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兄さん、お誕生日おめでとう!

 今日は、誕生日だね。たぶん、45歳だったよね?まだ結婚していないけど、何年か前に「する気がない」とも言っていたけど・・・今も同じ心境なのかな?よし、今夜、電話して聞くことにしよう。

小学校時代~正義の味方~

 兄さんは、インドア派で頭脳明晰。一方の私は、アウトドア派で運動神経抜群。良くも悪くも、両親から比較されていたよねぇ。

 顔は、ジャニーズに入れるくらい可愛い顔立ちをしていたね。皆さんに、写真をお見せできないのが辛いところだけど。近所のおばさま方には、ファンもいたくらい、可愛くて明るくて人気者だったね。

 頭が良くて、顔が良い・・・けど、残念なことに「モテ」なかったよね。なぜなら、運動神経がイマイチだったから。あの当時って、勉強ができる子よりも運動が得意な子の方が持てた時代だったから、ちょっと損していたと思う。残念だったね、兄さん。

 でも、心は本当に「イケメン」だったよ。私が保証する。私が何か嫌なことがあって帰宅した時、部屋で泣いていると(私は家以外では泣かない子だった)、「何があった?」「誰にやられた?」と、刑事ドラマの刑事かと思うほどの勢いで質問をしてきたっけね。それで、私が泣きながら事情を説明すると、「よし、わかった!ここで待ってろ!」と言って、玄関を飛び出して行ったよね。本気で、「この人は正義の味方なんだ!」と思ったよ。

 兄さんは運動が苦手だったから、ガキ大将からからかわれることもあったよね。けれど、私が泣いて帰ってきた時は、どんな奴が相手でも抗議をしに行ってくれた。「しっかり言ってきたからな!もう泣くな!」と、報告もしてくれた。そんなところも、律儀な兄さんらしくて素敵だと思っていたよ。

小学校時代~趣味~

 プラモデルとテレビゲームが大好きだったよね。他にも、将棋やオセロも強かったし、トランプも色々な遊びを教えてくれたっけ。花札もしたねぇ。歴史(特に日本史とか三国志とかも)に詳しくて、お城も大好きだったね。私が恐竜に興味を持つきっかけとなった恐竜図鑑も持っていたから、そういうものも好きだったのかな。そう言えば、「考古学者になること」が夢だったよね?覚えている?「エジプトのピラミッドに一緒に行きたいね!」と語り合ったこと、今、思い出したよ!懐かしい!!

 おっと、話を戻そう。

 兄さんのプラモデル好きは、結構マニアックなところまで達していたのではないかと思うんだ。ガンダムのプラモデルを組み立て、細かいところまで色を塗り、おもちゃ屋のコンクールに出すほどの熱の入りっぷりには、幼心ながらにちょっと引いていたよ。(今では素敵なことだと理解しているよ!)換気をしていても部屋に充満する塗料の匂いに、頭がくらくらしたのが忘れられない。あれは、ホントに勘弁だったわ。

 兄さんの机の上は、いつもプラモデルのパーツやら塗料の瓶やらでごった返していて、「いい加減、片づけなさい!」と、両親に叱られていたっけ。そう言えば、兄さんはあんなに散らかった机の、一体どこで勉強していたの?ふと、今、疑問に思ったよ。頭が良かったけれど、勉強スペースはなかったじゃん。どうしていたの?うん、今夜、聴いてみよう。

中学校時代~学校と友達と~

 辛かったと思う。学校が大荒れに荒れていて、担任の先生が心を病まれてしまったらしく、休養に入られたんだよね。詳しいことは聞いていないけど、学級委員長だった兄さんが、学校(担任)とクラスメイトの間に立たされていたのは聞いている。兄さんは、学校からの色々な指示に従うことがあったけれど、「センコウの犬」呼ばわりされて・・・いじめられたのかなぁ・・・泣いていたよね。あの頃、小学生だった私には何もできなかった。力になれなくて、本当にごめんね。

 学年が変わったら、友達もガラッと変わったね。非行に走りはしなかったものの、部活動も親に内緒でやめてしまうし、放課後は悪い連中が入りびたるし・・・私は正直、放課後に奴らが家にいるのが嫌だった時期があったよ。でも、きっとその時間と奴らがいたから、兄さんも学校に行けていたのではないか?と、今になって思う。だって、「アイツらも、悪い奴じゃないんだよ。」と言っていたから。まぁ、3人でゲームを占領して、私に貸してくれなかったことにおいては「悪い奴」だったけどね。

中学校時代~進路~

 お父さんが自衛官だったこともあり、高校受験のタイミングで「航空自衛隊」を受験させられていたっけ。行きたい高校があるから・・・と伝える兄さんと、「何言ってるんだ!自衛官になれば、高校なんて行かなくてもいいんだ!」なんて恐ろしいことを叫んでいたお父さんの姿が思い出されるよ。

 結局、「航空自衛隊」の受験はするんだよね。で、受かっちゃうという。受からないわけがないからね、超頭良いから。で、家の中は揉めるわけ・・・でも、最終的に高校へ行けることになって、なぜか私までほっとしたのを覚えている。あのお父さんに逆らうんだから、やっぱり兄さんは凄いよ。あなた、肝が据わってるわ。

 当時東京で暮らしていたから、もちろん東京の高校に進学したわけだけれど。そこもなかなかレベルの高い高校だったから、勉強が大変だったみたいだね。お疲れ様。

高校時代

 高校時代は、お父さんと兄さんが東京暮らし。お母さんと私が栃木暮らし。簡単に言うと、将来設計のための期間限定別居みたいな形だったね。2年離れて暮らしたら、新居でまた同居する予定だったから。たった2年だったけど、長いこと一緒にいなかった感覚だったよ。

 兄さんは、最終的に幼馴染の家に居候をさせてもらって、高校を卒業したんだったっけ。きっと、滅茶苦茶気を遣って大変だったと思うよ。お疲れ様。

高校時代~進路~

 ここでまた揉めるのよね。お父さんとの約束の「自衛隊受験」か「大学受験」かで。詳細は教えてもらえていないから分からないけど、兄さんも頑固なところがあるから。大学入試で、まさかの「白紙で答案用紙提出」をするという。「自衛官になりなさい。」「嫌だというなら、○○大学以外は行かせない。」とかなんとか言われて、「○○大学にしか行けないなら、行かなくてもいい。」ってな感じで、白紙で、出す。凄い人ですよ、あなたは。ホント。

 そのあと、今で言う「ニート」もやったよねぇ。バイトもせずに、ゲームだけしていたよね。あ、私の高校の送迎をしてくれてたっけ。昔で言うところの「アッシー君」というやつだね。その節は、大変お世話になりました。ありがとう。

自衛官の道へ

 結局は、自衛官になっちゃうんだよねぇ・・・お疲れ様。そして、県外へ。でも、そこで開花したよね。運動が苦手だとばかり思って生きていたけれど、長距離ランナーとして開花するという。凄いよ、ホントに。

 盆暮れ正月はね、私はめちゃくちゃ嬉しかったんだよ。なぜなら、兄さんが帰ってくるから。お母さんも嬉しそうだったけどね。一緒に過ごせる時間は、宝物だったよ。あ、その節は、お年玉もありがとう。

男気

 「男気」って、今の時代にはそぐわない言葉(ジェンダーな言葉)かもしれないのだけれど、兄さんは本当に「男気」があるよね。「仁」「徳」「義」(今ふと思いついた文字を並べただけだけど)があるというか、昔からずっと正義の味方なんだよね。

 私がいったん就職したものの、やっぱり進学したいとなった時、背中を押してくれたよね。「後はオレに任せとけ」ってさ。本当に感謝しかないんだよ。あの一歩があったから、今の私があるわけで・・・本当に感謝しかないんだよ。心からありがとう。

 その後はさ、お母さんのことで、うんと迷惑をかけてしまったなと。兄さんはきっと、人生の半分ちかくを棒に振ってしまったよなと。本当に申し訳なく思っていて。その気持ちもあって、今こうしてお母さんをこちらに迎えているわけだけど。まだ同居して4年だけどさ。ホントに笑っちゃうんだけど、兄さんの凄さを改めて感じているところだよ。頑張るよ、私も。うん。

これからもよろしく!

 口煩い母と妹が側にいなくて、きっと淋しい(いや、嬉しい?)と思うけど、いつでも私達は兄さんを思っているからね。

 体に気を付けてね。たまには、自炊もするように!!

 お仕事も頑張ってね。運転には、くれぐれも注意してよ?自分だけじゃなく、歩行者にもだよ?そこだけは、本当によろしくね!!

 パートナー、見つけてね。結婚しろとは言わないから、兄さんを理解して励まし合える人を見つけてね。幸せになってほしい。本気で願ってる。

 できれば、夏休みに遊びに来てよ。旅費とか全額出すから。遠慮はいらないよ。だって、よくよく考えてみて。家族6人でそっちに遊びに行くよりも、兄さん1人が来てくれた方が安いもの。1人分くらい、スマートにお支払いしますよ~!お母さんも、会いたがってるから。お願いね。

 というわけで、昔を懐かしみながら~の、夏休みは遊びに来てよねと誘いながら~の、兄さん、45歳のお誕生日おめでとう!メッセージでした。

 皆様にとっても、素敵な日となりますように♪

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。