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連載小説|寒空の下(17)

 ショッピングモールを利用したこともないのにネルーダは厄介なクレーマーだと認定された。俺は「東側平面駐車場出入り口」に戻り、再びネルーダやパチンコ屋の仲間たちと絡むようになった。藤本たちは俺がクレーム対応に追われていると思い込み、喜んだ。何も言わなかったが、ネルーダは店と俺との間の事情を深く理解していた。木下が巡回に来れば、意味にならない言葉を大声で叫び始め、暴れた。店側の奴らは俺がクレーム対応によって心を病み、辞表を提出するのを心待ちにしていた。だが、実際のところはただ「東側平面駐車場出入り口」の前を陣取り、南仏の光に照らされながら会話を楽しんでいるだけだった。

 ネルーダは何度も俺に「どうしてここで働くことにこだわるのか」と尋ねてきた。たしかにショッピングモール以外にも働くことのできる現場はいくらでもあった。仕事さえ辞めなければ親との約束を破ることにもならないし、くだらない女に浮かれている伸弘との賭けに負けることもなかった。このまま陰湿な奴らの嫌がらせを受けるよりも、他の現場に移ったほうがいいに決まっていた。

 だが、むきになっていた俺がショッピングモールを離れるという結論に至ることはなかった。このままあっさりと辞めてしまえば、花蓮さんや笠原としていたことが全て悪だと決めつけられてしまうと考えていた。

 俺がいなくなれば新しい人間がすぐに配属される。店側が決めたろくでもないルールに当たり前のように従わされて、ボロボロになるまでこき使われることになる。そして、俺たちのしたことが悪い歴史として紹介され、禁止事項がたくさんあるのはそのせいだと教え込まれるに違いない。

 現実はそうではない。どうしてもそれを証明したかった。笠原によって授けられた術を行使していた時のほうが俺はよっぽど元気だった。店のルールに従うだけで柔軟になれない竹岡のような人間は、結局のところ、近隣の住民や利用客から信頼を得ることができていなかった。馬鹿げた話だ。

 アルバイトを始めて四週間目に突入するという奇跡が起きていた。仕事を終えて帰宅するとアパートにはやはり理恵がいた。いつかは追い出すつもりだった。だが、話を切り出すのは面倒だったし、報われない彼女の恋心があまりにも惨めだという気持ちが邪魔していた。理恵は妻にでもなったような口調で語りかけてきた。

「ねえ、ちょっと話があるから今日はトイレにこもらないでね?」
「内容次第だね」
「今日ね、突然伸弘くんが来たの」
「それがどうした?」
「はじめは拓己と話があるって言ってたよ」
「まだバイト続けてるか聞いてきた?」
「たしかそんなこと聞かれたけど気がするけど」
「5万円かけて勝負してたんだよ。俺の仕事とあいつの彼女どっちが長く続くか」

 伸弘がわざわざ自発的に俺を訪ねたことなど一度もなかった。これはきっと5万円が手に入るに違いない。そう思うと、俺の心は舞い上がり、旅行のことを考え始めていた。トイレには入らず服を乱雑に脱ぎ捨て、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。理恵が来てから冷蔵庫には自動的に缶ビールがストックされるようになっていた。

「ねぇ、あいつはさ、いつ彼女と別れたって?」
「え?特には何も言ってなかったよ」

 俺はソファーベッドに腰掛け楽しく酒を飲み始めていたが、理恵のその一言で急激な焦りを感じていた。脇の下から冷や汗が吹き出し始めた。

「アルバイト続けてることはあいつに言ったんだよね?」
「うん、そしたら急に用事があるからとか言って帰っちゃった」
「はあ?」
「あと1時間もしないうちに帰ってくるから待っておけばって言ったんだけど」
「あの野郎!何時に帰った?」
「ちょうど30分くらい前だったと思うよ・・・」

 何度も電話をしたが着信拒否をされてしまい、伸弘とは連絡がつかなくなってしまった。奇跡はそう立て続けに起こるものではなかった。天国から地獄に叩き落とされた俺は狂気に駆られた。伸弘の家まで殴り込みに行こうと決意し、わざわざもう一度、着替えをした。そして、肩に木刀を担いで真冬の夜へと飛び出していった。しかし、走っている途中で、伸弘の家がどこにあるのかを知らなかったことに気が付いた。

 落ち込んで帰ってきた俺は服を着替えることもなく晩酌を始めた。久しぶりに深酒をした。それで眠ってしまえば翌日には案外けろっとして、伸弘が自分からやって来るまでそっとしておいてやろうと思えたのかもしれない。だが、その日は理恵がしつこく突っかかってきた。

「お付き合いしてるのに彼女には内緒で、しかも彼女を賭け事の対象にするなんて、私には理解できないよ」
「もうその話はいいよ」
「私、真剣に聞いてるんだよ?拓己も私のことを賭け事に利用したりするの?」
「別にいいだろ!知らなかったら何の害もないんだし」理恵は視線を下に落した。彼女が怒りや悲しみを抱く瞬間が俺にはすぐ分かった。
「ねえ、じゃあ私のことはどう思ってるの?」
「どうも思ってないよ」
「・・・」
「そっちが勝手に住み始めたんだろ?」
「じゃあ、どうして?どうして拓己は初めて会った日、私に声をかけてくれたの?」
「あんまり覚えてないよ」
「私のことどうでもいいんだね。最低だとか言ってるけど拓己も伸弘くんとそんなに変わらないじゃん!」
「どうしてわざわざ伸弘の話をするんだよ!嫌がらせか?」
「当たり前じゃん!女の子を大切にしないなんて最低だよ!」
「少しでいいから静かにしてくれよ!」

 理恵は溜息をついてから、途中だった料理を作りにキッチンへと戻っていった。俺は余計に嫌な気分になり、酒に酒を重ねた。そのせいで深夜に起きてしまい、トイレで嘔吐した。最悪な気分だった。

つづく

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