訪れ」に憧れていたあの頃の陰謀ことを思い出すのです。

 

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