サムネ

【第65回】僕にはまだやらなきゃいけないことがある。(上海旅行記 Vol.5)

この記事は【第61回】謎の言葉「イツマッ」を解き明かせ(上海旅行記 Vol.1)から始まる上海旅行記の5回目です。1回目から読むことをおすすめします。



2泊3日の弾丸旅行で上海に来た僕は浦東エリアから外灘エリアに移動すべく船に乗っていた。

まさか船に乗れるとはな…。

黄浦江横断船と小便小僧

上海市内には黄浦江という全長97kmの川が流れており、横断するには地下鉄を使い地下を抜けるかバスを通り橋を渡るか、船を使い川を越える必要がある。

せっかくなら日本でなかなか無いような渡し船を選択することにしたのだ。航路はおおよそ1km。川と単に言ってもスケールが違うのだ。

船には遊覧船とただの渡し船があるけれども、僕は後者を選んだ。とにかくこれが安い。2元、つまり、日本円にして当時のレートだと約32円なのだ。これで船に乗れるなら、かなり安いものである。

日本でも数えるくらいしか船に乗ったことがないのに、まさか上海で乗れるとは思わなかった。

乗船口は東方明珠電視塔を出て川沿いを通り南に1kgほと行ったところにある。決して歩けない距離では無いので散歩がてら歩いて乗船口に向かった。

乗船口。広い。レストランなども併設されているようだ。

乗船券の購入窓口。お金を渡したらすぐにチケットをくれる。

乗船券。ボドゲのコマみたい。
電車のような改札の横に設置された箱に入れて通る。

船の乗船券を買うときに受付の女性がアイスを食べながらチケットが投げるように渡してきたけれども、これきしのことで僕は、もう驚かない。文化が違うのだ。

乗り込んだ船は真っ赤な2階建ての、それなりに大きなフェリーである。ほとんど地元の人しか使わないようなローカルなものだったが、それがいい。

乗り込んだ船。銀行の名前が書かれているが広告だろうか。

展望席で外を眺めながら写真を撮っていると、10分程度で向こう岸に到着した。

船を降りようと、船と陸との間にかけられた橋を歩いていると、なぜか母親に抱かれた小さな男の子が目に入った。

なんとなくそれを目で追っていると母親がおもむろに小さなゴミ箱の前に立ち止まり、子どもを下ろして、その目の間に立たせた後に、さらにその子のズボンを下ろしたのだ。

突然のことに、思考がついて行かない。

何が起こったんだ?と思っていると、男の子は排尿は始めた。

え?今ここでするの?ごみ箱に?なんで?

正直ものすごくびっくりした。田舎の草むらの中ではなくて上海という大都会のど真ん中で、こんなことが起こるとは露ほども思っていなかったからだ。

これは後から知ったことなのだけれども、中国では子どもの排泄には、かなり寛容な文化があるらしい。中国の幼児用のズボンでは、どこでも用が足せる様に股割れになっているものもあるようなのである。ただ最近は公衆衛生の改善等で意識が変わってきているらしいので、日本の痰壷のように今後見られなくなる光景かもしれない。

文化に関して、ちょっとやそっとじゃ驚かないぞと思っていたけれども、してやられた。まだまだ中国は奥が深い。

外灘

船を降りてたどり着いたのは外灘と呼ばれるエリアである。このエリアは19世紀末から20世紀前半の疎開地区(外国人居住区)であり、当時の西洋高層建築物が立ち並んでいる地区でもある。

なかなか趣のあるところだ。それに、ここが上海租界になったのはアヘン戦争の結果によるものだから歴史的なロマンもある。当時は日本は江戸時代だぞ。

けれども外灘の魅力はそれだけじゃ無い。川を隔てた向こう側に見える浦東の高層ビル群だ。

上海を象徴する代表的な風景といえば、やはり外灘から浦東を見た景色だろう。

この日、初めてiPhone7のカメラ性能を恨んだ。ここら見える景色があまりにも荘厳だったのに写真だと、その感動がちっとも伝わらないのである。ここが中国の改革解放以前はただの農村でしかなかったというのは全く信じられない。

正直、浦東を見るだけでも上海に行く価値はあるだろう。

ある程度、景色を堪能すると僕は豫園へと向かうことにした。

やってないんかい

外灘から歩くこと10分ほど。意外とあっさり豫園に到着した。Googleマップは偉大である。

豫園とは明の時代に四川省の役人だった潘允瑞が、故郷を懐かしむ両親のために、造り始めた庭園だとされている。1577年に完成しているのだけれども、この時、日本はまだ戦国時代である。ちょうど織田信長が勢いを持ち始めた頃だ。

そして豫園の周辺には豫園商城と呼ばれる買い物街もある。お土産はここで買おうと決めていた。

豫園商城。レトロな雰囲気がたまらない。
先程まで大都会にいたのに不思議だ。

しかしだ、VRローラーコースターで予想外の出費を迫られた僕は、中国人民元がほとんど手元になくなってしまっていたのである。

中国は物価が安いからとたかをくくっていたけれども、豫園商城にある店を眺めていると、どうも満足に食事やショッピングを楽しむとしたら完全に懐が心許ない。

実は東方明珠電視塔内にいる間からATMを操作していたのだけれども、お金を一向に引き出せないのだ。これは中国国内でVISAやMasterCardと言ったクレジットカードの普及率が低いことに加えて、僕がキャッシング機能を使いすぎないようにと使用できない設定にしていたせいである。

しょうがないので持っていた日本円を銀行で両替してもらうことにしたのだが、これが困ったことにすぐ近くに銀行がないのだ。

ネットをフル活用して調べていると、なんとか両替所が近くにあることを発見。

GoogleMapには載っていないので必死こいて歩き回る。歩いてばっかりだな…。

実はホテルの朝食ビュッフェを現地のものを食べたいと思い食べずに街に出てきて、機会を逃したせいで、お腹が空いてたまらないのである。空腹のせいでイライラしてきた。

そして、やっとの事で見つけた両替所は閉まっていた。

やってないんかい。

ネットを見る限り営業時間なんだけどなぁ。

おばちゃんに気をつけろ

結構時間が掛かったけれども遂に銀行を見つけ両替をすることができた。

日本の銀行と異なり窓口に鉄格子がかかってるのが非常に怖かった。日本はやっぱり治安がいいんだと思う。

とりあえず遅めの昼食にしよう。なんとこの時点で16時を過ぎていたのだ。上海グルメを楽しみにして来たのに、まだコンビニ飯しか食べていない。

向かったのは自分で料理をお盆に乗せて後から会計をするタイプの食堂だ。これなら言葉が通じなくてもなんとかなる。

悩みに悩んだ挙げ句、僕は、豆の入ったお粥、小籠包、小さな鳥の丸焼き、ストローで肉汁を吸う少し大きめの小籠包のようなもの。うーん…、小籠包とストローで肉汁を吸う少し大きめの小籠包ようなもので小籠包が被ってしまった。

これで確か100元。日本円にすると約1600円だったと思う。正直高いなと思ったけれども観光地価格だし、値段もわからずに適当にメニューを取ったのでしょうがない。とにかくお腹が空いてたのだ。

まずはお粥を一口。全然味がしない。しょっぱそうな見た目をしているのだけれども、無味だし冷たい。ギャップが激しい。机に置いてあった醤油をかけると美味しく食べられた。

次に小籠包を1つ食べる。うまっ…。肉汁が口いっぱいに広がる。決して名店の小籠包ではないはずなのだけれども、過去一番で美味しかった。日本に帰ってから小籠包を食べる機会があったのだけれども、これを超える小籠包には出会ったことがない。

次にストローで大きめの小籠包から肉汁を吸う。あ、美味しい。こちらはカニの風味が効いてて、また違った味だ。

ここまでなかなか満足している。けれどもまだ残っているものがあるのだ。

さて、鳥を食うか…。

この鳥が今回のメインだ。日本では絶対に見られない料理。グロテスクな見た目をしているけれども。どんな味がするのだろう。そしてどうやってこれを食べればいいのだろう。

そんなことを考えて首を捻っていると、トントンと誰かに肩を叩かれた。

振り返ると、知らない、おそらく中国人のおばさんがこちらを申し訳無さそうに見ている。

なんだ?と思っていると、おばさんが僕の鳥を指差した。そして手に握られたお金を僕に見せてくる。

あ、売って欲しいってことなのかな?2匹僕の皿に乗っているので1匹くらい売ってもいいだろう。

「Okey.(いいですよ)」

と僕が答えるとおばさんは笑顔になり、ひょいっと僕の鳥を一匹取って足早にどこかに行ってしまった。

え?何が起こった?あまりにもとっさのことで何もできなかった。

僕が食べる予定だった鳥を盗られてしまったことになる。後からよくよく考えると売ってくれなんて言うわけがない。きっとお金がないのでくれ、という意味だったのだろう。

ああ、しまった。昨日、適当にOKと言ってはいけないと学んだばかりなのに。次こそは気をつけよう…。

もうどうしようもないので、そのままご飯を食べた。鳥は小骨が多く食べにくかったけれども美味しかったなぁ。あの、おばさんめ、許さんぞ。

古城公園

お腹が一杯になった僕は豫園商城に戻り、お土産を買ったり、ショッピングを楽しんだ。お店の人たちは言葉がわからないけれども優しく、試食をさせてくれたりしたし、本当に楽しかった。

とにかく町並みの雰囲気が独特で歩いているだけで楽しい。

日本では当時珍しかったスイカジュース。
自然の甘みが美味しい。

日本のものもたくさんあった。本物かなぁ…?


街を歩いているだけで、あっという間に時間が流れていった。

残念ながら豫園の庭園には営業時間切れで入れなかったけれども、胸の内の満足度が高かったのだ。

買い物を終え、満足した僕は豫園のすぐ近くにある古城公園へと向かった。これは意図しておらず、ふらふらと歩いていたら、たまたま敷地内に入ってしまったわけで。

公園内は綺麗に整備されており、花壇や切り枝で作られたイルカなどに目を奪われる。

人々は階段や広場に腰をかけ、思い思いの時間を過ごしていた。それに習い僕も座り込む。

今日は歩きっぱなしで疲れたな。

そんなことを思いながら空を見上げる。日もくれ始めていたし、雲はあるものの、しっかりと青空を見ることができた。

ああ、空はどこに行っても青なんだ。この空は日本へと続いているんだなふと思う。

センチメンタルな気分になっていて、かなりポエミーなことを思っているのは確かなのだけれども、このときは素直に出た感情だった。

この旅ももうそろそろで終わる。そう思うとなんだか少し切なくなってきた。

けれども観賞に浸る前に僕にはまだやらなきゃいけないことがある。

それは浦東の夜景を見ることだ。

最後に

僕の旅も半分以上が終わりました。2年前のことですが、当時の足跡をできるだけ思い出しながら、できるだけ正確に記しています。

読んでくださっている方々、本当にありがとうございます。今までよりもいいねが付いて驚いています。

残り僅かですがお付き合いください。

続きます。


>>前の話はこちら:【第64回】浦東と僕とカンチガイ(上海旅行記 Vol.4)

>>次の話はこちら:Coming Soon!


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