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だから私は・・・・・・

 私が小学5,6年生の頃に同じクラスになった「おいちゃん(仮名)」という男の子を、ふと思い出した。

おいちゃん

 おいちゃんは、とても乱暴な男の子だった。気に入らないことがあると、直接殴ることはないものの、殴る真似を見せたり、ボールを投げつけたり、酷いときには石を投げつけたりした。自分よりも弱いと思う相手には、とことん脅しをかけるような子どもだった。ガキ大将のしげくん(仮名)が「何やってんだ、やめろ。」と声をかければ、縮み上がってやめるくせに。女子の前では特に強く出る子どもだった。

 でも、例えば本当に投げた石が当たって、その子が泣いたとしたら、すぐに「ごめんね。」と心配しながら謝る。子ども心ながらに、理解できない人だと思ったのを覚えている。

 問題行動ばかり起こしていたので、一緒に遊ぶ相手はほとんどいなかったと思う。


ドッジボール

 体育の時間、ドッジボールをした。私とおいちゃんは同じチームとなり、お互いに協力して、相手チームを壊滅させた。女子も男子も関係なく、一切手加減なしで当てまくったのだった。(私達が女子から恨まれたことは言うまでもない。)

「お前、強いな。」

おいちゃんが、笑いながら言った。私は、とても嬉しかった。

 その日から、私とおいちゃんは仲良くなった。休み時間は、一緒に遊ぶ仲になった。と言っても、気分屋のおいちゃんの地雷はどこにあるか掴めず、ちょいちょい踏んでは怒らせることがあった。でも、私の前ではよく笑ってくれていたと思う。


これ、あげる。

 私という、一緒に遊ぶ仲間ができて、おいちゃんも嬉しかったと思う。それまでは、本当に一匹狼なところがあったから。

 2年生の頃から「乱暴な男子がいる。」という噂が広まっていて、廊下や校庭で見かけるときはいつも一人だった。

 そんなおいちゃんは、きっと私を大切にしようと思ってくれたに違いなかった。

 「これ、あげる。」

 ある日、おいちゃんが私に万歩計をくれた。私はそれを始めて見たし、その使い方すら知らなかった。使い方を教えてもらい、早速その場から使い始めた。増えていく数字が面白くて、いつも以上に校庭で遊んだ。

 帰宅してすぐ、私は母に見せた。母は驚いて言った。

「そんな高いもの、どうしてもらったの。すぐに返していらっしゃい。」

 

 翌日、私は学校の廊下でおいちゃんにそれを返した。

「え?何で、もらってくれないの?」

「お母さんが、返してきなさいって。ごめんね。」

「・・・・・・っざけんな!」

そう言って、おいちゃんは万歩計を床に投げつけた。もの凄い形相で、怒っていた。その日から、おいちゃんは私と口を利かなくなった。


プレゼント

 私は、唯一の女子の友達=あみちゃん(仮名)に、相談することにした。そして、思いがけない話を聞くことになる。

 あみちゃんは、小学3,4年生の時に、おいちゃんと同じクラスになったことがあったそうだ。その当時問題となっていたのは、おいちゃんの「万引き」事件。先生からも指導を受けたけれど、全く懲りた様子もなく、欲しいものは何でも「万引き」していたそうだ。そして、それを気に入った友達にプレゼントしていたらしい。

 それを聞いた私は、もの凄くショックだった。友達と認めてくれたことは嬉しかったけれど、してはいけないことをしている子・・・おいちゃんが・・・信じられなかった。

 

おいちゃんのお母さん

 しばらくして、おいちゃんの問題行動が増えているという話を聞いた。ご近所中の噂になっているらしく、あまり仲良くしないようにと友達のお母さんから忠告を受けた。

 その話を母にしたところ、母は思いもよらない言葉を口にした。

「きっと、淋しいんだよ。お母さん、いないから。」

「・・・いないって、何?どこかに行っているの?」

不思議に思っている私に、母はそっと告げた。

「おいちゃんのお母さん、おいちゃんが2年生の時に癌で亡くなっているの。」

「・・・・・・。」

言葉にならなかった。

 子どもにとって、自分と同じくらい大切な存在である【お母さん】が、もうこの世にいないなんて。そんな悲劇があるだろうか。私は、大きな岩で頭を殴られたような、そんな衝撃を受けたのを覚えている。


だから私は・・・・・・

 おいちゃんとはその後、仲直りしたのか覚えていないが、時々一緒に遊んだ。けれど、小学校の卒業式以来、全く会っていない。あれから約30年が経ち、私にも息子が3人できた。高1、中2、小5はそれぞれ反抗期に突入したのか、ちっとも言うことを聴いてはくれないが、とても可愛い。

 とは言え、小5の三男は、まだまだ甘ったれたところがある・・・それを見ていると、私がおいちゃんと出会った小5の時のことを思い出さずにはいられない。

 きっと、あの頃のおいちゃんも同じだったはずだ。三男のように反抗的な態度を取っていても、きっとお母さんに甘えたかったのだろうなと思わずにはいられない。

 そして、おいちゃんのお母さんも、おいちゃんの側にいて、見守り、励まし、抱きしめていたかったに違いない。きっと、そうに違いないと思ってしまうのだ。

 人には人の人生があって、また、それぞれの”使命”があるのだと思う。もちろん、おいちゃんにはおいちゃんの・・・私には私の・・・色々な人生・・・色々な使命・・・。


 私の人生って何だろう?私の使命って何だろう?と、考えてみたけれど、残念なことに全く分からない。

 だから私は・・・・・・

 だから私は・・・・・・”今”を大切に、自分の人生を生き抜くと決めた。

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