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夢であえたら 〜亡き父からもらったもの

亡くなった人が夢に出てくるときは「私のことを忘れていいよ」と伝えられているのだと聞いたことがある。
そう聞くと大好きだった人が夢に現れたらちょっと寂しい気もする。亡き母は十数年の間に何度か夢で顔を見せてくれた。私がまだ忘れられずにいるのがしつこいと思っているのだろうか。申し訳ないけれど、まだしばらくは忘れられないと思う。

反対に父は一度しか夢に現れたことがない。そのときのことはとてもよく覚えている。

父は私が10歳のときに亡くなった。高度経済成長期の仕事人間で、帰ってくるのはほとんど私が寝てからだった。休みの日などにはあちこち連れていってもらうなど、一緒に過ごした思い出は多い。写真もたくさん残っている。けれどなぜか私は父に心の底から甘えることができなかった。父もわが子が懐かないことを気にしていたようだ。

父には愛人がいて、母もそれを知っていた。私は子供心になんとなく父と母の仲が良くないのはわかっていた。大人になって母から具体的に聞かされたとき、ああ、あれもこれもそういうことだったのねと合点がいった。夜中に喧嘩をしている父と母を目撃したこともあるし、なんとなく母を悲しませているような気配がいつもあって、私は父があまり好きじゃなかった。

離婚の話も持ち上がっていたようだけれど、そうなる前に父はさっさと亡くなってしまった。父が亡くなってもあまり寂しくなかった。なんと親不孝な娘だろうか。当時はまだ珍しかった「母子家庭」になってしまったという事実だけが私を悲しませていた気がする。

父親がいないという家庭環境からくるコンプレックスはずっと私につきまとっていた。経済的な理由で進学ができなかったり、交際相手の親から母子家庭だからと結婚を反対されたりした。そんなことがある度に、残される家族のことを守りもせず、愛人のためだけに財産を残してさっさとあの世へ行ってしまった父を憎んだ。

社会に出てしばらくしてから、私はインテリアや建築の設計デザインの勉強を始めた。当時はCADなんてものはなくて、鉛筆やシャープペンシルで図面を引く。一番最初に習ったのは、「定規で線を引くときは線の太さを均一にするために鉛筆を回しながら引きましょう」ということ。そのとき突然、父を思い出した。

父は土木会社の営業マンだった。自分で図面を引くことはないけれど製図の知識はあったようで、生前父に同じように線の引き方を教わったことがあった。「あっ、これお父さんに習った!」と、まるでフラッシュが当たるようにそのときのことを思い出したのだ。そのときの窓からの明かり、向かい合って父から見せられた鉛筆の持ち方、線の引き方、父の声の感じ。

さらに父の筆箱にはやけに太い芯のシャープペンシルが入っていて、子供のころこれはどんなときに使うんだろうと思ったことがあった。それはラフスケッチを描くときなどに使う芯ホルダーだった。自分が仕事で使うようになって、そのことも思い出した。ちょっと古びた父の芯ホルダーを握ったときの、冷たくてざらっとした感触とともに。

私は父が嫌いだったんだろうか。本当は父に色々なものをもらっていたんじゃないだろうか。そして不思議なことに、父の職業に近い仕事にいつの間にか就いていた。

そのころから、私の中の父への憎しみやわだかまりは薄れていったような気がする。いちおう人並みに仕事やら恋愛やらの経験をして、父を親ではなく「ひとりの男性」として客観的に見ることができるようになったのかもしれない。

妻と愛人の板挟みで大変だっただろうな...とか、でも命懸けで大きな仕事を進めてがんばったじゃん...とか、40代半ばの働き盛りでこの世を去るのはどれほど心残りっだったろう...とか、ひとりの男の人生として俯瞰で見ると、なんだかしょうもない人だけどちょっと可愛くすら思えてくる。

そしてそのあと、私は父の夢を見た。

幼いころのように父が運転する車に、母と私は乗っている。父と母は当時の若いままだけれど、私は大人になっている。車は滑らかに進む。三人とも無言でとても静か。車内の空気は澄んでいて心地よい。私は安心しきった気持ちで、うとうとと眠りに入る。ほんとうに幸せな満ち足りた時間。

父の夢はそれ一回だけだ。父は私に何を伝えたかったんだろう。夢で味わった幸福感は実際には全く思い出に残っていないけれど、実はどこかにそんな時間があったのかもしれない。憎しみが幸せだった時間を打ち消してしまっていたのかもしれない。

父は、私にもう忘れろと言いたかったんだろうか。確かに憎しみは忘れた。でも父のことを忘れることはできない。母からと同じように、父からも私はたくさんのものをもらっているんだと思う。ひとつひとつかぞえることはなくても、私がこの先も生きていくからには私の中でそれが生きているんじゃないだろうか。私は、私の中の父の思い出に見守られているのだ。いつかまたふとした拍子に、父からもらったものを思い出す、そんなことがあるのかもしれない。

(タイトル写真はむかーし自分が愛用してた芯ホルダーです。父の形見はどこへやら...涙)









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