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醒めない夢|掌編小説

―たまに夢だとは思えない夢を見ることがある。
 夢がついさっき起こったことだと錯覚し、
 目覚めてからも本当の現実を忘れてしまうほどに深く考えてしまうー

 台風ばかりやって来て、ぐずついた天気が続いていた。二学期が始まってからもう何週間か経っていた。憂鬱な毎日だった。
 その日、僕は古典の授業で寝てしまい、先生に怒られた。落ち込んだ気持ちのままお昼休みに食堂でご飯を食べていると、友達から沙也香先輩が帰ってきていることを知らされた。彼女は生徒会なんかもしていたので、学校内ではちょっとした有名人だった。僕はサッカー部に所属していたが、すぐに放課後の部活動をサボることに決めた。

 「沙也香先輩が帰ってきているなら、サッカーなんかしている場合じゃない。サッカーは明日頑張ればいい。でも、沙也香先輩には今日しか会えない」そう思った。

 最後の授業が終わると、先輩を探しにいった。程なくして、図書室の前に立っている沙也香先輩を見つけた。大学生になった先輩は化粧をして、水色のシャツにデニムを合わせていた。すっかり大人びていた。制服姿しかまともに見たことがなかったので、一瞬話しかけることをためらってしまった。

 僕の顔を見ると、沙也香先輩は卒業してまだ一年も経ってないのに「うわぁ、懐かしい」と言った。何だか少し腹が立った。むすっとして黙っていると、沙也香先輩は白いポシェットから卒業式の日に僕が渡した手紙を取り出した。悪戯っぽい笑みを浮かべ「ちゃんと取ってあるよ」と言った。
 周りには数人のクラスメイトもいた。人前でそんなものを見せられてひどく恥ずかしかったが、同時にちょっぴり嬉しくもあった。

 一学年上の沙也香先輩は僕に優しくしてくれた。図書委員会で係の日がたまたま同じ曜日になり、好きな本の話をしているうちに仲良くなった。
 先輩はよく好きなミステリー小説の話をしてくれた。僕はどちらかというとSF小説が好きでミステリー小説はあまり読んでいなかった。お互い新しいジャンルの小説を知ることができて、充実した日々だった。先輩も僕と話しているときは楽しそうだった。

 いつか沙也香先輩に「僕のことどう思ってますか?」と聞いたことがあった。少しは気があるかもしれないと期待していた。すると沙也香先輩は「急にどうしたの?変なこと聞くんだね。まぁ、弟みたいな感じかな」と顔色一つ変えずに答えた。僕はその一言に傷ついた。

 沙也香先輩は係をしている時、隣で難しそうなミステリー小説を読んでいた。いつか会えた日には内容を事細かに解説しようと決めた。感心させることができれば少しは大人として認めてもらえるかもしれないと思った。そして、驚かすことができた暁には、手紙では伝えられなかった想いも伝えたかった。

 図書委員会の時と変わらない様子で沙也香先輩は図書室へと入っていった。またとないチャンスが訪れていた。僕は誰にも借りられないよう本棚の奥に隠しておいたミステリー小説を引っ張りだし、机に座った沙也香先輩の手元に置いた。「よく覚えてたね」と沙也香先輩は喜んだ。

 それから隣に座って、僕なりに用意をしていた書評を彼女の耳元で論じてみた。図書館だったので小声で話してはいたけれど、必死だった。沙也香先輩は何も言わなかった。時より深く頷く瞬間があった。二人きりで横並びになって、もう少しで肌が触れてしまいそうな距離だった。話をすること、それに、これ以上近づいてしまわないよう意識するだけで精一杯だった。肝心な告白をする余裕はなかった。

 「かなり読み込んだんだね」とは言ってくれたものの、大人として認めてもらえたかどうかは最後まで分からなかった。書評が終わると、先輩は電車の時間に間に合わなくなるからと行って、足早に学校を後にした。最後に図書室から遠ざかっていく先輩の優雅な歩き方は今でも鮮明に思い出すことができる。結局、僕は先輩と違う大学に進学し、その日以来会うことはできなかった。

―寝言で書評を声に出していた。
 自分の声によって目が覚めてしまった。
 僕はもう高校生ではなかった。
 あの頃の沙也香先輩よりも大人になっていた。
 受け入れがたい現実をしばらくの間飲み込めなかった。
 起きた後も恋をしていたあの日の自分が憑依しているようだった。
 すっかり忘れていた胸の痛みが夢の中と同じように感じられた―


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