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しくじり偉人伝”バブロ・ピカソ”の教訓3選ー中田敦彦先生ー

今日も記事をご覧いただきありがとうございます。

 2022年12月現在「中田敦彦のYoutube大学」を日々更新し、Youtubeのチャンネル登録者数は驚異の490万人、もう少しで500万人に届きそうな勢いのある中田敦彦氏。

 そんな中田敦彦氏が、2015年〜2017年にかけてやっていたテレビ朝日の番組に「しくじり偉人伝」というのがあります。これはその名のとおり、過去功績を残した偉人が、裏ではかなりのしくじりを犯していたことを紹介し、そこから学ぼうという番組です。

 わたしは、2017年にどハマりして、どの動画も全部見ました!そんなしくじり偉人伝の動画の中で今回自分の恋愛観に関して大きな学びがあった「馬ブロ・ピカソ」について、中田先生が紹介した動画をもとに、「私が感じた教訓5選」を紹介していきます。

※中田敦彦先生が、「しくじり偉人伝」として取り上げたバブロ・ピカソ氏の生涯の要約を以下の記事で紹介しています。

 バブロ・ピカソから「人生においての愛情の大切さ」をより詳細に理解できますので、良ければそちらを先に見てみてください。

世界で一番絵を描いた偉人「バブロ・ピカソ」、彼からどんなことを学ぶことができるのか。

現在「人生を失敗しないために一体何が大切かを悩んでいる人」、「お金や名声以上に大切なものを知りたい人」に対して特におすすめです。

偉人のしくじりから学ぶことで、自分の人生をより良くしていくためのヒントにしていただければと思います。

是非最後までご覧ください。

1.凡人は真似をし天才は盗む

「凡人は真似をし、天才は盗む」ピカソ名言

 まず最初の教訓は、「凡人は真似をし天才は盗む」というピカソが遺した名言です。

ピカソは、生涯で15万点もの作品を作り続けました。ただ圧倒的にすごい作品をものすごいスピードで作っていくピカソには、周囲の画家からある疑惑がかけられます。

それが「盗作疑惑」

周りの人が言うわけです。「あんなのは人間の技ではない。パクってるから出来るんだろ」と。

実際ピカソの作品では、

①「ダンス」マティス作 1910年と「戦争と平和のためのデッサン」ピカソ作 1952年

②「キャプシーヌ大通り」モネ作 1873年と「クリシー大通り」ピカソ作 1901年 

③「カフェにて(アブサントを飲む人)」ドガ作 1876年と「セバスチャン・ジュニア・ビダルの肖像」ピカソ作 1903年

などこういう似たような構図のものがたくさん残っています。

そこでみんなが言いました。
「お前パクってんじゃねえか。ピカソ。」

それに対してピカソは、何と答えたか?

ピカソ:「凡人は真似をし、天才は盗む」

【真似】
元の作品に近づける

【盗む】
人のものを自分のものにする

ピカソがここで言いたいのは、「人のスタイルやアイデアを自分のものにして新しいものを作ってるんだ」ということです。

これは、いいか悪いかは判断が分かれそうですが、ただ世の中の多くのものは今あるものにプラスして改善して、いい商品を生み出しています。

AndroidのスマートフォンもiPhoneがなければ、存在しなかったかもしれません。

だからこそ、「人のいいところを吸収し時代にあったより良いものに作り変えていく

これがピカソから学べる1つ目の教訓だと思います。

2.人の恨みを買うべきではない

人への恨み

 2つ目の教訓は、「人の恨みを買うべきではない」ということです。

 ピカソは、多くの女性と愛人関係にありました。そしてその中の1人に、「フランソワーズ」という気の強い女性がいました。

フランソワーズは、浮気してばっかりのピカソに嫌気がさし、10年間も一緒に過ごしたけどもう会わないことを決意し、初めてピカソのことを振ります。

そして、フランソワーズは何と若い画家と結婚します。ここで自分が振られたことと自分と同じ職業の若い画家の元にいったことがショックでピカソは、フランソワーズとバトルを繰り広げます。

<ピカソの嫌がらせ語録>

私に発見された恩を返せ!
   ↓
私の元を去ったら行く先は砂漠しかないぞ
   ↓
私の元に戻れば私の「ピカソ」姓をやろう

ここでフランソワーズには子どもがいたので、もしピカソ姓をもらうことができれば子どもは裕福に暮らせるわけです。

そして若い画家の絵が売れていなかった(実際には売れないようにピカソが色々な人に圧力をかけていた)のもあり、子どもの生活の不安も募り、フランソワーズは若い画家と離婚を決意。

しかし、ここでピカソは衝撃の行動に出ます。

「別の愛人と急遽結婚!」

その展開の真相が知りたかったフランソワーズは、ピカソ宅を訪れます。

そこでピカソはフランソワーズにこう言い放ちます。

「勝ったぞー!」

ピカソは誰よりも負けず嫌いだったようで、愛人に対しても常に自分が上に立ちたかったようなのです。ただここでフランソワーズは反撃に出ます。

それが、今までピカソと10年間過ごした時の「暴露本」を出版すること。

暴露本を出版されると、ピカソのとんでもない性癖や行動も全て世間にバレます。

出版差し止めをしたいピカソとの間では、裁判にもつれ込みましたが、結局は暴露本の出版が決定し、フランソワーズが知っているピカソの赤裸々な描写が全て世間に公表されることになってしまいました。

ピカソとしても、フランソワーズと別れることは辛かったり、プライドが傷つけられたかもしれません。ただ、結局フランソワーズとは袂を分かち、かつ裁判などで多くの時間とお金を失うことになりました。

だからこそ、結論として、このピカソのエピソードからの教訓は、「人の恨みを買うべきではない」ということです。

3.世界一多作な画家であるのに家族に愛情を伝えるたった1枚の絵を描けなかった

人への愛情

 3つ目の教訓は、「世界一多作な画家であるのに家族に愛情を伝えるたった1枚の絵を描けなかったこと」です。

5人の女性がピカソの死後、大きな報酬を受け取ることになります。遺産の総額は約4,000億円(1973年4月当時の為替レートで計算)。最も多くの遺産を受け取ったのは、孫のマリーナという女性でした(マリーナの遺産相続額約770億円)。

ただマリーナは、「ピカソのことを恨んでいる」という言葉を残しています。

それはなぜか?

マリーナの立場にたって考えてみましょう。マリーナは、ピカソと最初の妻オルガとの子どもの子どもですから、不倫を重ねて違う女性の元にいっている姿をたくさん見ています。

もしかしたら、ピカソからもあまり手厚くはもてなされなかったかもしれません。ただマリーナは、ただ単純にピカソのことを恨んでいたわけではなかったかもしれません。

なぜなら、マリーナは、ピカソの死後、ピカソのアトリエに行って、「ピカソが描いたかもしれない自分の絵」を探したからです。

不倫を重ねるおじいちゃんだったけど、「もしかしたら私のこと描いてるかも」「幼い頃の私を描いてるかも」「だってピカソは15万点もの作品を描いてるもん」「きっと1枚や2枚の絵があるはず」

そう思ってマリーナは血眼になって、自分の絵を探しました。

ただ、「1枚も自分を描いた絵はなかった」

ピカソは次から次へと新しいものを吸収しましたが、一度捨てたものは振り返りはしなかった。

マリーナは、自分はピカソから愛されてなかったことを痛感し、ひどく傷つきました。

現実生活でも、大金持ちの家でも年に1回誕生日にドカンとプレゼントを買ってあげるより、毎日毎日少しでも会話をした方が愛情を感じませんか?

だからこそ、結論としてピカソのしくじりから学ぶ教訓として、「後世に残すべき本当の遺産は金でも物でもなく”愛情”である」ということです。

まとめ

まとめ

『しくじり偉人伝”バブロ・ピカソ”の教訓3選ー中田敦彦先生ー』ということで、

  1. 凡人は真似をし天才は盗む

  2. 人の恨みを買うべきではない

  3. 世界一多作な画家であるのに家族に愛情を伝えるたった1枚の絵を描けなかった

を紹介しました。

後世に残すべき本当の遺産は金でも物でもなく「愛情」である

これがピカソの人生から、しくじりから学ぶ1番の教訓です。
是非身近な人に対して、自分を支えてくれている人に対して、「愛情」を持って接してあげてください。

今後も偉人の名言・行動を通して、あなたの人間関係やお金、生き方、健康などの悩みを解決する手助けをさせていただきますので、よければ「フォロー」、記事への「いいね」お願いします。「サポート」もお待ちしています。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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