見出し画像

連載小説|寒空の下(16)

 竹岡はあっという間に昇格した。新体制になってからたったの三日で、俺は笠原から譲り受けた「東側平面駐車場出入り口」というポジションを失った。結果的に、元の持ち場に戻されることになった。ろくに仕事をしなかったから当然の出来事ではあったが、竹岡が優遇されていることは明らかだった。だからといって、頭のおかしな人間たちに媚びを売ろうとは思わなかった。

 夕方になると、「西側立体駐車場出口」にはどしどし車がやって来た。ドライバーたちは相変わらず俺の誘導には従わず、文句を言うだけだった。ショッピングモール出口の右手には信号機があり、出てすぐの車線には車が三台ほど並ぶだけで後続が出庫できなくなった。できるだけ多くの車が出庫するためには左折で出て行くことが必要だった。俺は夕方になって混み合ってくると、柄にもなく誘導灯を懸命に振り、左折するよう客を促した。それでもみんな前が詰まるのを分かっておきながら、車線をまたいで右折で出庫していった。

 どれだけ努力しようと渋滞はなくならなかった。しかし、客たちは渋滞が解消されないのは俺のせいだと思っていた。横を通り過ぎると決まって怒鳴りつけてきた。しかもその怒鳴りつけた人間たちは、たいがい右折出庫をしようとして車道に出ることができず、渋滞を長引かせた。

 前みたいに酒を飲んで温まることも許されなかった。日の当たらないこのポジションに立ち続けることで体はすっかり冷え切っていた。あまりにも寒くなり、意識は冴えるどころか鈍くなっていた。しまいには強烈な眠気に襲われ意識を失いかけた。いつでも寝不足で二日酔いの俺は何度も立ったまま眠りに落ち、地面に倒れかけるところで意識を取り戻していた。そんな状態だった俺を客たちはどやしつけた。どうかしてると思った。

 せめて話し相手がいればと思ったが、今の状況ではそういう相手もいなかった。ここには花蓮さんや笠原もいなければ、パチンコ屋のみんなもいなかった。俺は一人だった。意識を明瞭に保つにはいよいよ独り言を唱えるしかなかった。

「みんなここに来る客は自分のことしか考えてないんだろうな」俺は声に出して言った。

 ちょうど隣にいた車のドライバーは顎を前に突きだして、不機嫌な顔で俺を見つめていた。そんな人間のことは無視して自分がやるべきことに集中した。

「世の中の人間はみんなこんな感じなのか?」俺は言った。

 耳元にざーっという無線機の音声が入った。続いて藤本の声がして「独り言はやめてください」と言った。もうどうにでもなれと思い、無線機の電源を落して、独り言を言い続けた。しまいには木下が巡回のルートを変更して注意しに来たが、それでも俺は独り言をやめなかった。木下は気の毒に思ったのか、それとも気が狂った人間と関わりたくないと思ったのかは分からなかったが、諦めて防災センターに帰っていった。

 結局のところ俺が「西側立体駐車場出口」に立ったのは二日間だけだった。二日目の仕事を終え、ふらつきながら着替えをしていた時に竹岡が藤本に泣きついているところをたまたま聞いてしまった。俺は控え室にいたが、彼らは隣接する防災センターの片隅で会話をしていた。俺が煙草を吸いに外へ出るところを見て、そのまま帰ったものだと勘違いしている様子だった。

「藤本さん、ぼく西側に戻りたいです」
「どうしたの?東側の方が楽だからわざわざ変えてあげたのに」藤本は普段より高い声で話していた。
「パチンコ屋を出入りしている帽子被ったお爺さんが近寄ってきて、仕事の邪魔をしてくるんですよ。唾とかをかけたりしてきて」
「どうしてすぐに言わなかったの?」
「迷惑かけたらダメだと思って。できるだけ自分で解決しようとしたんですけど」
「まあいいわ、それは仕方がないわね」
「ありがとうございます」
「それに、あの迷惑な大学生にその変質者とやらを対応させたほうがいいだろうし。早く辞めてくれるといいんだけどね」
「ぼくもそう思います。あんまり言いたくないですけど」
「一緒になって酒を飲んでたんだから、辞めさせるべきだったのよ。それなのに中途半端に残すもんだから、面倒なことになってるじゃない?」
「そうですよね、協調性もまったくないですし・・・」

 俺は控え室の壁を思いっきり蹴った。二人の会話が止まった。

つづく

前のページ(15)←→次のページ(17)

最初のページに戻る

関連小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?