サムネ

【第64回】浦東と僕とカンチガイ(上海旅行記 Vol.4)

この記事は【第61回】謎の言葉「イツマッ」を解き明かせ(上海旅行記 Vol.1)から始まる上海旅行記の4回目です。1回目から読むことをおすすめします。



夢にまで見た海外旅行で上海を訪れた僕は様々なトラブルを乗り超えなんとか2日目の朝を迎えることができた。

2泊3日で旅行しているのだけれども、飛行機の都合で、この日がめいいっぱい時間を使って観光できる最後の日なのである。明日にはチェックアウトしたら、すぐに空港に行かねばならない。

ここで今回の旅行のプランを説明しておこう。

まず浦東エリアと呼ばれる高層ビル街に行きオリエンタルパールタワーに登る。その後、川を渡って外灘エリアに行き向こう岸の高層ビル街を眺めつつ、豫園エリアに行って庭園の観光とお土産や食事といったショッピングを楽しむ。その後、外灘エリアに戻り夜景を撮影して帰るといった寸法だ。途中で気になるものがあれば自由に寄って良いことにする。

移動エリアとしては狭いけれども、欲張るよりこれくらいゆるいほうがきっと楽しめるに違いない。

川沙公園〜いきなりの予定外の行動〜

ホテルを朝の7時に飛び出すと川沙公園に向かった。

さっそく当初の計画に無い行動をしてしまったけれども、ホテルを出ると昨日と町並みの印象が変わっていて、道に迷いさまよった風景の朝の様子を見ておきたくなってしまったからだ。

特に川沙公園の周辺は昨夜は街灯がほとんどなく真っ暗だったので、どんな公園なのか気になっていた。

ホテルから徒歩10分程度で難なく到着。昨日、金盾回避の設定をしたおかげでGoogle Mapも使えたので迷うことなく到着した。昨夜さまよい歩いたのが嘘みたいだ。

この川沙公園、かなり広い。人々が集う広場や池、遊具なんかもある。老人たちが朝からスピーカーで大音量で中華風の音楽を流しながら体操で体を動かしていている。この公園はきっと市民の憩いの場なのだろう。健康のために体を動かそうという内容が書かれている案内板があちこちにある。日本と同じく少子高齢化が進む中国らしいといえば中国らしい。

そんな公園の中で印象的だったのは鶴鳴楼という七層ある塔だ。

朱色の瓦に反り返った屋根。かなり立派な建物だった。

整備された広々とした公園といい、さぞかし歴史がある建物なんだろうなと思っていたら1993年に完成と書かれた案内板があった。比較的新しい。なんで建てたんだろう。

ちなみに、中には工事をしていたので入れなかった。

上海地下鉄の難しさ

川沙公園を一通り歩き終えると上海の市街地、世界有数の高層ビル街がある浦東エリアに移動すべく、昨日利用した川沙駅へと向かう。そこから地下鉄に乗り込み電車に揺られること12駅。約30分で「陸家嘴駅」に到着した。日本語読みでは「りくかすい」と読むらしい。

川沙駅から乗って運賃は5元、当時のレートで日本円換算すると80円程度だったと思う。上海の公共交通機関は、とにかく安い。

ところで上海の地下鉄は乗るのが大変だったことをここに記しておきたい。

上海では日本と同じように券売機で切符を買って改札を抜け電車に乗り込む。この券売機が曲者なのだ。券売機を操作する際に選択言語は中国語の簡体字と繁体字の2つ、そして英語だ。僕の目的地である陸家嘴は簡体字で書くと「陆家嘴」。簡体字は画数の多く難しい繁体字を崩して作られた文字なのでかなり記号的であり、日本の常用漢字と照らし合わせるとわかりにくいことがある。かといって繁体字にすると、これはこれで、戦前の旧字体を見ているようで混乱する。選択肢が陸家嘴だけならいいが、数ある駅の中から目的の駅を探すのが大変だった。

では、中高と3年間習っている英語を使えばいいじゃないかと思われるかもしれないが、そんなに簡単なことではない。陸家嘴を英語で書くと「Lujiazui」。中国語での読み方を元に英語表記されるようだけれども、もちろん僕は中国語読みは一切わからないので目的地が全くわからないのだ。これなら、まだ漢字で書いてくれたほうがわかる。

なんとか言語の壁を乗り越えて切符を購入できても一安心してはいけない。次にX線を使った手荷物検査が待っている。

少しわかりにくいけれども検査の様子。
正面から撮らなかったのは怒られるかもしれないという恐怖からだ。

この手荷物検査、1980年に中国国内で発生した列車火災事故を踏まえて1987年から始まったものらしい。原因は乗客は花火や火薬を車内に持ち込んだことによるもののようだ。

僕はただの観光客でありテロリストではないので何もやましいことはないはずだけれども、検査されるというのは緊張する。中国国内では持っていてはいけないものを、うっかり持っていて怒られたり、最悪の場合捕まってしまうかもしれないという恐怖はあった。

この恐怖は、結局帰国するまで続いた。

上海の地下鉄の切符。
デザインがどこから乗っても全く一緒なので、目的地がまったくわからず困る。

浦東の高層ビル群

僕が陸家嘴駅で降りたのは東方明珠電視塔に登るためだ。この塔は1994年に完成したテレビ塔であり、上海タワーやオリエンタルパールタワーの名で呼ばれることもある。まさしく上海を象徴する建物であり、中国の計画経済体制から市場経済体制へ転換したことを示すシンボルでもある。丸っこい手塚治虫の漫画に登場するようなレトロフューチャー的デザインは見ていて楽しい。

地図を見ると東方明珠電視塔は陸家嘴駅から歩いてすぐ近くの場所にあるようだったので、適当な場所で駅から地上に出ることにした。

地上に出て一番最初の目に飛び込んできたのはもちろん東方明珠電視塔下だった。写真でしか見たこと無い建物が目と鼻の先にある。

地上に出て一番始めに見た景色。
思わず写真を撮っていた。

僕がいた場所から東方明珠電視塔までは大きな歩道橋を通り抜けていく必要があったので、さらに階段を登った。

登りきった先で僕はしばらく周りの景色に見惚れ足が動かなくなってしまった。そびえ立つ高層ビル群があまりにも印象的だったからだ。

東方明珠電視塔を始めとしたこのエリアは浦東エリアと呼ばれ、世界有数の高層ビル群でありビジネス街でもある。この中には632mもあり高層ビルの中では世界2位の大きさを誇る上海中心と呼ばれるビルもあった。高さはなんと、あの東京スカイツリーにも匹敵する。

当時でさえも東京にはなんどか訪れたことがあって高層ビル群は見たことがあったけれども、上海で見たそれは印象は異なっていた。一言で表現するのであれば「雄大」なのである。東京は土地が狭いので、狭いところにひしめき合うようにビルが建っているけれども、上海は違う。広大な土地にゆとりを持ってビルが建っているのだ。それはあまりにも雄大で、摩天楼と形容するにふさわしい光景であった。

日本という島国育ちの僕は大陸というものを見せつけられたような気がした。

東方明珠電視塔

歩道橋を抜け東方明珠電視塔にたどり着くと、入場券を220元で購入した。当時のレートで日本円にして約3500円。様々なプランの中から展望台をすべて登れるプランを選択した。かなり高額だったけれども、ここまで来て登らないわけにはいかない。

訪れたのが日曜日だったということもあって、中はかなり混んでいた。しかたないけれども待つことにしよう。

すごく並んでいる。
1人で並んでいるのは僕だけで少し寂しかった。

目の前でいちゃつくカップルを見ながら約1時間、ついにエレベーターで上へと登る。

この東方明珠電視塔、展望台が3つある。地上263m地点の普通の展望台、地上351m地点の太空船フロア、そして地上259m地点の透明床フロアだ。順路もこの順番になっている。

展望台は至って普通の展望台だけれども、そこから見える風景は日本と全く異なっていた。

ゆとりのある摩天楼。
上の写真の下部に見える丸い歩道橋は先程まで僕が歩いていた。

広い川。船が往来しているのが、明らかに日本とは違う。

眼前に見える高層ビル群はもちろんのこと、日本では絶対に見られないような船の往来する川幅の広い茶色い川、遠くに見える赤い屋根の、恐らく住宅地達。ああ、この街は日本ではないんだな、ということを強く実感させてくれた。

その後、太空船フロアに登ったけれども、このフロアが宇宙をテーマにしたフロアだった。

世界観の表現方法が素晴らしい。エレベーターに乗ったときからそれは始まっていたのだ。

エレベーターの天井に宇宙まで登っていくような映像が映し出されていて雰囲気がある。さながら軌道エレベーターだ。宇宙船のような近未来的デザインの部屋に展示された宇宙服。僕の心の奥に眠る少年心が、とにかくすぐられたフロアだった。

宇宙服。ヘルメットの奥の顔が怖い。

その後、下に降りて透明床フロアへ。日本の展望台にも透明床があるけれども、東方明珠電視塔の透明床は何百人も乗れるほどスペースが広い。僕は高いところが比較的平気なのだけれども流石に足がすくんだ。

透明床から撮影した写真。怖い。

これで全ての展望台を巡ったことになるのだけれども、東方明珠電視塔には、まだフロアがある。それは78m地点の上海の発展に関する展示と95m&98m地点のゲームセンターだ。

その後、まずは78m地点に訪れた。

個人的に上海の発展に関する展示が非常に良かったと思っている。映像技術を駆使してダイレクトに訴えかける展示は、バブル崩壊後の失われた20年、30年と呼ばれる時代に生まれこれまで行きてきた日本がイケイケドンドンだった時代を知らない僕に“勢い”というものを感じさせてくれるものだったのだ。

今でもネット上では昔の中国のイメージで語っている人が大勢いるけれども、決してそんなことはないというのを僕はここで痛感した。そもそもここに来るまででも、2017年当時では日本ではほとんど見られなかったQRコード決済やシェアサイクルなど散々見せつけられた後だったからだ。

展示の1つとして昭和の時代に日本がしていたような空飛ぶ車を始めとした未来予想のCGが大スクリーンで流れていたのだけれども、これを僕は笑えないと思う。いつか実現する日がくるのではないかと思わせるような本気の勢いを感じたからだ。

VRローラーコースターのカンチガイ

一通りすべての展望台や展示を見終えた僕はゲームセンターにやってきた。

太鼓の達人亜洲(アジア)版。遠い異国で日本を感じた。

太鼓の達人を始めとした日本のゲームもたくさんある。歴史的な観点から政治的には対立することもある日中間だけれども文化的経済的にはかなり強固に結びついているのだ。日本でも中華料理屋はごまんとある。けれども、まさか中国に来てドラゴンボールのガチャガチャを見るとは思わなかった。

僕がこのフロアに来たのは大きな目的があった。

「VRローラーコースター」に乗ることである。入り口で入場券を購入した際に施設内で使える割引券を貰ったのだけれども、その中の1つにこれがあったにだ。

VRローラーコースターの看板。楽しそう。

割引券。やたら写真がピンクなのは窓がピンクだから。なぜ?!

名前や割引券に書かれている情報から察するに、ジェットコースターにVR(Virtual Reality:仮想現実)のヘッドギアをつけて乗ることで、上海という街の上空でジェットコースターを楽しんでいるように感じられるということのようだ。当時、日本では、PS VRが発売され半年以上が経過しておりVRというものに関心が高まっていた時期だったので、僕も体験してみたいと思ったのだ。

───ここでまた事件は起こる。

案内板を見る限り時間制で運行されているようだったので、受付時間まで待つと受付へと向かった。

割引券と共に、割引券に記載されていた数字である5元を受付の女性に指しだす。2つとも、受け取ってくれたけれども、それから女性はこちらを見つめたままだ。何もしてくれない。

あれ?またなんかやらかしたか?と思いながら小首をかしげていると女性はこちらに手を出してきた。

何かを出せということなのだけれども、どうしたらいいか全くわからない。

困ったような顔をしていると女性は電卓を取り出し、こちらに見せてきた。

そこには65という数字が書かれている。

ここで僕はすべてを理解した。割引券にかかれていた5元とは、料金が5元になるという意味ではなく、もとの値段である70元から5元引きということだったのだ。

冷静に考えてみると、当たり前のことなのだけれどもoffなどの割引を示すような文字がなかったので勘違いしてしまった。割引券の概念を理解していないのは、さすがに恥ずかしい。

5元だと思っていたものが65元になってしまったのは、かなり精神的に損した気分になる。日本円で言えば80円だったものが1000円になるのと一緒だ。しょうがないので、しぶしぶ65元を支払う。だってVRコースターやりたいし。

ここでの予想外の出費で一気に中国人民元が財布から、ほとんどなくなってしまった。幸い交通費が安いのでホテルに帰ったり空港に行くことはできるくらいは残っているのだけれども、お土産を買ったり食事を取るには一度両替をしたほうが良さそうである。

とりあえずお金を払ったのでVRローラーコースターは楽しんだ。短い時間だったけれども初めてVRを体験した僕は、そのリアリティにかなり驚いたわけで。人がバーチャルの世界で暮らす日もそう遠く無いのかもしれない。

最後に

こうして東方明珠電視塔を満喫した僕は休憩所でガイドブックとマップを照らし合わせながら、川を隔てた向こう側、外灘、そして豫園への行き方を調べていた。

橋を歩いて渡るか、地下鉄を活用するんだろうなと思っていたとき衝撃の方法が目に飛び込んできたのだ。


え、船…?


というわけで続きます。

>>前の話はこちら【第63回】ホテル「トラブルメーカー」(上海旅行記 Vol.3)

>>次の話はこちら【第65回】僕にはまだやらなきゃいけないことがある。(上海旅行記 Vol.5)

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