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ソバーキュリアス

もともとは アメリカの若者の間で 広がっている考え方。


それが 世界的にも 認知され始めている。


お酒が苦手だったり あまり強くない人達のお酒との付き合い方だ。


嗜む程度の距離感で お酒と向き合う。


多様性に満ちた世界。


そして 色々な考え方を共有出来る現代らしい言葉だと思った。


そうなのだ。


人によって キャパシティは違う。


「俺の注いだ酒が飲めないのか?」


なんて そもそもが 人権侵害だ。


その人物と空間を共有したいと願っている可能性は 著しく低い。


強制的な事ほど 圧迫感を感じるモノはない。


あたす自身も 必ず 聞くようにしている。


「お酒 大丈夫な人?」


1言 聞くだけ。


その解答に合わせて 飲めるなら そのままアルコールをマイペースに飲んでくれれば嬉しいし 苦手なら ソフトドリンクでいい。


嫌な顔をされて 無理されても ひとつも嬉しくないから。


全てを把握したり 理解することは難しいというか 不可能だけど 出来る範囲内でなら 心を遣うことが出来る。


自分の意見や思考を無視してくる人物と 尊重してくれる人物なら どちらと一緒に居たいかなんて 無意識的に 決まっているようなもんだ。


文字を読めても 意味を理解しなければ 読解したことにはならない。


漢字の知識があるとか 文才があるとかとは また別の領域だ。


言葉を読解しながら 表情や声音を合わせて 総合評価することからさえ 背を向けなければ 円滑に 空間は流れる。


しかし この能力は 普段からの意識が物を言う。


そこに立場や性別 年齢は 無関係。


どんな人だって 話を聞いてくれる人に 心を寄せる。


そして 聞くだけだけではなくて 求めた時に 自分の話を起点に 意見をくれる人は もっと 心を寄せて 話したいと思われる。


だからこそ 会話というものは これまでも これからも 必要不可欠だと 感じるのだ。


薄っぺらい関係で 時間が通り過ぎるのを望んでいるなら 何も言わない。


お互いが 少しずつ 寄り添う姿勢があれば 回数を重ねる毎に 自然と 関係は 深くなるものだと 確信している。


もちろん それぞれの心地良い距離感を保ちながら。


それは 先程書いた お酒との距離感と なんら変わりない。


ソバーキュリアスという言葉を調べるとセットで出てくる単語がある。


それは 微アルコールだ。


まさしく この考えを補足するような言葉で 意味合いは 言葉の通りだ。


自分に合ったアルコール度数とペースで 楽しむ。


他人の雰囲気を掴む努力もせず マイペースで楽しみたいなら お部屋で どうぞ。


その努力をしないで お店で 暴れ回られても 迷惑にしかならない。


つくづく感じること。


遊び方を覚える前に 飲み方を覚えてほしい。


空間は そこにいる みんなで作り上げるモノ。


決められた法律が無いのは それぞれを尊重する為で 好き勝手やっていい為にあるわけじゃない。


楽しみ方は 千差万別。


立ち振る舞いを知らないのは ベロンベロンに酔っぱらった人と 同等なくらい 質が悪いことを知ってほしい。


基本的に 怒ることはしなくていい。


ただ 度を越えている場合は 容赦なく 注意をすることにしている。


その後の時間を楽しめないのは 時間侵害でしかないのだから。


コミュニケーションツールの1つとして 上手く使いこなせたら これほど味方になってくれるモノは 中々 無いのだから。 

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