Giveの精神はわたしらしくない
「やってあげた」と思うことは長続きしない
冷たい奴だと思うかもしれない。わたしはどこまでいっても自分のことが一番大事で、他人のために何か「してあげる」のは肌に合わない。
けど、生年月日を見てもらったら奉仕の星がたんまりあるらしい。「あなたは奉仕のひとだね、何かしてあげたくなるでしょう?」と言われたのを覚えている。
確かに、「してあげたくなる」ことはたくさんある。けど、なんでもかんでもやってあげればいいというもんでもないことは最近わかってきた。
どこかで、自分を見失ってしまうから。わたしは、わたしの道をまっすぐまっすぐ進みたいと思っているんだけど、たまにちらっとよそ見をすると見えなくなってしまう。
何がしたかったんだっけ?とわからなくなって立ち止まる。去年の秋は、気持ちが追いつかなくてぱたりと立ち止まってしまった。
それで、結局あなたはどうなりたいの?
16personalitiesのENFJ主人公は、短所のところに「利他主義」と書いてある。他人を思いやりすぎて、自分のことが見えなくなってしまう。けど、その自覚はない。
去年の秋は特に場づくりに興味があって、わたしはただ場を開いてみんながすきなことをしてくれていたらいいな、と思っていた。
思い描いていたのは、芝生の広場。転んでも痛くないような芝生で、それぞれが思い思いに過ごしている。
シャボン玉で遊んだり、テントを張ってお野菜を売ったり、気持ちよくジョギングしたり。そんな様子を見ながら、ほっとお茶を飲んでいたら幸せだと思っていた。
けど、結局それって何をしているんだろう。わたしはどうなりたいんだろう。わたし自身のwillには、いつの間にかもやがかかってしまった気がした。
書き換えられない過去を、自分の手で正解にする
これを投稿しながら、正直わたしはまだ全然元気じゃなかった。
失敗だとか汚点だとか思いたくなかったけど、「へ〜、落ちたんだ」と冷たい声が聞こえてくるような気がした。「失敗するのが怖いなら、やらなきゃよかったじゃん」と突き放すような声も聞こえた。
誰もそんなこと言うひとはいないのに、自分で自分が許せなかった。長い長い内省を経て、今日やっとわたしなりの答えが出た気がする。
わたしは、わたしの夢を叶えるだけでいい
もっともっと、シンプルでよかったんだ。わたしがやりたいことは、「みんながやりたいことができる場づくり」ではないから。
わたしは、ただひたすら自分の夢に向かって、日々小さな行動を起こしていくだけでいい。それは確実に夢の実現に直結していて、わたしがわたしのためにやっていること。
わたしが夢を叶えていく過程で、通りがかったひとが興味を持って応援してくれたり、ちょっと手伝うよと言ってくれたり、みんなの夢になっていったら最高なんだと思う。
ずっとずっと、主語はわたしでいいんだ。ただわたしがわがままに自分の夢を追いかけて、幸せになるだけで、影響を受けた誰かがまた夢を追いかけて、叶えて、幸せになっていく。
そんなシンプルな生き方で、これからもまっすぐ自分のためだけに生きていこうと思った。
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