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もういいよ

自分の内面見つめる必要がもうないのだ。20代前半の頃は、会社勤めしながら心理系の資格とれるスクールに通って、毎週土曜に10時から17時のクラスで勉強したり、ネットで募集されていたHSPの交流会に行ってみたり、アダルトチルドレンやら愛着障害については最近までかなり関心を持っていて知識を得ようとしていたけど。残念ながらそれらの行動が直接的に関与したわけではおそらくないのだけど、高いお金払って勉強しなくても私は今元気で、ある程度自分をコントロールできているし、HSPを自称するもの同士で傷を舐め合うのもなんとなく薄ら寒く思うようになってしまった(最初にHSPを知った時は本当に救われた心地だったけど。5年前には書店にHSPの本なんて全然置かれてなかった。「HSP」と括られることも自称するのも私にとってはなんか気持ち悪くて、いや、私は私なんですが、と今は思ってしまう)。愛着障害(自意識としては不安型と回避型のミックス)もここ1,2年で明らかに改善している。私が最近元気なのは、どう考えても、親との関係性が改善したことに起因している。

悩んでいないから、自分という人間を掘り下げて言語化したり分析したりする必要性がない。それでもたまに思い出して、HSPの交流会すごく楽しかったからまたそういう話ができる会に参加してみたいなあとか思うのだけど、参加したい内容のものがない。私は今やHSPを自称したくないししていないし、そういう気質を持っていることに1ミリも悩んでいない。自分の対処法なんて誰かに教わるもんじゃない、自分が一番わかっている。今は。だから同じようなのにはもう行かないと思う。それより友達と会ったり、美味しいもの食べたり、映画観たりした方がいい。

でも、人と意見を話し合うのがやっぱり好きだから、そういうの行ってみたいなあ。読書会とか?怪しそうでちょっと気が引ける。読まなきゃいけないと思うのもなんだか煩わしい。読書会の映画バージョンもあるらしい。それはちょっといいな。でも転がってる情報が少なくてよくわかんない。うーん。

自分の中のことはもう十分分かったので、自分を見つめる機会を人様に与えられても完全に蛇足。私は外の世界に触れたいのだ。年に1,2回しか映画館に行かなかったのに、ここ1ヶ月で5回は行ってる。人に会う予定でスケジュールも埋まる。ほとんど家にいない。しかしずっとこれができるとは思っていない。脳も身体も疲れるし、人と食事すればお金もかかる。この元気が細く長く続けばいい。続かなくても別にいい。どうだっていい。どうにもできる。自分にこれだけ向き合って、もうすっかり飽きたので、次は自分以外の人間と向き合いたい。私にはそれが出来る。方法を知っている。いつ現れてくれてもいい。

いつか大丈夫になりたいと、祈るように生きてきたけれど。もうなっているのだと思う。それは性格の矯正ではない。大丈夫になることは、傷跡まできれいに消してしまうことかしらと、そんな暮らしは退屈かしらと、危惧していたこともあったのだけど、私は私のまま、傷は傷のまま、笑ってられてる。

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